あなたは一回り年上の人に「やりたいことってなんかあるの?」と聞かれたことはないだろうか。
僕は、この質問が心底嫌いである。
やりたいこと。
とても曖昧な言葉だ。
やりたい「こと」というのは、何を指すのかその質問だけでは意味がわからない。
もっと具体的に抽象度を下げて質問するべきだ。
将来大学で研究したいテーマはなんですか?と聞かれたら僕は快く答えることができるだろう。
将来やってみたい業種はあるんですか?
これも普通に答えることができる。
しかし、やりたいことってなんかあるの?はアバウト過ぎはしないだろうか。
やりたいことなんていくらでもあるからわからない。としか答えることができない。
それで、それを短縮して、わからない。と答えると答えた側が負けた感がある。
これは横暴というものだ。
もし、あなたがぼくと同じような体験をし、不快な思いを抱いたなら、それはあなたのせいでは決してない。
その質問者が悪いのだ。
質問者の意図をくみ取るのは大切かもしれないが、答える側の将来について、未来について答えてもらうのにもかかわらず、曖昧な聞き方しかできないというのは、失礼だと思う。
そういう意味でも、僕は「やりたいことってなんですか?」という質問を嫌悪する。
それにしても、質問力というテーマは奥が深い。
若いうちに質問力を磨け!というのはよくあるビジネス書の言い回しに過ぎないが、それは間違っていない。
若いうちにいい質問、相手に好意を抱かれるような質問の仕方を身につけているだけでどれだけチャンスを得られるかわからない。
良い質問というのは、自分の頭で練っている質問だ。
自分の頭で練りに練った質問というのは、相手に対しての敬意を伝えることもできるし、自分の中で腑に落ちない部分を相手から聞くこともできる。
結局、質問力を磨くのには、自分の頭で練る、疑問を自分の中に寝かせることが必要になってくる。
すぐその場でパッと質問できることは素晴らしいが、時間がかかっても、自分の頭で練った質問をできることもそれと同じくらい素晴らしいことだ。
最初は時間がかかってもいい。
あなたは、漠然とした相手を不快にする質問をしていないだろうか。
僕もまだ未熟だし、まだまだ質問力を磨いていく。
あなたもぜひ質問力を磨いて、チャンスをつかめますように。