無自覚に得意だったものとは?

小学生のころ得意だったものが人それぞれあるだろう。
僕は、作文が得意だった。
学校では、なんやかんやで感想文というものを書かされてきたわけだが、どういうわけか、周囲の人よりも早く書き上げることができていた。
内容は覚えていないが、とにかく人よりも早く書き上げることは得意だったように思う。
感想文というのは、先生に当たり障りのない適当なことをでっち上げながらとにかくも文量をこなせば終わる。
そんなもので成績が決まるわけではないから、当たり障りのないことを有る事無い事構わず書いてさっさと終わらせていたのを記憶している。
周囲の人は、僕ほどドライな人ではなかったらしく、真剣に感想文を書いていたが、僕はこんなクソみたいな作業に真剣になるのは変だなと思っていた。
別に内容を求められているわけでもなく、成績にも関係ない。ならば、適当に高速で仕上げてしまえば時間が節約できる。
小学生のときからそんなことを考えていたようだ。

少し抽象度を上げてみよう。
ここから言えるのは、僕の得意なことは、必要最低限のクオリティで高速に仕上げるということだ。
内容などは大ざっぱでスカスカなものかもしれないし、穴もあるかもしれないが、とにかく大きな枠を作るのは得意ということだ。

基本的に、こういう文章もだいたい10分、長くても20分くらいで書いている。
たぶん他の人はもっと推敲したり、緻密に考えているのだろうが、僕はこういう書き方の方が性に合っているらしい。

小学校のときに無自覚に得意だったことを思い返すと意外な才能に気付けたりする。
あなたの得意だったものはなんだろうか?

日本に生まれてきたっていうこと

 

さて、あなたはすごい人です。

なぜかって?

日本人だからです。

なぜ、日本人だとすごいのか?

日本の神霊界っていうのは魂的にいうとものすごい倍率なわけです。

神霊界っていうのは、三次元の世界ではなく、もっと高次元の世界の話で、

簡単にいうと、時間と空間を超えた世界の話です。

神様、守護霊さん、そういう存在がいる世界を神霊界といいます。

 

そして、日本には日本の神霊界があって、

神社は、その神霊界につながるための場所といういう意味合いがあるわけです。

それぞれの国に神話があるように、その土地土地にはその土地だけの神霊界があると考えられるわけです。

そんないろいろな中から、あなた(あなたの魂)は日本を選んで生まれてきた。

それを超えてきたからあなた(あなたの魂)はすごいんです。

 

は?尾崎は頭が狂ったのか?

と思ったかたもいるかもしれませんが、

僕はこの話は間違っていないと思っています。

日本っていう国に生まれるということは、

魂として成長していることが前提なんです。

 

こんなに恵まれた国に生まれるというだけで、幸運そのものです。

もし、紛争の絶えない場所に生まれていたとしたら、

今のようには生きられないでしょう。

どう生きるかを選ぶ余地はなかったかもしれません。

こんなに恵まれた国、平和な国というのは世界でも稀です。

 

そして、国民性を見ても、どんな震災が起きても、略奪行為がない。とか、

老舗企業が多いとか、犯罪率が低いとか、電車が時間通りに来るとか、

あげればきりがないほど良いところがあります。

 

たしかに、悪いところもあります。それはそうです。

ですが、ほかの国で非常識なほどの生活環境が整えられていることは事実だと思います。

 

これはいろいろな人から伺った話。

別にあなたが魂を信じる信じないにかかわらず、

あなたの魂が輪廻転生の中で、修行を積んで、

最後にいきついたのが今世、この場所、この日本なのです。

 

魂にはアメーバ時代からの記憶が宿っているといいます。

それくらいの時代からの積み重ねを経て、

今の時代に、今のタイミングで、今のあなたを選んで生まれてきた。

そう考えると、あなた自身に宿っている奇跡を感じられるのではないでしょうか?

