相反するものを統合するために大切な「対話」 友達とケンカしたことから学んだことw

こんにちは。

おざきです。

今回は、対話の重要性ということをテーマに最近学んだことを書いていきます。

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最近、テーマになっているのが、昭和と平成の価値観の違いについてです。

 

要は昭和と平成で、全く価値観が違う。

昭和は、物質的な豊かさを追い求める

平成は、精神的な豊かさを追い求める。

 

そういう点から、昭和と平成の対立という構造が、浮かび上がってくるわけです。

 

この二つを統合するために、大切なのが、

昭和は歩み寄る姿勢

平成は一歩踏み出す姿勢

です。

 

昭和は、何かと、高圧的になりがち。

自分の当たり前を押しつけがちなんですね。

 

平成世代からすると、その圧が強すぎて、気後れしてしまう。

そういうことが重なると、圧力におられてしまって、立ち直れなくなってしまう。

そういうことが多いんですよね。

 

逆に、平成世代は、敏感になりすぎて、相手を誤解しがち。

コミュ障という言葉が平成世代の間では使われますが、

要は、自分フィールドを作ってしまって、

自分の中だけで完結してしまう。

 

だから、相手のことを知りもしないうちから、誤解してしまって、

「あの人はこうに違いない」

みたいな偏見を作ってしまうのです。

 

その結果の誤解であり、

平成世代には、昭和世代に一歩歩み寄る姿勢が大切になってきます。

 

そして、昭和が歩み寄り、平成が一歩踏み出したら、

対話が大切なんですよね。

 

お互いに、言いたいこと、思っていることを伝えるんです。

 

言い方には気を遣う必要がありますし、

言葉選びは大切ですが、

昭和と平成が対立していると、お互いに敬遠してしまう。

 

その結果、愚痴、不平、不満をためこんでしまって、

平成の心が折れてしまうか、昭和が激おこになってしまう。

 

そうならないために、小さいことでもことあるごとに、対話していくのです。

 

最近、僕もよく対話を心がけています。

 

ちょっとしたことで、友達とSNSで喧嘩してしまったんです。

本当に些細なこと。

ちょっとツイッターで僕が意見をつぶやいたら、

友達がそれを批判してきたんですよね。

 

友達はそのツイッターの投稿に対して、批判をしただけなのですが、

僕は、「あいつにはこれだけの貸しがあるのに、批判された…」

みたいな感じに思ってしまって、

喧嘩に発展してしまったんです

 

喧嘩というか、

僕が一方的にブロックしてしまっただけなんですけど。

 

まあ、僕もついカッとなってしまっただけで、

少し時間が経った後にやり過ぎたなと思ったので、

 

もう一人の友達とご飯に行って相談して話を聞いてもらったんです。

 

そして、その他の友達に客観的な意見をもらって、

その結果、喧嘩した友達にちゃんと謝って、それで言いたいことも言って、言われて、

仲直りすることができました。

 

こういう感じで、一方的にふさぎこんでしまったり、

拒絶してしまうのが僕の悪いクセなのですが、

 

友達に伝えたのは、

「今後もこういうことはあるだろう」

「だから、ちゃんと対話する機会を設けてほしい」

ということです。

 

 

ある意味、僕と友達は平成と昭和の対立に似ているんです。

僕が平成のようにふさぎこんでしまって、

友達は昭和のように自分の当たり前を押しつけてしまった。

 

先ほどのように、対話をしていくことで、

その相反するものの着地点を探っていくことができます。

 

この世界は、善悪二元論的に、簡単に決まるものではない。

だからこそ、みんなで対話を重ねていく必要があるように思います。

 

 

今回は、対話の重要性について書いてみました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。