最近の悩みは、忙しいこと
「忙」という漢字の示す通り、
どんどん心が亡くなっていく。
僕は大学の4年間は忙しかったことの方が少なかったように思う。
忙しかったのは、卒論や卒業研究の期間くらいのものだっただろう。
それなのに、最近はやたらと忙しい。
やることが多い。
文字通り、忙殺されている。
忙しいという状態は良い状態だと僕には思えない。
忙しい状態は悪い状態だと思っている。
でも、人生においては、
たぶん忙しい時期も当然ながらあって、
忙しい時期があるからこそ
忙しくない時期のありがたさも分かるというものなのかもしれない。
忙しい中でも、どうすれば、心のゆとりをたもち、
精神的に豊かに過ごすことができるのだろうか?
忙しい中でもうまくやれば、
心を亡くさないでおけるはずだ。
自己啓発本の一つのメインテーマは、時間の使い方にあると思う。
世の中には忙しい日々を送っている人が多いのだと思うし、
だからこそ、忙しい中でもうまく時間を使って、
豊かに生活したいと願っている人がたくさんいるんだと思う。
今まで、いろんな時間術の本を読んできたけれど、
うまく時間を生み出すには、無駄な時間を把握して、
その無駄なスキマ時間にやることをあらかじめ決めておく、
というのが、一つの処方箋として挙げられている。
うまく時間を捻出する、というのは、
忙しい中でも精神的に豊かに生活する上で必要不可欠なのだと僕も思う。
でも、なんかしっくりこない。
僕が忙しいというとき、
たぶん未来に対して忙しいと言っている。
予想される仕事量とか作業量とかに対して、忙しいな、
と口にしているときが多い気がする。
要するに未来に対する不満。
それが忙しいということなのかな、
とふと思った。
未来に、もっとこうやりたい、ああしたい、
ということがあるのにも関わらず、
それができないことが予想される。
そんなときに忙しい、と口にしているのではないだろうか。
だから、たしかにスキマ時間に何をするかを決めておいて、
それによって、普段の作業をスキマ時間で終わらせてしまうことで、
自分が自由に使える時間を確保することは大切なのだけれど、
僕の思っている忙しいとは少し解離しているのだ。
未来が忙しいと予想されることに対して不満があり、
それをどうにかして、暇になりたい、と思っているときに、
どうすればいいのだろうか?
予定が埋まっている、ということが単に嫌い。
ということもあるのかもしれない。
明日の予定は明日考えたい。
予定が埋まっているときに、
どうしたら心を軽くすることができるのだろう。
その予定に対して過度な不安を抱かずにいられるのだろう。
埋まっている予定に対して、ネガティブにならずに、
気楽に過ごすためにはどうしたらいいのだろう。
これは、僕にとってのテーマなのかもしれない。
また、考えてみる。