別に無理をして、仕事を好きになる必要はない。
ただ、仕事を嫌いにならないためには、「好き」というよりも「楽しい」と思えることが大事
松浦弥太郎 著 「いちからはじめる」
僕はどんな状況でも楽しむのは得意である。
露骨に楽しもうとする。
年々、楽しいっていう感覚は変化しているんだけれど、それでも楽しもう!っていう感覚は変わっていない。
前来てたエンジニアリングの会社の人も言ってた。
どんな仕事でも楽しむようにしてる。って。
それは大事な姿勢やなー。って思った。
浪人辛いですか?って聞かれたら、そらそうやろ!って言いたくなるけれど、
僕の周りも含め、浪人して成長してきた奴は、まぁでも案外楽しんでたわ!って感じだと思う。
だって成長するのってメッチャ楽しいことやん。
自分で工夫して、
壁をぶち壊したり、
なんなら壁を乗り越えたり、
はたまた壁を扉に変えたりすんのは超絶おもろい事やて。
もっと言うと、
あれ?壁やと思ってたら、なんや壁ちゃうやんけ!
みたいな発見もあったりする。
そういう日々って貴重だし、掘り出し物の骨董品バリの価値があるんです。
どんな状況でも楽しめるやつ、
どんな状況にも楽しみを見いだせるやつ、
何かしらのことを学んでいこうとするやつ、
そういうやつと関わりたいなって思うし、
周りにはそういうやつが多いような気するわ。
学びて時にこれを習う亦楽しからずや!
って論語のど初っ端に書いてあるわけだけど、
学ぶのってマジで楽しい。
でも学んだ先には習う(習得)っていう境地境涯があって、その境地境涯はもっと楽しい。
学ぶっていうのは、単に学んだだけ、自分のもんにはなってない。
けど、それを反復して学びまくってたら、
いつの日か、
ああ!わかった!!
ってなる。
このときの感動って最っ高に気持ちええんですわ。これが。
そんで、この感動ってまさに「朋あり遠方より来る」よな!ってなわけですよ。
長いこと会ってない友達が遠くから来てくれて、
ああ、やっと会えた!
久しぶりやなぁ!
ホンマに嬉しいわぁ!
って暖かい気持ちになる。
それが学んで時に習うっていうことやんな。
経験あるやつもいるやろうけど、
わからんかったことが自分のもんになった瞬間っていうのは、たまらんのよ。
って孔子は言ってたんやと思います。
そんな境地境涯に達したらホンマに楽しいやろうなぁって思うし、そのためには学ばなあかんね!
学ぼ!そんで学びまくって、習いましょ!
てな感じで、エセ関西弁でお贈りしやした。
ほな!(´∀`∩)↑age↑