【運命の人に出会う秘訣】 すべてぶちまけることから始めよ

恋愛に努力は必要なのだろうか?
たぶん人によって意見が分かれるところかなって思う。
僕はもちろん
恋愛に努力は必要ない派
どうしてもこのロマンチストは、自然発生的な恋愛というものに性懲りもなく憧れているらしい。
自然発生的な恋愛というものを経験したことはあるが、
感情が劣化していて、最近では誰にもときめかなくなってしまった。
誰にもときめかなくなってしまった なんて言うのはイケていない男なのかもしれない。
自然発生的な恋愛なんてもはや死語なのだろうか?

いや、でもどうだろうか。
やっぱりブスは恋愛対象にならないし、
それは男も女も同じことではあるのだと思う。
そうなると、やはり恋愛に努力は必要か?

でも、結局のところ、僕の本質はずいぶん前から変わってはいない。
たぶん幼少期から変わってなどいないのだ。
三つ子の魂百まで。という諺のごとく、三歳までに身についた本質を今も僕は背負って生きている。
いくら、メッキをかけて、外面を磨いたところで、
メッキはいともカンタンに剥がれ落ちる。

誰にだって、人には見せない秘密があるのでは?
誰にだって、普段見せない悲劇的な何かがあるのでは?

じゃあ、こういうことか。
恋愛関係に至るまでの過程において努力は必要だが、
恋愛関係に至ったら努力してはならない。

努力してはならない。は少し言い過ぎかと思うかも知れないが、
過言ではない。

努力は続かない。無理は続かない。
いくら誤魔化してもいつかは積もり積もった鬱積が吹き出ることになる。
そういう違和感を誤魔化すことを恋愛における努力というのなら、
そんな努力はやめちまえ。

相手がどんなに良い人であれ、自分が取り繕っていてもらちが明かない。

我慢していても仕方ない。

我慢せずにすべてぶちまけてみる。
ぶちまけてみても、それでも許してくれる人。
ぶちまけてみても、それでも認めてくれる人。
そういう人はたぶん運命の人なのだろう。

そう考えてみると、
運命の人に出会う秘訣は、
まずはすべてぶちまけてみることから始めよ
ということになりそうだ。

不平、不満、愚痴、罵詈雑言、言葉にならないような感情の鬱積。
そういうものをすべて無視せずに出てきたとこ勝負
すべて相手にぶちまける。
すべて相手からもぶちまけさせる。

そうやってめんどくさいことを乗り越えてみないことには
良い関係は続かない。相手の理解は深まらない。

こんなにも恋愛観は深まるのに、
それを実践する相手はいない。空しいな(笑)

なぜ僕が食にこだわるのか?

なんで僕は食事をこだわっているのか?
陰謀論的な説明もできるし、
健康面の説明もできるが、
あえて今回は陰謀論的な説明をしておこうと思う。
これは単なる陰謀論ではなくて、歴史的に紐解いて「この世の中の構造」を説明しているにすぎないから、単なる陰謀論というカテゴライズをしないで虚心に読んでほしい。

まず、考えてみてほしいのが、どうやったら製薬会社が儲かるのか?ということ。
製薬会社が利益を最大化しようと思ったときに、
どうなったら利益が増えるだろうか?

答え。人が病気になればいい。

もう一つ、医療業界が儲かるためにはどうなったらいい?

答え。人が病気になればいい。

まずそこを抑えておいてほしい。
ここまでは当たり前の話。
医療業界が人の病気によって成り立っている産業であるのは明白なわけ。
じゃあ、利益を拡大させたいとしたら、人にはある程度病気になってもらわないと困ることになる。

じゃあ、次に考えてみてほしいのが、
人が病気になるようにするにはどうしたらいい?

