凪良ゆうさんの「流浪の月」を読んだので、その感想を書いておこうと思う。
まず、ストーリーが面白かった。
読みながら、先の展開は読めたし、その読み通りの展開だったけれど、
終始、不穏な空気感があって、おもしろかった。
不穏な空気感っていうのは、危うさと言い換えてもいい。
主人公である更紗と文の関係性しかり、更紗と亮の関係性しかり、
いずれにしても、危うくて、もろくて、はかない感じの空気感が漂っていた。
生々しい描写が後半になるにつれて増えていく。
恋愛の終わりかけってなぜあんなにも危険な感じなのだろう。
お互いに平和に終わることのない恋愛って本当にどうしようもなくて、
そのどうしようもなさを描くのが上手だなあと感心した。
更紗と亮の恋愛って、どこか他人事のようで他人事ではなくて、
もしかしたら自分の中にも同様の暴力性があるんじゃないか、と疑う気持ちも湧いてきた。
更紗と亮の喧嘩の中に、なぜあなたの許可が必要なのか?
というような内容のことを言っている描写があったが、
その通りだなあと思った。
たとえ恋人であったとしても、個人の行動に許可はいらない。
よほどのことでもない限り、という意味に限定はされるけれど、
普通に生きる(自分の意志を持って行動すること)は誰の許可も必要ないのだ。
行きたいところがあるのなら勝手に行けばいいし、
どうしてもやりたいことがあるのなら、やればいいのだ。
誰かの伺いを立てる必要なんてそこには存在しない。
また、文体も非常に読みやすくきれいな文体で、
後半は電車の中で一気に読んでしまった。
映画化もされているみたいだけれど、
描写の一つ一つが丁寧で、
頭の中に自然と映像が流れてきたから、
映画化するのは難しくなかっただろうなと想像した。
頭の中に映像が浮かんでくるような文章を書くことができることは、
一つの文才の形なんだなと思った。
僕にはそんな才能はないのだろうし、特別な才能だなあと思った。
あとは、文も更紗も亮もみんな救いを求めて生きているんだなというのも印象的だった。
現代に生きていたら、別に何もしていなくても息苦しさや閉塞感を感じてしまう。
そんな中で、人々は何かに救いを求めているのだと思う。
この作品ではデジタルタトゥーをテーマに取り上げているけれど、
高度に発達したネット社会では、一つのミスや一度の過ちが半永久的に残り続けてしまう恐ろしさがある。
誰もがその恐怖を感じているのと同時に、対岸の火事状態を維持したくて、あぶれているものを断罪しがちな傾向にあるのだと思う。
たぶん、その対岸の火事状態の野次馬ですら、何かにすがりたいし、何かに救いを求めているのだと思う。
どれだけ変わっていても、どれだけ非常識であっても、
誰かひとり、自分が心を本当に許すことのできる人がいる、
それがこの物語での救いだったけれど、
救いは人それぞれ違った形があるはずだ。
救いを信仰に求める人もいるだろうし、
勉学に求める人もいるだろうし、
社会的な成功に求める人もいるのだろう。
それと、朝井リョウの「正欲」ともつながる部分があったような気がする。
「正欲」との関連性も考察してみると面白いかもしれない。
そんな感じでいい作品だったので、
おすすめです
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
では!