「ハイキュー」は永遠に見ていられる。また一話目から見ているお盆。

世間はお盆休みだけれど、

僕も一応今週は休みで、ゆっくりしている。

最近あまり更新できていなかったブログも、

暇すぎて更新することができている。

 

皆さんは、どんなお盆を過ごしていたのだろうか。

とりあえず、今日くらいから仕事に復帰される方も多いようだけれど、

どこかに旅行に行ったり、遊びに行ったりと、

良い休日を過ごされたのではないかと、勝手に想像している。

 

僕は、また「ハイキュー」を一話目から見ている。

僕は今まで、「ハイキュー」のアニメは5周以上している。

コロナ禍は本当にずっと「ハイキュー」を見ていた気がする。

ちなみに、僕は漫画もほぼ全巻持っている。

たまに、漫画も読み返したりする。

 

そんだけ、ハイキューを周回しているのに、

まったく飽きない。

これは困ったものだ。

 

普通、5周もしたら飽きてくるものなのだけれど、

ちっとも飽きない。異例の事態である。

 

でも、僕にはこれに似た経験がある。

それは「サマーウォーズ」だ。

高校二年の夏休み、僕は毎日「サマーウォーズ」を見ていた。

毎日である。

軽く20周くらいはしていると思っていい。

それくらい何回も見ているのにも関わらず、

サマーウォーズは飽きない。毎年必ず見ている。

 

ハイキューもサマーウォーズにまったく劣らず、

僕は今後も何回も見ることになるだろう。

 

ハイキューの良さってどこにあるだろう?

といつも考えている。

いろんな良い要素があるのだけれど、

最近思っているのは、キャラの名前だ。

 

例えば、影山飛雄、日向翔陽

日と影という対比。

飛ぶと翔るの対比。

こういう名前による対比をいたるところで、用いているのが、

ハイキューの特徴だ。

影山飛雄と及川徹

トビウオとオイカワという魚の名前を使って、

ライバル関係を示していたりもする。

 

そして、そういう対極の名前のキャラどうしが、

切磋琢磨しながら、和合、融合しながら、

チームとして個性を生かしながら成長していく。

 

今の世の中というのは、

どっちかというと、個性を殺しながら生きている人が大半だと思う。

ハイキューには、個性を最大限に生かしながら、

全体としても前に進んでいくことが描かれていて、

良きチームの在り方みたいなものを、学ぶことができると思っている。

 

まあ、名前という観点でいうと、

自然を名前にあてがっていて、

その自然のイメージにあったキャラクターとして描いているのも、

ハイキューを面白くしている一因な気がしている。

 

よく占いとかでも、性格を自然に例えたりする。

例えば、壬(みずのえ)という性質をもった人は、

海に例えられたりするし、

癸(みずのと)という性質をもった人は、

雨に例えられたりもする。

 

もともと古来から、人間には自然が宿る、

という考え方が東洋にはあるから、

自然の名前をキャラの名前にしているのは、

日本人にとって、なじみやすいことなのかもしれない。

 

ことわざにも、

名は体を表すという言葉があるけれど、

まさにハイキューのキャラたちは、

名が体を表しているな、といつも思う。

 

ということで、またハイキューを見るのでこの辺で。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

では!