答え。食を破壊して、健康に悪いものを食べさせれば良い。

いいインプットによってしかいいアウトプットは生まれない。
裏を返せば、悪いインプットによって悪いアウトプットを生み出すことも可能ということだ。

人体におけるインプットとは、食に他ならない。
人間は食事だけしか体内に入れない。
その食事を破壊してやれば人はカンタンに病気になる。

では、世界を牛耳っている輩の話に移ろう。
カンタンに説明するために、詳細な話は省くが、
カンタンに言えば、ロックフェラーとロスチャイルドが世界を裏で牛耳っている。
ロックフェラーが資金提供していることで有名なのがWHO世界保健機関である。
ロックフェラーは製薬会社にも資金提供しているから、製薬会社は実質的に彼らの手中にあると言っても過言ではない。
彼らの思想について少し説明しておこう。
人間はゴイム(獣)だ。というのが彼らの思想である。
つまり、僕ら一般市民は人ではなく、ゴイムであるとしか思われていない。
僕らが家畜に対していちいち感情を乱さないように、
彼らも僕らに対してはいちいち感情を乱さない。
どれだけ家畜が殺処分されても別に僕らはなんとも思わないが、
彼らも僕らが殺処分されても別になんとも思わないのだ。
だから、人口削減の陰謀論が出てくる。
でも陰謀論ではなくて、そんなもの昔からずっと計画されているし、当たり前のことだ。

そして、家畜にはエサを与えるが、家畜はそのエサに何が入っていて、どんなに健康に悪いかということを考えはしない。考える知性がないからだ。そのような家畜にするには、人間の知性を破壊してしまえば良い。それを3S政策と呼ぶ。愚民化政策でまさに今現在、日本人は頭が悪い。日本人だけではないけれど。
人間も彼らによって食の好みを書き換えられ、エサ化されていると思って良い。
舌の感覚を麻痺させるような添加物が多数使われているここ日本においては、それがものすごくカンタンに行われる。しかも幼少期から。しかも何世代にもわたって。
人類は家畜化されつつある。いや、もうすでに家畜化されている。
日本は特に食が破壊されているが、それは敗戦国だから。
敗戦国の奴隷は実験台にされているということを知っておいた方が良い。
彼らを信用してはいけないのだ。

そういう背景もあって、僕はなるべく添加物は避けるし、舌の感覚がおかしくなるものは食べない。調味料はなるべく質の良い物を使い、コンビニはなるべく使わない。酒は日本酒を主にしてワインもなるべく酸化防止剤の入っていないものにしている。
誰でもできる事としては、水、油、塩にこだわるということ。
人体の6割は水であり、水の質はそのまま人体の質になる。
脳の大部分は油でできているから、油の質はそのまま脳の質になる。
塩は良い塩には浄化力がある。身体に入ってきた毒素を解毒してくれる。

基本理念として持っておいた方が良いのは人工物を信じないということ、自然なものを信じるということ。それを価値基準におけば、そんなに難しく考えなくても自然に良い方向に向かう。

自愛が足りない

自愛が足りない
みんな自愛が足りない。
もっと自分を愛しても良い。
安全なのかハッキリしているわけでもない治験中のワクチンを何も考えずに打ってしまうのはなんでなのか?
自愛が足りないから。
自分のことを本当に大切に思うのなら
そんなことはできないはずだ。
自分のことを心底愛し、心底信じてあげていたら、
自分の生命力を信じることもできるはず。
みんな自愛が足りない。
自愛が足りないから自分を信じられない。

僕は自分のことを理屈抜きに素晴らしい人間だと思っているし、
今後なにがあっても素晴らしい人生を歩むことを確信している。

だから、ワクチンなんか打たなくても絶対になんとかなるし、
そもそもワクチンなんか必要ない

理屈をこねくりまわしてもいかにワクチンが必要ないかを説明することはできる。
でも、根本的に間違っているのは死生観であり人生観。
ソクラテスの弁明でも読んでみればよろしい。