もともと日本にはそういう考え方があって、

ご縁を大事にするのは、何万年と輪廻転生してきて、やっと出会えたと考えるからです。

僕も出会った方々にはご縁を感じますし、お互いの魂が必要だと感じて出会わせてくれたものだと思っています。

 

別にあなたがこういう風に考えなくても、もしこういう風に考えることができたら、心豊かに生きられるのではないかと思います。

 

信仰心っていうのは、別になくてもいい。でもあったら、心が豊かになる。

だからこそ、みんな信じているのです。

僕は信じる力はすごいと思っています。

根拠なしに、自分の未来に光を感じられたら、光を信じられたら、

それだけで前向きに生きられますし、

理性であれこれ考えて生きるよりも豊かな生き方だなと思います。

 

理性よりも心は次元が高い。

だからこそ、理屈なんて通用しないものかもしれない。

そういう風に考えてみてはいかがでしょうか?

 

現実の見え方が変わるかもしれません。

 

 

 

体壁についてざっくりまとめておいた

僕との会話でたまに出てくると思うのが、体壁。
体壁というのは身体のどこにエネルギーが集まるのか?
ということいよって分類した性格診断みたいなもので、
1種から10種まであります。
大きく分けて、奇数と偶数で分けることもできて、
奇数は緊張に強く外向的、実社会向きなタイプ。
偶数は緊張に弱く内向的、実社会に向いていないタイプ。

身体のどこにエネルギーが集まるかによって
価値観も変わってくるというのが体壁の理論の根底にあり、そこが面白いんですよね。
それぞれの中心にある価値観が以下のような感じ。
1種2種 善悪
3種4種 好き嫌い
5種6種 損得
7種8種 勝ち負け
9種10種 生命力

1種 研究者タイプで、物知りで知識欲が強い。自分で善悪のルールを構築して行く感じ。頭が大きい人が多い。

2種 サブカル好きで、物語が好き。理論というよりイメージが好き。善悪のルールを作るのではなくもともとあるルール従っていくタイプ。身体は線が細くシャープな感じ。

3種 好き嫌いが激しく、感情が表に現れやすい。感情が一気に沸騰する感じ。瞬間湯沸かし器。胃にエネルギーが集まるので、食欲旺盛で食べるのが好きな人が多い。

4種 好き嫌いが激しいが、感情が表に現れにくい。3種とは違いため込んで爆発させてしまうタイプ。時限爆弾。感性が敏感で気配り上手だが、気疲れしやすい。食べるのは3種と同じく好きな人が多い。

5種 損得勘定で合理的に考えるのが得意。ビジネスで活躍するのはこのタイプ。明るく快活で、ガンガン外で活躍しようとするタイプ。ひろゆきみたいなコスパ思考が好きな人が多い。前後の動きが多くて、前傾姿勢になりがち。前のめりでガンガンやるぜ!っていうタイプ。

6種 5種の損得とは違って、疲れることイコール損と思っているタイプ。おっとりしていて人の和を大切にする。事なかれ主義でひたすら寝てるのが好き。背もたれにもたれすぎて、寝てるのか座っているのかわからないような体勢になりやすい。

7種 負けず嫌いで格闘家タイプ。筋肉質で、勝負事が好き。ナンバーワンを目指している。足を組むのがクセ。ねじれ体壁と呼ばれていて、泌尿器にエネルギーが集まる。細かいことは苦手でおおざっぱな感じ。

8種 負けず嫌いだが、ナンバーワンではなくオンリーワンを目指すタイプ。僕はこの体壁だと思っていて、人と同じ事がとことん嫌い。流行にはなるべく乗らない。皮肉やジョークが好きで、口が悪い。普段はあまり口の悪さがでないように心がけている。あまのじゃく。自分が尊敬する人の話は学ぼうとするが、格下を見下す傾向がある。

9種 職人気質で、かなり偏った愛を持つタイプ。マニアックで一点集中型。没入没頭してとことんやりこむのが好きなタイプ。

10種 親分気質で、隔たりのない愛を持つタイプ。面倒見がよく、リーダーに向いている。気前が良いが、おおざっぱでもあるので人間関係が乱れやすい。

みなさんは何種っぽいでしょうか?
僕は多分、8種と6種っぽい。前までは、2種かなと思っていましたが、よくよく自分の過去や自分の感情、考え方を観察してみると、8種的な要素が強そうです。

