逃げない自分をつくるために
人間のなかには自分の弱点を長所としてしまった人もいれば、
一生涯自分の弱点にとらわれて悩みつづけて自分の人生を台無しにした人もいる。
北風で自分をきたえた人もいれば、一生北風にさらされる自分を憐れみつづけた人もいる。自我の基盤が強固である人と脆弱である人との違いである。
はじめに言っておくが、
この本は、すさまじい本だ。
僕個人の考え方だが、
この本一冊あれば、自己啓発本は必要ない。
正直に言って、ここまで本質を書き尽くされているのなら、
その他大勢は無駄な本だと言ってもいい。
それほどに、この本には本質がつまっている。
たしかに、その他大勢の自己啓発も枝葉として活用することは可能だろう。
しかし、幹があってこその枝葉であり、
幹がしっかりしていない状態でいくら枝葉を身につけても何も意味はない。
この本こそが幹となり、
あなたの基盤になることは間違いないだろう。
この本は復刊本だ。
これが書かれたのは1980年。
僕が生まれる19年も前のことだ。
紛れもなく、この本は古典であり、
古典的名著だと言って差し支えない。
これほどのすさまじいパワーを持った本に出会ったのは久しぶりだ。
この本と似たタイプの本として例を挙げるなら、
成功の心理学
成功の掟
運命を拓く
論語と算盤
et cetera
僕は著者、加藤諦三さんを成功の心理学の訳者としか認識していなかったが、
この本を読んで、こんなすさまじい著者がいたのか!
と感服した。
著作はなんと600冊を超えているらしい。
本を100冊だせる著者は著者の中でも1%いるかどうか、
さらにその上なのである。
それだけでも著者のすごさの一端を感じられるだろう。
この本で言いたいことを一言で表すとすれば、
自己に直面せよ!
ということだろう。
この本では、自我の基盤が弱い人が取ってしまいがちな行動パターンや、
逆に自我の基盤がしっかりしている人がとる行動を解説している。
自我の基盤というと少しわかりにくいが、
言い換えれば、逆境に強いか弱いか
ということになる。
逆境に強い人間になるには、自分と直面しなくてはならない。
自分と真正面から向き合い、自分を受け入れ、改革していくことが必要不可欠だ。
しかし、今の時代、引きこもり、ニート、不登校、うつ、さまざまな心の病を言い訳に、自分の弱さと向き合うことが軽視されている。
たしかに、人よりも心が傷つきやすい性質を持っている人はいる。
しかし、その性質と向き合わなくても良いということにはならない。
うつ病になったら、自分と向き合わなくても良いというわけではない。
遺伝的にどうとか、そういう病気だから仕方ないというのは言い訳であり、
それは明らかに自分から逃げているだけだ。
本気で苦しんでいる人がいるのはわかる。
たしかに辛い現実はあるし、傷つきやすい心を持っていることは理解できる。
人によって痛みの感じ方は違うし、自分だけにしかわからない痛みがあるのだろう。
しかし、それを隠れ蓑にしてはいけない。ということだ。
自分は他人とは違う。自分の痛みは自分にしかわからない。
他人に自分の何がわかる。わかるはずがない。
そうやっていじけているだけだ。
エヴァンゲリオンのシンジ君ですら、
最終的にシンエヴァでは自分に直面し、自分の弱さを受け入れ、
立ち向かっていった。
平成の30年間ずっといじけたままのシンジですら、そうやって自分に直面し、
自分を受け入れた。そして、自分の弱さも引き受けて、それでも他者と関わる道を選択していったわけだ。
心の傷を言い訳にして、自分という殻にこもるのはイタい。
これは自戒も込めているが、
他者と関わることはめんどくさいし
自分という殻にこもっていた方が心地良い(一時)
だけど、それは結局、自分を隠蔽しているだけで、
本来の自分に嘘をついているだけなのだ。
弱い自分も、傷ついた自分も、そういう醜態をさらして生きていかなくてはいけない。
醜態をさらして生きていこうではないか。
恥ずかしい自分も見せて良い。
たしかに勇気がいることではある。
でもその勇気は諦めでもあるのだ。
恥ずかしい自分を見せる勇気、
それは言い換えると、
かっこよく見せたい自分を諦めるということだ。
かっこよく見せたい理想の自分を持つのは結構。
しかし、それを外面として取り繕っているのは仮面をかぶっているだけだ。
そうではない。
仮面をかぶるのでは無く、醜態をさらしながら成長していくのだ。
今の自分を受け入れ、全くかっこよくない自分をさらして生きていけば良い。
理想を持ち、そこに向けて成長しようとする。
しかし、今の自分をかっこよく見せない。
月並みに言えば、等身大で生きる。
それが大切だと本書を読んで実感した。
醜態をさらして生きていく。
それがこの本を読んで学んだ教訓だ。