「灰の劇場」を読んだので、感想を書いておく。

久しぶりに、恩田陸さんの小説を読んだ。

 

 

恩田陸さんの小説にハマったのは、

大学1年の時だったと思う。

大学1年のときは、とにかく知性を高めようと、

高い知性に触れたい!っていう欲求が強くあって、

佐藤優さんの本を読んでいた。

 

佐藤優さんの本の中で、

恩田陸さんの「夜のピクニック」が紹介されていたのだった。

それで、「夜のピクニック」を読んでみたら、

めっちゃ面白くて、深い学びもあり、

とにかくいい小説だった。

 

小説の一つの効能として、

人生観をストーリーを通して深められるということが挙げられる。

恩田陸さんの小説は、何かしら、

人生観を深められるような視点が盛り込まれているように思う。

それは、今回読んだ「灰の劇場」でもそうだった。

 

この小説は、事実を基にした小説で、

一風変わった構成をとっている。

「事実」は、一緒に暮らしていた女性二人が飛び降り自殺をするということで、

その事実を基にした女性二人に対する想像の部分と、

「灰の劇場」を執筆している筆者のエッセイ的な部分から構成されている。

「灰の劇場」が舞台化されるという設定の小説の部分もある。

 

それらの部分が入れ替わりながら、話が進んでいく。

まあ、当然ながら結末は「事実」に行きつくわけだから、

読み始めなくても、結末は想像がつく。

 

「灰の劇場」

を読んで、思ったのは、

生活を選ぶのか、人生を選ぶのか、ということである。

この「灰の劇場」に登場するMとTという二人の女性(飛び降り自殺をする二人)

がいるのだが、

Tは、早々と結婚して、身を固める。

けれど、すぐに本当は夫のことがすきではないことを悟り、

結局のところ、離婚する。

 

なんということだろう、あたしにも感情というものがあったのだ、夢見がちで、無邪気で、うじうじした、娘らしい感情が。

なのに、自分にはそんなものなどないと思っていた。ずっと押し殺してきたもの、見ないふりをしてきたものに気付かないふりをして、重大な決断をしてしまったのだ。

灰の劇場, 河出文庫, 恩田陸, 94頁

 

これは、Tが、結婚に対して後悔の念を抱いている場面。

Tは、生活を選んで結婚した。

安定した生活を求めて、自分の感情を無視して、条件で結婚を選択したのだ。

 

僕も、もう24歳であり、

結婚というものについて考えたりする夜があったりする。

 

結婚する相手などいないのに、

漠然と、もう20代中盤か、

みたいな気分と同時に、結婚ってどんな感じなんやろ?

みたいな漠然とした妄想みたいなものだ。

 

僕は、昔にブログで恋愛観について語ったことがあった。

 

zakioza.hatenablog.jp

もう3年前か。

めっちゃ懐かしい。

 

根本的には、当時に書いた恋愛観と変わってはない。

ただ、もっと現実的な部分を思い浮かべる。

ずっと一人で生活していく寂しさについて考える。

 

世の中で結婚する人の大半は、純粋にその人を愛しているというよりも、

自分を大切にしたいという思いから、結婚しているのではないか、

と思ってしまう。

 

本来の結婚というのは、

愛を社会的な形にしたものであるはずだけれど、

それは形骸化していて、

中身の伴わない、形だけのポーズになっているような気がする。

 

けれど、一人の寂しさもこの歳になると考える。

独りぼっちで生活していくのは、思っているよりもきついことだ。

考えただけでも鬱屈した気持ちになってくる。

 

寂しさをどうにかしたい、

寂しい思いをしたくない、

そういうネガティブな動機の結婚は、

今や当たり前になってきているのかもしれない。

 

女性の場合は、子供を産んでみたいという場合もあるかもしれない、

お母さんという立場にあこがれを抱いている人もいるのかもしれない。

 

いずれにしても、相手を愛しているから、結婚するというわけではない。

 

これらは、すべて生活を選んだ結果なのだと思う。

先ほど引用したTの後悔は、生活を選んで利口に生きようとした、

けれども、利口に生きられない自分を自分の中に見た、

ということだと僕は思う。

 

たしかに、頭で考えれば、条件が良い方がいいし、

結婚してさみしくない方がいい。

自分のあこがれをかなえられた方がいい。

けれど、人生は頭ではない部分の決断の方が大事だ。

 

もっと言うと、

腹や胸から湧き上がってくる思いによる決断の方が大事だ。

 

えてして、そういう決断は、

一見すると損に思えたりする。

頭ではそっちに行かない方がいい、

とわかっているのに、

行ってしまう、とか、

 

そっちに行くのは怖い、

でも、

行きたくなる、とか、

 

そういう感じの決断だ。

もし、その決断を迫られたときに頭で理屈で自分を押し殺すとどうなるか、

人間はクズになる。これはわかりきっていることなのだ。

 

別に、生活と人生のどちらかを選ぶかという決断を迫られたときに、

毎回、人生を選び続けるのは難しいかもしれない。

 

でも、ここぞ!

というときには、絶対に人生を選び取る勇気がいる。

 

その、ここぞ!のときが、

結婚の人もいるだろうし、

就職の人もいるだろうし、

受験勉強の人もいるかもしれない、

 

いずれにしても、ここぞ!っていうときに逃げないことを心にとめておくしかない。

 

まだまだ、いろいろ書けそうだけれど、

ボリューミーな内容になってしまったので、

またの機会にとっておく!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

では!

 

追記(2024/03/16)

生活を選ぶか、人生を選ぶか、という二者択一で全ての選択を分けるような書き方をしてしまっているけれど、

本来、人生と生活は切り分けることのできないものである。

1番良いのは、生活も人生も諦めないことなのだと思う。

うまくその折り合いをつけていくのも、また人生の一部のような気がする。

ただ、ここぞ!という場面は誰にでもある。

その瞬間には、生活を捨てでも人生を選ぶことも必要なのではないだろうか?