体壁は占いとは違い、自己判断によるところが大きいので、これ!って確定できないものです。
解釈の仕方によっても見え方が変わったりもしますので、断定せずに、こんな体壁っぽいからちょっと気をつけよ~みたいな使い方をしてみると良いと思います。

深く知りたい方は、また会った時に話しましょう笑

自分は何種っぽい!みたいなコメントはとてもありがたいのでぜひよろしくお願いしたい!

落ちこぼれだと思っていたのに…

今日は、なんと大学に行ってきた。

研究室に配属されたわけだが、

学科内では落ちこぼれていた僕は、

第一希望から第五希望の研究室まですべて抽選に落ち、

やむにやまれず、今の研究室に配属された。

ちなみに、今の研究室は別に悪くない。

というかむしろ、ハズレの研究室に配属されなくて良かったとすら思う。

 

で、今日は、そのゼミのために、

わざわざ大学に行ってきたわけだ。

今日やったのは、

課題の説明をされたのと、

加速器を見学してきた。

 

なんか知らんけど、

うちの学部はタンデム加速器を持っている。

本当になんでかわからないけど、

そういう実験装置を保有していて、

聞いたところによると、

その加速器、二億円くらいするのだそう。

 

なんで、そんな資金があったの?

っていう疑問がわくが、

まあ、良いとして、

 

本題は、

落ちこぼれだと思っていたのに、

案外、落ちこぼれていなかった。ということ。

 

ゼミには、いろんな人がいるわけだが、

僕よりも全然成績が良くない人がいた。

 

それもかなり大きい差が開いていた。

 

僕は、学部の中で最も入るのが難しい学科にいる。

GPAで言うと、3.0以上でないと入れないらしい。

ちなみに、僕は1回生のときは頑張ってたから、

1回生終了時のGPAは3.05くらいw

0.05で滑り込んだというわけだ。

 

なんか知らんけど、かなりのギリギリだったらしい。

それを今日知らされたわけだ。

他の人たちの話を盗み聞きしてw

いや盗んだわけではない。断じて。

単に耳に入ってきただけ。

 

で、他の学科の人たちは、

留年したー。とか退学したー。とかっていう人もいるらしい。

「あー。なんだ。俺、意外と頑張ってんじゃん。」

って思った。

 

今までは、今の学科の中だけでしか考えられなかったから、

落ちこぼれたな。

って思っていたけれど、

ちょっと視野を広げてみたら、全然そんなことなかった。

 

別に他人を見下すわけではないし、

別に人と比較して安心しているわけではない。

 

ただ単に、僕は気持ちが軽くなった。

今まで重荷として背負っていたものが、

思い込みだった。

 

思い込みから解放されたから、

重荷からも解放された。

 

はあ。

本当に今までの悩みはなんだったのだろう。

高学歴なんて本当になるもんじゃないな。

って思うw

こんな無駄な悩み事ってないよなあ。

 

取り越し苦労も取り越し苦労。

無駄。無駄。無駄。

 

マジでバカだわ。って自分自身にあきれた。

 

っていう話です。

 

沈黙は贅沢だ。

沈黙は贅沢だと僕は思う。

世の中では沈黙は敵で、

沈黙しているよりも話している方に価値があると思われている。

たしかに、それはそうなのかもしれない。

沈黙しているよりも、なにか話していたほうが、

時間の使い方として有効かのように思える。

 

けれど、親しい友人ほど沈黙を共有できるはずだ。

別に何もしていなくても、

なにも喋らなくても一緒にいることができる。

そういう人こそ親友だ。

無意味なバカバカしいことを一緒にできる人こそ親友だと僕は思う。

どうしてか、女子の方々を見ていると、

どうしてそうも沈黙を嫌うのか?と疑問に思う。

何なら、僕が沈黙していると責められる。

僕だって話したかったら話すわけで、

そもそも、僕はあんまりしゃべる方ではない。

 

