剣道から学ぶ「美意識」

 

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こんばんは。

おざきです。

今日は剣道の稽古に行ってきました。

最近は2週間に一回くらいのペースで剣道をやれています。

本来は週1回くらいのペースでできるのが理想的なのですが、

今は春休みということもあって、それくらいでも良い感じです。

 

今日は「左手で攻める」ということと、「下がらない」ということを意識して稽古しました。

というのも、前回の稽古で先生に指摘されたのが、「左手」と「下がる」ことだったので、

今回はそれを意識して行いました。

 

さて、前置きはさておき、

剣道というものは非常に奥深く、いつまでたっても進歩しているのかどうかわからない。

昔から言われている大事なことは変わらないのに、いつまでたっても同じ事を注意されているような気がする。

いや、ある一時期乗り越えたつもりになっているが、それがまた何年後かに課題として顕在化する。

 

ニーチェのいう永劫回帰みたいな感じ。

 

剣道の場合は、永劫回帰というより永劫螺旋。

おんなじところをグルグルまわっているかに見えるのですが、

実際は、成長していますから、同じ悩みを持ったとしても、少し高い次元から悩んでいるという感じです。

 

螺旋階段をずーっと上がっていくようなもの。

 

人間のDNAも二重螺旋で、らせん状の構造なわけですが、

剣道もらせん状です。

 

道というものを極めようと思ったら、それはそれは大変なものです。

 

いや、極めたと言える境地すらどこにあるのかわからない。

本来極めた人などいないのかもしれない。

「極めているようにしか思えない人」はたくさんいるけど。

 

永遠に続く道。

 

剣道というのは不思議なもので、

正道を貫く剣道をする人しか続けないのです。

 

中学のときなどは、いろんな人が剣道をやります。

邪道の剣道をやる人もいますし、正直汚い剣道をする人も多い。

しかし、高校、大学と上に上がって行くにつれて、邪道の剣道をする人が減っていく。

 

これはおそらく、学生剣道にありがちな、「勝つ剣道」に由来するものだと思う。

邪道の剣道が正道の剣道に勝つことなんてあるの?

と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。

 

あるんです。

 

実際に試合などを見ていると、

「絶対にこっちの人の剣道の方が美しいのに…」

とやるせない気分になることもしばしば。

 

ときには正道が邪道に負けることはあります。

 

しかし、大人になるにつれて、邪道の剣道をする人は少なくなっていく。

 

試合における価値がだんだん薄れていくからだと思います。

 

学生や若い未熟者は、試合に重きをおきます。(僕も含めて)

未熟者は競争の中でナンバーワンを目指さなければ鍛えられないからです。

 

しかし、大人になるにつれて、試合の機会は減っていきます。

どっちかというと段審査の方に重きを置かれる方が多い。

 

剣道は、ぶっちゃけ勝つだけなら邪道の方が楽だと思います。

なぜなら、効率的だから。

試合で無理矢理にでも押し出した方が効率が良いし、

竹刀を落とさせるようなテクニックを使った方が効率が良いのです。

 

しかし、剣道の目的は人間形成。

美しい人間性を兼ね備えた人物を目指すのが剣道なわけで、

そんなことをしている奴は美しくない。

 

美しくかつ強くあろうとする。

その気持ちが強い人ほど剣道を続けるのだと思います。

 

余談ですが、最近の本には「美意識」がテーマに上がっているものが多いです。

たとえば、

 

 

 

 などなど。

 

マルクスガブリエル氏は、最後、個人の生のあり方において、

人が生きていると真に感じるのは「美」を感じたときであり、美しさを感じる体験を増やすのが大切だ。

という結論を導いていますが、

美の極地、リミット無限大を目指すのが「道」です。

 

美しさの極地を追い求める、問い続けるのが道なのです。

道の探究方法はそれぞれ異なります。

剣道の場合は剣、刀

茶道の場合はお茶

弓道の場合は弓

と、それぞれ表現方法は異なるものの、根本的に道を探求する。

根本的には「美」という一つの根源につながっているのです。

 

今後の世界において美意識というテーマを重要に感じている知恵者が多く出てきていることに何かしらの裏テーマを感じます。

 

人間の美意識が世界で問われている。

ウイルスによって、美しくない人たちの行動が浮き彫りになった。

人々がこの美しくない方向に向かう世界に疑問を持ち始めた。

 

のかもしれません。

 

そういう時代において、剣道や茶道、道のつく日本の古来からの伝統は非常に示唆に富むものだと思わざるをえません。

 

剣道をやっていることに何かしらの縁を感じますし、今後も剣道を通じて学んでいきたいと思っている所存です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。