他者との関係性によって人格は変わるもの

僕は日頃から、本当の自分とはどんなものなのだろうという疑問を持っていた。

本当の自分。

今の自分は本当の自分ではないのかのように思ってしまうことがある。

僕は少しHSPな気質があるから、他人に合わせがちだ。

他人に合わせて、自分の本音を隠すことが多い。

こんな性格だから、まあ、当然といえば当然の悩みなわけ。

 

分人主義なるものを最近知った。

他者と生きるという本を読んで、

分人という考え方が引用されていた。

関係論的人間観というのが、他者と生きるの中の肝となる考え方だが、

この本はおすすめ、

非常に面白かった。

大学1年のときに、教養の授業で文化人類学を取っていたのだが、

その中で取り上げられていた贈与論が書かれていて、

懐かしかった。

せっかくなので、平野啓一郎氏の本も読んでみている。

これも面白い。

分人という概念は、生き方を楽にしてくれると思う。

本当の自分とはなにか

ということから、丁寧に考えられているから、

非常に学びが深い。

分人や関係論的人間観が面白いのは、

自分というものは他者との関係性においてのみ存在すると考えるところだ。

確かにこれは言えている。

なぜなら、エヴァでいうところのATフィールドがなくなって、LCLとなったのなら、自他の区別など存在しないからだ。

自分というものがわかるのは、他者がいるときだと思う。

他者がいて、はじめて自分を相対的に評価することができる。

人間なんてみんな相対評価

自分よりすごい人がたくさんいると、劣等感を持つし、

自分より大したことがない人がたくさんいると、優越感を持つだけだ。

自分と他者を比べるのは自己肯定感を下げるのかもしれないが、

客観的に自分を見ることは生きる上で必要なことだ。

それができないと、他者と関係性を築いていくことは困難であるし、

世渡りができなくなってしまう。

 

結局、他者との関わりにおいて自分が存在する。

とするのならば、

分人は当たり前、キャラ化は当たり前、

本音と建前を分けるのも当たり前、

依怙贔屓(えこひいき)するのも当たり前なのだ。

綾波がえこひいきされたみたいに。

 

アスカとシンジの関係性と

レイとシンジの関係性が違うのも当たり前だ。

 

だって、関わる人が違うのなら関係性が違うのだから。

心の距離も違う。心の温度も違う。すべてにおいて違うのだから、

他者との関係性で関わり方を変えるのは当たり前だ。

 

だから、本当の自分なんて考えず、すべて自分だと思えばいい。

他者との関係性で人格は変わる。

それが自分であり、多重人格と揶揄されようとも関係ない。