しゃべるのは別に得意だが、

共通の話題を探して、わざわざそれについて語るのがめんどくさいだけだ。

そしてたいてい、僕は語れることが多い。

いろんな話を語りだすときりがない。

 

だから、一方的に教えることは得意だし、

そういう立場がしっかりしているなら、

僕はいつまででも喋り続けられるかもしれない。

 

でもたいてい、立場は明確ではないし、

上下も貴賤も右も左もない。

だからどこまで踏み込んで話していいのか、

よくわからなくなったりもする。

 

よくわからないから黙る。

別に相手を傷つける必要性もないし、

説得したいわけでもないから。

それに僕が意見を言う必要性もないから。

干渉する必要もないし、干渉されたくもない。

 

相手から話してほしいと言われれば別に話せると思うが、

僕は自分からわざわざ自分の正義を押し付けるのが大嫌いだ。

家族くらいには自分の正義を押し付けることもあるかもしれないが、

友人関係においてそれをやる必要はないし、

別に誰もそんなことを求めてはいない。

 

話がそれたが、

沈黙というのは贅沢なのだ。

何もしていなくてもそこにいても良い。

お互いでそうやって許し合っていなければ、

沈黙を共有することはできない。

 

別に何も語らずとも時間を共有できるというのは

贅沢な話だ。

 

たまにそういう贅沢がしたくなる。

もう少し、沈黙の価値を見直したほうが良いと思う。

語らないことと語れないことは別の次元の話で、

語ってほしいなら、黙って話を聞く姿勢を見せるべき。

聞く耳を持ってもいないのに、

黙っている人を咎めるのはもうやめたらどうだろうか。

 

 

無料動画の限界

最近、YouTubeからこんなニュースが流れてきた。

news.yahoo.co.jp

なんとYouTubeが新型コロナを含めてすべてのワクチンに対する反対意見を潰すそうだ。

明らかにこれはおかしい。

なぜなら、ワクチンは毒だから。そもそも打つ必要性が皆無だし、健康な人が打つ意味は全くない。

真面目に考えるならば、これは明らかな言論統制であり、

表現の自由言論の自由という日本の憲法に反する行為なわけ。

これをさも平然と行ってしまうのが狂っている。

 

前から、内海先生や、吉野先生などのワクチンの真実を語る系の先生がたの動画がバンバン消されていっていた。

これはおかしい!明らかに言論統制だ!ってずっと思っていたし、

もうYouTubeには限界が来ているな。

とも思っていたが、まだYouTube側も隠語を使ったりしている動画には手を出せなかった。

しかし、今回のニュースを見ていると、どうも隠語すら使えないのではないかと思えてくる。

こうなってくると、もうYouTubeからは離れる必要がある。

 

本当に価値のある発信をしている人の動画に対して課金をして、

自ら情報を取るようにしていくほかない。

 

もう僕も覚悟を決めて、内海聡先生のニコ動の月額課金を始めた。

前からやろうとは思っていたのだけれど、今回の件をきっかけとして、

今後もそういう流れは増えてくだろう。

そうなると、これからの時代は無料動画で広告費を稼ぐのではなく、

直接見てくれる人からお金をもらうシステムに変わっていくのだろう。

YouTubeのメンバーシップなどもそうだったが、

他のプラットフォームでそういうことが増えていくのだと思う。

 

もしこれからニコ動でも言論封鎖が行われるのであれば、

また他の動画プラットフォームで発信する人が現れる。

そう考えてみると、これからの時代はプラットフォーム戦争も起こってくるかもしれない。

YouTubeに変わる動画メディアが出てくることも大いにあり得る話。

検索エンジンで言うところのダックダックゴーみたいな、

本当に良心的な動画メディアが出てくることを期待する。

 

Googleはぶっちゃけあっち側(ディープステート)なので、

結局はあっち側の利益になるようなことしかしない。

 

今後はあっち側のこともどんどん明らかになっていくのだろうし

気づく人も増えてくるかもしれない。

 

