自分で確認したわけでもないのに、無駄な恐怖心を持ちがち

最近はたまに研究室に遊びに行ったり、

たまに自動車学校に遊びに行ったりしているのだけれど、

この2つというのは前から割に恐怖心を持っていたこと。

まず研究室だけれど、

研究っていうのは辛いものなんだ!

とか

研究ってたまに鬱になる人もいるらしい!

とか

いらん恐怖心を持ってしまっていた。

たしかに、辛い!って思う人もいるはずだし、

たしかに、鬱になる人もいるだろう。

しかし、自分がそうなるかどうかはやってみなければわからない。

たしかにやる前にそういう情報を聞いたり見たりすると不安にはなる。

けれど、それが実際に自分に当てはまるかどうかはやってみないことにはわからないのだ。

で、実際に研究室に配属されて、先行研究の論文を読んだり、院試の勉強をしているのだけれど、

思ったより、論文を読むのは苦ではないし、

院試の勉強も少しは全体像がつかめてきた。

 

そして、次に車校

僕は一回生のときからずっと車校を避けてきた。

というのも、姉が車校で病んでたからである。

姉は車校が嫌で仕方なかったらしく、いつも愚痴を吐いていた。

だから車校は大変で、辛くて、めんどくさいものなんだ!

という価値観があった。

もちろんそれだけの理由ではなく、

単にこれから10年先使うかどうかもわからない免許に30万円突っ込むのはいかがなものか?

と思っていたのもある。

しかしながら、恐怖心があったのは確かである。

恐怖心はたぶん人間にとってかなり重要度の高い感情なのだろう。

足がすくむ

とはよく言われることだけれど、

本当にはじめの一步がなかなか出なくなってしまう。

 

けれど、車校に通ってみてどうか?

ということだけれど、

単に楽しい。

単に運転は好きだと思う。

そもそも僕は昔からイニシャルdのゲームをゲーセンでやりまくっていたし、

ステアリングを握って実際にメカを動かすのは楽しいのだ。

 

それに、いつもは使っていないような脳を使っている感覚も面白い。

脳がいつもよりもハイになっているというか、

ランナーズハイに近いような感じ。

それが意外と面白い。

たぶん3時間も運転するのは大変なのだろうけれど、

1時間や2時間運転するだけならたぶん楽しめる。

 

まだ仮免もとっていないけれど、もうすぐ取れそうだ。

 

ここから得られる学びはなにかというと、

現代に生きていると無駄に恐怖心を持ってしまいがちだということ。

研究室に対しての恐怖心はどこから来たのかといえば、

ネットの情報である。

 

車校に対する恐怖心は直接的には姉からだが、

増幅させたのはやはりネットだ。

 

ネットには情報が溢れかえっている。

それこそ玉石混交。

価値ある情報もあれば、単に不安になるだけの情報もある。

 

自分が決断に迷っているときは、

僕はネットの情報をあてにしないほうが良いと思う。

なぜなら、決断というのは好き嫌いで行ったほうがうまくいきやすいからだ。

ネットの情報は正誤、善悪という軸のものがほとんど。

自分の好き嫌いという軸はネットの情報に含まれにくい。

だから、自分がなにか新しく始めたりするときに不安なら、

単にやってみてから考えた方がわかりやすいと思う。

やる前からネットばかり見ていても行動力が鈍るだけ。

好きそうならやってみれば良いし、嫌いならやらなければいいだけだと思う。