2024年のまとめ

こんにちは。

今年も残りわずかになってしまいましたねえ。

ということで、今年のまとめ記事を書いておきたいと思います!

 

ざっくり言うと、

今年はとても忙しかったなあと思います。25年生きてきましたがダントツで忙しかったと思っています。

就活もあり、研究もあり、バイトもあり、恋愛もあり、病気もあり、という感じで、盛りだくさんな一年でした。

 

今年の干支は甲辰(きのえたつ)でしたが、まさに樹木のように成長を促された一年だったし、龍のように飛翔するエネルギー感に満ちた一年になったなあと思っています。

 

いろいろ書きたいことはあるのですが、

テーマを3つくらいに絞って書き上げてしまいたいと思います。

 

⒈ 病気から学ばされること 

⒉ 関係性を深めていくということ

⒊ 未見の我

 

この3つのテーマについて、すこしだけ深掘りして書いておきたいと思います。

 

⒈ 病気から学ばされること

今年は、5回目の肺気胸になってしまい、とても大変でした。

他にも、コロナにもかかりました。

なので、今年は病気と向き合っている時間が長かったような気がしています。

 

入院して思ったのは、これだけの医療システムを作り上げるのに、どれだけの先人たちの苦労があったのだろうか、

ということや、

どれだけ、周りの人の助けがあり生活できているのか、

ということでした。

当たり前と言えば、当たり前のことだし、

別に誰だって知っていることだし、

僕は何回も入院しているからそんなことはすでに知っているはずなのに、

ちゃんと受け取れていなかったなあと再認識させられました。

 

入院して手術するっていうのは、

言葉だけで捉えると、たいしたことのないような感じに現代人は捉えてしまいがちですが、

100年も前を想像してみると、本当に大変なことだったはずです。

 

西暦で考えても2000年以上の歴史がある人類社会ですが、ここ数十年の間にどれだけ高度な医療システムが構築されたのかはかりしれません。

はっきり言って、異常なほどの急速な進化です。

 

僕は5回目の手術でしたが、

やはり初めての手術のことは今でも深く記憶に残っています。

あの恐怖心や死を身近に感じた体験というのは、今後も僕の人生にとって重要な意味を持ち続けるような気がしています。

 

5回目であっても、手術は手術で、入院は入院なんです。大病は大病なんですよね。

何回経験したところで、痛みに少しはなれたかもしれませんが、全く痛みを感じなくなるわけでも、不安感が払拭されるわけでもありませんでした。

 

どれだけ強がってみたところで、病気になったらここまで心細い気持ちになってしまうものなんだな、と特に誰かに打ち明けたいわけでもないのですが、そう思ってしまいました。

 

そういえば、遠藤周作さんが、

いいことを書いていたので、引用しておきたいと思います。

 

でも、いま考えてみると、こういう偉そうなことをいったけど、もともと20年前に病気をして、大きな手術を受けた。受けたおかげで生活のマイナスがいまこんな仕事をぼくにさせてもらうもとになっている。この心、いまやっていることは、はっきりいって、ぼくの病気をしたコンプレックスがさせている部分があると思う。
コンプレックスがある人間というのは、今度は、無意識の内にそのコンプレックスを解消しよう(補償作用という)として、誰かかつての自分と同じ人を助けようとするんです。

中略

でも、たとえその補償作用だけでやっているにせよ、それが病気の人のなぐさめに少しでもなるのならば、メシヤ・コンプレックスの補償も悪くないんじゃないかと思う。

遠藤周作,青春文庫,「自分づくり」196〜197頁

たしかに僕にもメシヤ・コンプレックスはあると思う。

メシヤっていうのは救世主のことで、

キリスト教で言うところのイエスキリストのことを指します。

仏教的にいうと救世観音のことをさしたり、弥勒菩薩のことをさしたりします。

 

僕が思うのは、人は痛みを背負い、それを乗り越えるほど、人を救いたくなるんじゃないかということ。

 

イエスキリストとか、救世観音とか、

僕にはよくわからないけれど、

今の僕よりはるかに多くの痛みを背負ったんだと思っています。

僕より遥かに多くの痛みを背負って、それでも乗り越えたからこそ、その痛みをもつたくさんの人を救おうって思たんだと思います。

 

それが心理学的にメシヤ・コンプレックスだと言われても、

遠藤周作さんのように、それを認識しながらも、人を救おうっていう活動をしている人は僕は偽善者だなんて呼ぶことはできない。

 

人より多くの痛みを背負い、それを乗り越え、人を救おうとする人のことを昔から救世主と呼んだのでしょう。

 

僕は救世主なんかに程遠い存在です。それはなろうとしてなるものでもないような気もしていますし。

 

人間の可能性があるとしたら、

それは痛みを受け入れ、痛みを乗り越えたときに人を救おうって思える自然な心にしかないと僕は思っています。

 

僕はいままで小説をたくさん読んで、痛みを追体験してきたつもりでいましたが、追体験は実体験には程遠いなと今は思っています。

想像力が足りていなかったなあと思います。

 

⒉関係性を深めていくということ

他には、人間関係から学ぶことも多くありました。

関係性を深めていくのって、本当に大変だなあと思った一年でした。

とくに自分と真反対な性質の人と関係性を深めていくのは、本当に大変なことだと思っています。

真反対といえば、男女関係ほど難しいものはありません。

僕には姉がいて、姉がいる分、男兄弟しかいない人に比べて、女性というものについて理解できていると思い込んでいました。

でも、全然わかっていなかったw

全然わかっていなかったんだなあということがわかった一年でした。

今でも本当によくわかりません。完全に理解するなんて無理ですw

まあ、身の程を知れたという意味では本当に良き一年だったなと思っています。

 

⒊ 未見の我

未見の我について書くのは、少々難しいので、軽く書く程度に留めておきます。

 

未見の我っていうのは、未だみたことのない自分っていうことです。

要するに、未だみたことのない自分を垣間見ることができた一年だったということです。

 

それだけ濃密な時間を過ごさせていただけたということなんです。

僕自身が一番驚かされたというか、

こんなに本気になれるのか!

俺ってこんなにやれたのか!

ということが一番心に残っています。

 

そういう自分に出会えたのは、今後の一生において、計り知れないほどの価値があると思っています。

僕自身の再発見、それが今年の大きなテーマだったなあと振り返っています。

 

それだけ自分を変容させることが必要な状況に追い込まれていたということでもありますがw

それすらも神なる導きだったなと思っていて、

来年も、さらに脱皮していけるような一年になったらいいなと思っています!

 

そんな感じで、今年2024年の締めくくりとさせていただきます!

 

最後までお読みいただきありがとうございます!

よいお年をお迎えください。

来年もよろしくお願いします!

では!