情報を得ること、不安になること、博打を打つこと

最近、決断をするときに、どうするべきなのか、と考える。

例えば、新しいバイトを決める時、

いくつか選択肢があったとする。

そのとき、今であれば、

タウンワークや、

他のサイトで口コミとかも

見ることができると思う。

 

そうやって情報を得ることができる。

情報を得ることは大切なのだと思う。

情報を事前に知っているか、知らないかで、

後悔するか、しないで済むか、

それが変わってくるからだ。

 

僕はどちらかというと、

そういう情報を取るのが苦手だ。

情報がたくさんあって、

いろんな条件を知って、

それで比較して検討するのが苦手だ。

 

情報というのは、良い情報もあれば単にネガティブになるだけの情報もある。

だから、究極的には、

情報をいくら得ても、

プラスとマイナスを考えると、

そんなに変わらないのではないか、

と思ってしまう。

 

しかも、僕が知りたい情報は載っていないことも多い。

知りたい情報を得ることはできず、

それなのにネガティブな情報だけを得て、

決断がブレる。

そんな状況に陥ることがある。

 

ネットの情報というのは、バイアスがかかった生の情報ではない。

投稿者の主観を通したものにすぎない。

 

そういう情報であることを忘れてしまうこともあるし、無駄に不安になって、無駄にエネルギーを浪費することにもなりかねない。

 

最終的には、えいや!という賭けに出るような気持ちで情報ではないところ、

つまり、興味や、好奇心や、思い、というものを重視して、

博打を打つことも一興なのではないかと思う。

 

願わくば、後悔も少ない方がいい、

願わくば、自分の望む条件に当てはまることを。

しかし、わからないことに悩んでも仕方ない。

どうなるかは、神のみぞ知るところ。

神ながらたまちはえませ。

(結果は神様に全託いたします)

そうやって、わからない未来に突っ込んでいくのは、僕に合っている気がする。