でも、まあ手遅れなんだけど。

内海先生のニコ動を見る限りでは、もう手遅れ。

ワクチンを打った方々には申し訳ないが、

もうあなた方は手遅れですw

かわいそうに。

【生き方の指針】結局はみんなのことが好きっていうこと(笑)

常々思っていることだけれど、

やっぱり僕は身体感覚を大事にしていきたい。

 

そう強く思っている。

今の世の中、オンライン空間があるから、

どうしても、

人と人とがわざわざ会わなくてもいいようになってしまっている。

 

身近にいる人ですら、

テキストメッセージだけのやりとり。

仲の良い人ともたまにしか会わない。

 

もしかしたら、僕以外の人はどうでもいいのかもしれないけれど、

僕はやはりリアルな実感として同じ空間を共有したり、

同じ時間を共有したりすることを諦めたくはない。

 

どんなにまどろっこしいめんどくさいことであったとしても、

それは死守するべきことであって、

どんなにそこから目をそむけてみたところで、

結局は人間は人間なのだと。

 

生物としての人間とか、

身体感覚を有した存在として、

つまり言いたいのは、

生身の感覚とか、

肌感覚とか、

そういう「本来の人間らしさ」を持ったまま生きていきたい。

 

今日もそれを強く感じたし、

たとえ、僕が何をしていても、

何もしていなくても、

誰かが同じ空間でしゃべっていたり、

同じ釜の飯を食ったり、

そういう人間的な、

あまりに人間的な営みがどうやっても好きでたまらない。

 

僕の本質として、天の邪鬼であるから、

あえて本当に楽しいときとか嬉しいときに、

感情を表に出さないようにしたり、(できてるかは知らんけど)

特に女の子の前では、ちょっとおとなしそうに(大人らしく?)演じてみたり、

あんまり本来の子供っぽさを出さないようにしている。

たぶん、やっぱり男として強く在りたいとかそういう気持ちが強いのだと思う。

結局、メッキに過ぎないのだけれど(笑)見栄っ張りなんだろうね。

 

たまーにそういう自分を客観視すると、

とても愚かでとても滑稽に感じるけれど、

それでもそれが僕という存在で、

そういう性質までもがもはや愛しいとすら感じる。

 

今回の話に関連している僕が大っっっ好きな本を一冊紹介してみる。

スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方 (ポプラ新書)

その本がこの本。

この本は本当に面白いし、

これからの社会を生きる上でも大切なことが書かれているので、

ぜひ手にとってみてほしい。

 

この本で言いたいのは、

一言でまとめると、

生物としての人間という意識を取り戻せ!

っていうこと。

 

スマホやらパソコンやら、

デジタルデバイスによって、

僕たちは生物としての人間らしさを失っていると。

 

僕は上でも書いたように、

これには完全同意。

本当に、大事なことだと思う。

 

僕がわざわざ人と会う機会を作ろうとするのも、

わざわざ飯を一緒に食おうとするのも、

結局は、みんなと仲良くなりたいし、

そうやって信頼できる人たちに囲まれて生きたいから。

 

だから、僕は多少無理やりにでも人には会うようにしたい。

こんな世の中になって、本当に悲しく思う。

人と人とがお互いの体温を感じながら、

人の温かみを感じながら生きていける世の中のほうが絶対に良い!

 

どんなことがあっても、僕はそれを信じているし、

今後もそれは変わらないことだと思う。

 

人のぬくもり、温かみ、慈しみ、愛しさ、

そんな生身の感覚と、

心の奥が暖かくなるようなそんなものを大事にしていきたい。

 

こんなことを言っているとバカなやつだと思われるかもしれないけれど、

それでも僕は人に愛されたり、人を愛したり、

そうやって生み出される愛念(あいねん)こそが人には必要だし、

僕はいつもみんなが明るく、軽く、暖かく、熱く、元気になってもらえるように祈っているし、今後もそれは変わらない。

僕の行動原理は愛念。人間愛。でありたい。

結局、みんなのことが好きってこと。

なんていう告白をしてみた(笑)