映画「セッション」のなかでアンドリューはこう言っていた。
I’d rather die drunk, broke at 34 and have people at a dinner table talk about me than live to be rich and sober at 90 and nobody remembered who I was.
(誰の記憶にも残らないクソみたいな90歳になるよりも、俺は34歳で飲んだくれて、ぶっ壊れたとしてもチャーリー・パーカーのように誰かの記憶に残っていたい。)

神道には”中今”という思想がある。
中今とは”ただ、いま”に生きるという意味でもある。
一日一生(いちじついっしょう)と言い換えても良い。
一日一生とは、今日一日に一生分が詰まっているということ、一生分の雛形としての今日を生きるということ、今日一日で一生分生ききって死ぬようにして眠ろうという教え。
これが意味するのは、今日、生きていることはそもそも奇跡であり、
今日、生ききることができないような奴が一生を語るなということでもある。
今日という一日を生ききることは一見簡単なようで難しいことだ。
本当に、自分のやるべきことなすべきことをやりきって一日を終えるのは大変なこと。

それもせずに、のほほんと90歳まで生きるより、僕は今日死んでも良いからやれることをやりきって生きたい。
そう思う。
でも、それは極論で、結局たぶん明日も命はあるし~なんて思った不届き者がいるのなら、
どれだけの人が今日一日で命を落としたのか調べてみると良い。
現実に、次の朝目覚めることができない人は大勢いる。今日も明日もその先もずっと。
なんで自分が明日そのうちの一人にならないと言いきれる?
明日は我が身と思って生きれば良いではないか。

死生観が腐っているから日本人は腐っている。
思想が腐りきったら人間は終わる。GHQもよくやってくれたものだと憎らしいが、そんなことを言っても現実は変わらない。
なんで、日本の老舗企業は信仰心が深いのか。
松下幸之助出光佐三などがなんで神社参拝を欠かさなかったのか?
出光佐三宗像大社を崇敬していたことで有名であるし、
松下幸之助もたくさんの神社に参拝していた。椿大社など。
彼らには思想、哲学があったからにほかならなない。
彼らには揺るぎない信仰心、死生観があった。
ある意味自分の命を過大評価していなかったとも言える。
明日、自分の命があると思っていなかったのだ。

明日も自分の命があるとは思わない。
でもどうか神様、この命を世のため人のため、自分の使命を果たすためにどうかお使いください。
そういう気持ちで参拝していたのではないだろうか。

だから彼らはまさに”神憑って(かみがかって)”経営の神様と呼ばれるほど偉大な存在になった。
僕はそういう生き方にものすごく感化されるし、神社に行くと、そういう人たちがいたという歴史に感化される
だから、みんな神社参拝をした方が良い。本当にガチの神社参拝は感覚が変わる。
神社参拝は自愛するための最善の方法でもあるし。

ということで神社参拝をしましょう!!

そして、ちゃんと自分を愛してあげてください。

この世界に救いようはあるのか?

最近、無理ゲー社会という本を読んだ。

 

 この本は、社会の現状を

ただただありのままに

残酷なまままに

辛辣に突きつけてくる。

 

そして、最終的になにか解決策が提示されるかと思いきや、

まったく解決策はない。という結論で終わる。

解決策はなく、それは物理的な法則に則った一連の決められた流れであり、

それには抗いようがない。

そういう結論だ。

だからこそ、それを受け入れ、なんとかして生きていかなければならない

という結末だった。

 

本当に、この世界には救いようがないのだろうか。

たしかに

この世界は終わっていると思うし、

僕は頭がいいし、人よりも現実を直視することにはなれている。

だから、周りの人間を見ていると、

本当に馬鹿だなと思うし、本当にカスやなって思う

 

だけど、それでも人間には救いようがないのだろうか。

これは希望的観測に過ぎないのかもしれないが、

これが日本であることだけが希望なのではないか?

 

そう思う

 

僕は愛国者だし、僕は日本のことが大好きだ

 

こんないい国はないと思うし、

心底この国に生まれてこれた僕の幸運に感謝している

 

なぜ、日本だけには希望があるのか?

