もうすぐ、研究室の先輩が卒業してしまう。
僕にとって、この一年は、本当にありがたい一年だった。
特にありがたかったのは先輩の存在だった。
確かに同期の存在も先生の存在もありがたいものだったけれど、
先輩がいてくれて本当に良かったな、と思う。
先輩は、僕に足りない部分を指摘してくれた。
僕にはない観点、おろそかになりがちな観点、
それを忌憚なく指摘してくれる人だった。
はじめのころは、
自分にはない思考だったり、
自分には苦手な考え方だったりして、
受け入れがたい!
そんな考え方したくない!
そんなこと考えなくてもええやん!
って思っていたものだった。
でも今思えば、
自分にはない考え方を教えてくれる人、
自分に足りない部分を指摘してくれる人、
そういう人は、本当にありがたい存在なのだ。
耳の痛いことを言ってくれる人っていうのは、
一見すると厳しいけれど、
それだけ自分に愛を向けてくれているのだ。
そもそもそうやって耳の痛いことを人にいうのは、
めんどくさい。別に言わなくても、指摘しなくても、スルーしてしまえる。
なぜなら、他人だから。他人にいちいち口出しする必要はないから。
でもそれでも、あえて言ってくれる人っていうのは、
自分に愛を向けてくれている人だと僕は思うようになった。
今までもそうだった。
中学の剣道部の顧問だったり、
塾の先生、
厳しいけれど、愛の深い人に出会った最初のころは、
第一印象は最悪だった。
なんで、そんなに言われなければならないのだ!
理不尽だ!放っておいてくれ!
って反発したものだった。
けれど、やはり、後になってみれば、
そういう耳の痛いことを言ってくれる人っていうのが、
僕の人生にとって転機のきっかけを与えてくれていたり、
僕の成長を促してくれている人だったりする。
そりゃ、最初のころは、反発してしまうかもしれない。
そりゃ、渦中にいるときは、心中穏やかな状態を保っていられないかもしれない。
それでもいいのだ。
僕にはもうわかっている。
そういう耳の痛いことを言ってくれる人こそが、
僕にとって本当にありがたい人なのだと。
これからも、必要なタイミングで、そういう人が現れてくれるのかもしれない。
そんな人に出会ったのなら、僕は今よりも、その人との時間を大切に過ごしたい。
そんな風に思っている今日この頃。
にしても、卒業シーズンはさみしい。