最近、文章を書くことが減ってきている。
stable diffusionにハマりだしてから、
ずっとプロンプトを書くことばかりになってきて、
どうも調子があがらないな。と思っていた。
考えてみると、僕がブログをあまり書かないのは、
三年ぶりくらいのことで、
調子を落としているのは間違いなく、書いていないからだ!と思い至った。
そのため、これからはなるべく、その日に感じたこと、
その日に学んだことなどをEasygoingな形に変換して、
書いてみたいと思っている。
今日は、大学院の授業があった。
物理の授業だった。
久しぶりにマクスウェル方程式とか、∇とか、divとか、rotとかの計算をやった。
大学の数学って、普段あまり触れないから、
すぐに忘れてしまう。
大学受験の数学はいまだに覚えているし、何もしなくても基礎は衰えない。
やっぱり受験という通過儀礼はすごくて、
あの一定期間に無理矢理にでも頑張って身につけたことは、
意外と今もちゃんと身について残っている。
そういえば、最近、同期の中で話題になっていることと言えば、
もっぱら就活の話だ。
たぶん就活は今後10年でなくなるだろう。
僕ら世代が就活という通過儀礼を経験できる最後の世代なのかもしれない。
通過儀礼はすごい、
という話だけれど、
就活という名の通過儀礼も、
ちゃんと頑張ったら、それなりに何かが身について、
それがその後の人生において、やっておいて良かったな、
と思う種類のものなのだろうか。
たぶん通過儀礼的なライフイベントは、
就活が最後?なんじゃないかと思っているが、
そういう通過儀礼は多少頑張った方が良いのかも知れない。
今後10年で、AIによって社会認識は抜本的に変わることが予想される。
だから、たぶん就活という通過儀礼の価値はこれからどんどん暴落していくことも予想される。
じゃあ、就活を頑張ることに価値がないのか、と言えば、
そうとも限らない。
なぜなら、人間には物質的な豊かさだけではなく、
精神的な豊かさも幸せには必要だからだ。
就活という通過儀礼を経て、人生というものに向き合う。
そうやって人生に向き合って、何か自分なりに答えをだし、
道を歩み始める、という経験は精神的な豊かさにつながると僕は思うだけだ。
たぶん精神的な豊かさというものは、
おじいちゃんになったときに、小さいこどもたちに語れるようなものなのではないだろうか。
たぶん小さい子ども達には就活の価値はわからない。
でも、おじいちゃんが朗らかな表情で、自分の人生経験を語るとき、
子ども達はそこから何か、ある種の豊かさを感じるのではないかと思う。
たぶんそういうある種の豊かさ、が精神的な豊かさにつながっているような気がしている。そして、そのある種の豊かさみたいなものは、一見無駄にも思える経験が寄与するものなのかもしれない。
こんな感じで、ちょっとした考察みたいな
ちょっとしたメモみたいなことをできれば毎日、
できなくても週に三回くらいは書いていきたいなと思っています!
では良い1日を!