それは日本だから。ということしか言うことができない。

他の国ではなく、日本だからまだ希望がある。

 

例えば、神道的思想、

神道は自然崇拝といっても良いと思うが、

これだけ自然が豊かで、これだけ自然に対する畏敬がある民族はあまりない。

日本はどれだけテクノロジーが進んでも、

個人主義が進んでも、

資本主義が加速しても、

立ち返るべき、自然がある。

それだけが僕にとっての希望だ。

 

自然を神社といってもいい

 

立ち返るべきところがあるだけで、

全然ちがうと思う。

 

全く根拠はないし、

社会的な解決策になるものではないかもしれないが、

結局、自分の生を受け入れ

宿命、運命を受け入れ、

その中で自分にできる精一杯を尽くすしかない、

 

そう思うためには、神社が必要だと思う。

神社に行き、神様に祈る。

人間にはどうしようもない大きな存在を感じる。

それによって、僕らは生かされている

生きていることすらもはや奇跡なのだと感じる。

 

そうやって、自分の生に感謝しながら

一日一日を大切に生ききる他ないのではないか。

 

その上で、ニーチェの思想を参考にする必要があるように思う。

 

 

【渋沢栄一に学ぶ大転換期の乗り越え方】人間としての道理(原理原則)を学べ!

 

今、世界が大きな転換期を迎えていることは疑いようがありません。

新型コロナウイルス感染症の突然の襲来により、人々の生活、経済のあり方、働き方は大きく変わってしまいました。

しかし、それ以前から、

「行き過ぎた資本主義」

「格差の問題」

「物質至上主義から、見えないもの重視への価値転換」

「組織中心から個人の時代へ」

などさまざまな側面で世界の構造は大きく変わり始めていました。

インターネットの普及やデジタル技術の革新により、法体系、政治制度、経済システムに至るまで、世の中のあらゆる部分で「前時代的なしくみ」が制度疲労を起こし、新しいルールやカルチャー、考え方が求められています。

私たちは、紛れもなく自らの人生では体験したことのない「大転換期」を生きています。

従来の制度やルール、考え方がまったく通用しない「新しい時代」を迎えているのです。

「はじめに」より

渋沢栄一の生きた時代もまさに、大転換期そのものでした。

幕末から明治維新

江戸という安定した時代から打って変わって、

大激変の時代を生きた代表的先人、

それが渋沢栄一なのです。

 

最近、大河ドラマが放送されていたり、

論語と算盤がベストセラーになったり、

多方面から注目されているのが渋沢栄一です。

 

本書では、非常にわかりやすい語り口で、

論語と算盤、論語を引用しながら、

渋沢から我々現代人が学ぶべきポイントについて

解説されています。

 

この著者の方自身が、

本当に深く中国古典を読み込まれているのが

よくよく伝わってきます。

 

本当に自分の血肉として体得しているからこそ、

本書のようにわかりやすく解説できるのだと思いますし、

そういう本、著者は希有な存在だと言っても良いでしょう。

 

名言の嵐で、

学べることが大変多く、

実生活で生かせることも多数書かれています。

 

最近読んだ新書の中でも随一!

本当にオススメ!

 

 

このブログを開設した理由について(自己紹介も含めて)

こんばんは。

おざきです。

読んでいただきありがとうございます!

 

当ブログの目的について

このブログは、僕が読んだり見たりした本や映画やドラマやアニメなどの紹介をすることを目的としていこうと思っています。

 

基本的には、アウトプットのプラットフォームとして活用して行くことになるので、

書きたいことをありのままに書いていくことになるかと思います。

 

もちろん、読者の方の需要を全く無視したことを書くつもりはありませんし、

なるべく良いものだけを紹介できるように心がけていこうと思っています。

 

紹介したものをみなさんが実際に見る時に、

ひと味違った見方ができるような

”僕なりの視点”の共有ができるような記事を書いていくつもりです。

 

自己紹介

元々、僕は

ZAKIOLOGY

というブログを運営していまして、

累計で400記事以上を執筆してきています。

zakiology.com

 

