大企業に行けなかったら就活は失敗らしい。

今日の研究室での会話

今日の研究室での話。

今日も就活の話題で盛り上がっていた。

 

「大企業には行けなさそうやから、俺は就活失敗した」

みたいなことを先輩が言っていた。

 

僕は思わず、

「大企業に行けなかったら就活って失敗になるんですか?」

と言ってしまった。

僕にとっては、その先輩も十分成功しているような気がするのだけれど。

 

たぶん文系よりも理系の方が、

大企業信仰が強いと思う。

 

今の時代にはそぐわないのではないか、

と僕は思ってしまうけれど、

理系にとって、大企業に入ることを目標にしている、

というのは当たり前に共有されている価値観らしい。

 

僕にとっての成功の定義と、

ほかの人にとっての成功の定義は

まったく違っているらしい。

 

僕はどちらかというと、

大企業よりもベンチャー企業の方が面白そうだと思っているし、

正論として、大企業からベンチャーという経路は簡単だけれど、

ベンチャーから大企業という経路は難しい、ということはよく知っている。

 

でも、大企業は大企業なりに大変な部分はあるだろうし、

たしかに、いったん大企業に入ってしまう方が楽な部分は多いのだと思うけれど、

僕はそれに甘んじて良いのだろうか?という疑問を自分の中に抱えている。

 

僕にとっては、一番大事なのは、ご縁。

誰とご縁が結ばれるのか?というのが一番重要で、

精いっぱいの現実的な努力、つまり人事を尽くしたら、

あとは、非現実的な部分での他力に任せるのが、

僕の当たり前の感覚。それが天命を待つっていうことです。

 

別に大企業にだって悪い人はたくさんいるし、

冷め切った感情で働いている人もたくさんいる。

大企業に入ったとしても、そういう人が多い部署に配属されて、

自分のやる気がそがれて、鬱っぽくなってしまうことは十分に考えられる。

 

逆に、どんなに給料の低いベンチャー企業であったとしても、

ものすごく熱い気持ちを持って、この世界をよくしていこう!

という気概で仕事に取り組んでる人もいるのだと思う。

 

要は、どんな人とご縁が結ばれるのか、

によって、人生はどうにでも変わっていく可能性を秘めているということ。

 

日本の神様がやっていることは、

まさにこの領域のことで、

誰と誰のご縁を結ぶのか、

ということを司っているわけだ。

 

たまたま、

運良く、

すばらしいご縁に結ばれるためには、

確かに現実的な努力も必要だ。

現実を動かせるのが人間だからね。

 

でも、目に見える世界だけで、世界は成り立っていなくて、

目に見えない世界も、ちゃんと存在している。

 

目に見えるところは、人間が頑張れば良い。

でも、最終的な運とか、ご縁とか、

そういう領域のことは、神様に任せるしかない。

 

僕にとってはそういう価値観が当たり前なので、

成功も失敗も、ぶっちゃけどうでもいい。

 

どんな人とご縁が結ばれるか、

それによって、大企業に行ったとしても失敗になりうるし、

ベンチャーに行ったとしても成功になりうる。

 

「大企業」とか「ベンチャー」みたいなラベルで判断するのって、

めちゃくちゃ前時代的なつまらない価値観だな、と僕は思っている。

 

僕はできる限り、就活も頑張ってみようと思っているけれど、

最終的には、良いご縁が結ばれればそれで良い。

 

いや、良いご縁も悪いご縁も、

それは結果としてわかることであって、

どんな状況になったとしても、

その状況を受け入れようと思っている。

 

みんな就活で悩みながら、最後の学生時代を過ごすんですね。

社会と、学校の間にあるトンネルみたいな期間だなと、ふと思いました。

その暗いトンネルの後に、どんな場所に行き着くのかは、

出口に行き着かないと見えてこない。

 

そんなワクワクとドキドキのある面白い期間が、就活なのかもしれないですね!

 

就活に悩んでいる人へ

もし、就活で悩んでいる人がいるのなら、

一つだけ言っておくと、

就活なんてマッチングの一種です。

マッチングアプリで異性と出会うのと同じことです。

自分をある程度虚飾して、好みの企業に良いね!を送る。

その良いね!に企業から返答が帰ってきたらマッチング成立になるだけ。

 

その程度のものだと考えるのが良いと思います。

内定っていうのは、マッチングした数であって、

マッチングした中から、

なんか良さそう!という直感で、一つ選ぶわけです。

 

ただのマッチングだと考えれば、

そんなに深刻になることはない、

と思えるのではないかと思います。

 

マッチングアプリで好みの人とマッチングしなかったとして、

それで落ち込んでいる人を僕はあまり見たことがないのですが。

 

マッチングアプリ上でも、なかなかマッチングしないのなら、

自分のプロフィールを良い感じに変えたり、写真を工夫してみたり、

いろんな現実的な面を変えていくはずです。

 

もしくは、高望みしすぎている、と気づいたり、

逆にマッチングしまくっているなら、

もうちょっと高望みしても良いかもしれない、

と思うかも知れません。

 

就活でも同じなのではないでしょうか。

自分が送ったオファーに対して、

何らかのフィードバックがあり、

そのフィードバックに対して、

自分なりの分析をして、

また別の改良したオファーを送る。

 

結局その繰り返しなわけで、

たしかに、就活が上手な人もいるのでしょう。

それはマッチングアプリが得意な人がいるのと同じことです。

 

そういう得意な人や上手な人と比べて、

自分に能力がない、自分に価値がない、

と思うのではなくて、

得意な人はどうやっているのだろう?

と学ぶのも一つ、

こいつらと同じ土俵で戦っても勝ち目がない、

と思うのなら土俵を変えるのも一つ、

 

それはご自身で決めることです。

 

とにかく、僕が思うのは就活という名のマッチング作業で、

いちいち、人生を悲観する必要などない、

ということです。

 

ホワイトカラーの仕事は今後10年で激減し、

失業する人が大多数です。

ほとんどの知的労働は、AIがこなしてくれます。

知的労働に携わるのは、本物のクリエイティブを持っている人や、

未知のものを開拓していくことができる人だけです。

(AIはプログラミングはめちゃくちゃ得意ですが、

革新的なプログラミング言語を生み出すことはまだできません。

彼らは、既知のモノを組み合わせて「それっぽい何か」

を作り出すことは得意ですが、未知のモノは生み出せないので、

本物の芸術とか本物の小説を作ることはまだできないのです。)

 

なので、どうせみんなほとんど仕事をしなくなりますから大丈夫です。

 

僕としては、これらのことは福音でしかなく、

自分の本音で生きることができる、

とても素晴しい世の中が到来しつつあるなと、

すごーく喜ばしい気持ちです。

 

沈み行く船で、椅子取り合戦するのも、

たしかに滑稽で面白いものですが、

その船は沈んでいるのです。

 

別に沈み行く船にしがみつかなくても、

生きていくことは可能です。

 

そんなに深刻に考えずに、Easygoingに行きましょう!

以上です笑

 

追記:それと、やりたいこと、

ってよくわからなくても良いと

僕は思っています。

やりたいことなんて、

一緒にいる人が変わると、

案外変わってしまうものですしね。

 

やりたいことがないなら、

どこに居たいか、と

誰と居たいか、を考えてみると、

意外と楽に考えられたりもします。