なので、初心者でもないですし、

ブログを書くこと自体には慣れています。

 

少し、自己紹介させていただくと、

 

神戸大学に在学中で、大学では主に物理学を専攻しています。

特に、これからは放射線の環境動態などの分野を中心に勉強していきます。

 

趣味は、ブログを書くこと、読書、

映画、アニメ、ドラマなどのエンタメを見ること、

あとはコーヒーが好きで、豆から挽いて毎日飲んでいます。

コーヒー関連で言うと、

神戸に住んでいるので、カフェ巡りも結構頻繁にします。

好きなお酒は日本酒で、

良い日本酒を飲んでいるときが一番幸せかもしれない笑

あとは、神社も好きで、いろんな神社に参拝しています。

 

特筆すべきはこんなもんでしょうか?笑

 

 

当ブログを開設した理由

じゃあなんで、このブログを開設したの?

という疑問が浮かんでくると思います。

 

その理由はズバリ、

ZAKIOLOGYの方を受験や勉強法などの記事に特化したものにして、

趣味的な文章を書くのはこちらのブログにしよう

というブログの棲み分けをしたかったからです。

 

ZAKIOLOGYの中から、本当に良いと思うものは、

こちらの中でも再掲していくつもりですので、

楽しみにしていただければ幸いです。

 

では、今後も末永く、よろしくお願いします!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

では。

【大豆田とわ子と三人の元夫】が面白いから紹介してみた。

プライムビデオで、大豆田とわ子が見れるようになっているので、

見てみた。

 

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結論から言って、めっちゃ面白かった!

最近、僕は日本のドラマってたいしたことないな。

って思っていました。

何でかというと、

韓国のドラマと比べたときに、

あんまり面白くないなと思ってしまったから。

 

でも、大豆田とわ子に関しては、

全く反論の余地のないほど面白かった。

 

元々、僕はカルテットというドラマが大好きで、

味のある俳優さん、女優さんを集めたドラマは本当に面白いなと思いました。

 

確かに、ストーリーが面白いのもあると思うけれど、

相乗効果みたいなもので、

俳優さん達の演技力も面白さを押し上げているように感じました。

 

僕が特に好きなのは、

中村しんしん。

演じるのは岡田将生さん。

 

中村しんしんは、

カンタンに言うと、合理主義者。

 

会議の前の雑談っていります?

とか、

お土産っていります?

とか、

世の中の慣習にたいして

いちいち、いちゃもんを付けるのが面白いなと。

 

ただ、この中村しんしんも

人間というものをよくわかっていて、

結局、人間どこまでいっても合理的にはなれない。

ということをちゃんと知っているようです。

 

特に気に入っているのが、

次の台詞

"雑談はいらない。
お土産もいらない。
でも、好きな人との雑談は楽しいし、
好きな人にお土産をもらうのも嬉しい。
好きな人となら、紙コップで飲むワインも美味しい"

 

結局、「誰と」何をするか

ということが人間にとっては大切で、

一見意味のないようなことでも、

自分が大好きな人とそれをするのは楽しいし、

何も苦だと思わないものです。

 

中村しんしんはそれをちゃんとわかっているのが良い。

 

最近では、ひろゆきさんみたいな合理主義的な人が評価される世の中になりましたが、

結局、みんながみんなあんな風に合理的に物事を考えて、

合理的じゃないことを切り捨てることは無理だと思います。

というか、そんな人だらけの世の中になったら嫌だなとも思います。

 

別に、合理的な考え方を否定するわけではないけれど、

結局、人間なわけで、合理を超えた好き嫌いとか、感情とか、

そういうものってあるわけで、

そういう人間的な部分をなくさなくてもいいのではないか

と思う次第です。

 

 

大豆田とわ子からはいろんなことを学べるし、

いろんなことを考えさせられる。

本当に良いドラマだったので見ていないかたはぜひ見てみてください!

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。