まんまと洗脳されていたことが明らかになった件

こんばんは。

今回は、まんまと洗脳されていたことが明らかになった件について、

書いていこうと思います。

 

先に書いておきますが、

宗教とかオカルト的な洗脳にかけられていたわけではないです。

 

社会からの洗脳、

国家からの洗脳にかけられていたことに気付かされたということなんです。

 

どんな洗脳かというと、

憲法は、「法律の法律」であり、

国民の義務を規定している、

国民を縛り付けるものだ

っていう洗脳です。

 

え?その通りじゃない?

と思った読者の方、

あなたもまんまと、

洗脳に引っかかっていますよ。

 

憲法の定義から、いきましょう。

Chat GPTから引用しますと、

近代民主主義国家における憲法とは、

**国家権力の行使を制限し、

国民の権利や自由を保障するための最高法規**です。

また、政府の仕組みや機関の構成、

権限分立などの基本的な枠組みを定めています。

太字にある通り、

国民が権利を主張し、

国民が、

国家や権力を制限するもの

それが憲法なんです。

 

ここで、多くの人は、

疑問に思うでしょう。

 

あれ?

日本国憲法って「国民の三大義務」を書いてるよな?

 

権利じゃなくて、

義務を憲法に定めるの

って変ですよね。

 

それが日本国憲法の闇なんです。

日本国憲法の作られた背景について、

おさらいしましょう。

日本国憲法の制定は、

第二次世界大戦後、

連合国軍総司令部(GHQ)の主導で進められました。

1946年2月、GHQは日本政府に憲法改正を求め、

松本烝治を中心とした日本政府の改正案が提出されましたが、

 

GHQはこれを不十分と判断し、

自ら憲法草案を提示しました。

その草案をもとに、

日本政府は修正を加え、

同年11月3日に日本国憲法が公布され、

翌1947年5月3日に施行されました。

 

この憲法は、

国民主権、

基本的人権の尊重、

平和主義の3つの原則を掲げています。

この通り、

国民の権利を主張するはずの憲法が、

権力を制限するはずの憲法が、

GHQや政府(権力)の独断で、

制定されてしまったのが、

日本国憲法なんです。

 

そもそも国民が一文字も決めていないのに、

それをさも有難いものかのように、

改憲もせず、

従順に従い続けてきたのが、

日本国民なんですよね。

 

でも、日本の教育では、

そこに疑問を持たないように、

憲法の定義なんて教えないんです。

 

僕も、つい最近まで、

日本国憲法は悪いものだと思っていませんでしたし、

改憲する必要ってあるの?

って感じでした。

 

でも、憲法の定義を踏まえてみると、

改憲というか、

そもそも新憲法を、

国民が主導で、

作っていく必要性すら感じています。

 

これって、洗脳ですよね。

日本の教育を受けていると、

あたかも憲法は国民の義務を規定するもので、

国民は憲法に縛られているかのように思ってしまいます。

そして、

日本国憲法は素晴らしい憲法で、

今後も守り続ける必要があるかのように思ってしまいます。

 

でも、本当はそんなことないんです。

国民が権力を制限し、

自らの権利を主張するものが憲法なんです。

そもそも国民主権のはずですし、

国民主権ということは、

国民が国家権力をコントロールするということです。

 

国家権力の上に国民がいるので、

国家権力より、国民が一番偉いんです。

 

日本ではどうしても、

その辺を自覚できないんですが、

事実として、

国民が権力の上に立っているんです。

 

なので、政治家は偉いわけでも、

僕らの上司でもないわけで、

こちらが指示を出す側なんです。

 

どうでしょうか?

あなたも洗脳にかけられていたのではないでしょうか?

 

日本では、国民の三大義務は有名ですよね。

憲法に定められている、

納税の義務、

普通教育を受けさせる義務、

勤労の義務、

この三つですが、

 

そもそも論、

勤労が義務として定められたら、

それは強制労働と言います。

強制労働を強いられる人を、

奴隷と言います。

 

日本国憲法は、

国民は奴隷である!

と規定しているようなものです。

 

国民は奴隷じゃないです。

 

勤労は本来義務じゃないんです。

 

働いて、お金を得て、

自己実現していくために、

勤労するんです。

 

たしかに、公共の福祉を実現するために、

ある程度の義務を明確にしておく必要があるのは理解できます。

義務が全くない状態にしておくほうが、

逆に公共の福祉を損なうことがあるからですね。

でもだからといって、

本来的には権利であるものを義務ととらえてしまうのは、

おかしいことですよね。

 

公共の福祉を実現するために、

国民が自らお金を募って、

インフラなどを整えるために行うのが、

納税のはずです。

 

それって権利ですよね。

国民の権利として、

税金を納めて住みよい国を作る。

 

それなのに、

国民の義務としてだけ納税を規定して、

教育においても義務として、

強調された教え方をされてしまうので、

国民は税金をいやいや払わされていて、

税金はむしり取られるものだ!

という間違った認識(洗脳)が広がってしまうんです。

 

勤労についても同じです。

憲法に定められた義務だから、

仕方ないから働くっていうのは、

奴隷精神です。

 

本来、働いてお金を得て、

自己実現するために勤労するはずで、

勤労をしなくてもお金がある人は現に働いていないですし、

資産収入だけで生活している人も富裕層にはいるわけです。

この点からも、別に勤労は義務ではない。

ということは明らかです。

 

義務だったら、

どんなお金持ちでも働かなければいけない、

ということになりますよね。

実際にはそんなことはないわけです。

 

それなのに、憲法に勤労は義務だと書いてしまっていて、

国民は、勤労を義務だと勘違いして、いやいや働くことになる。

本来権利であるものを義務だと勘違いすると、どうなるか?

モチベーションが間違いなく下がります。

 

卑近な例ですが、

夫婦で、休みの日に夫が家事をやってくれようとしているとします。

そのときに、もし、妻のほうが、夫が休みの日に家事をするのは義務だ!

と言い放ったとします。

本来、家事は義務ではないし、

休みの日にわざわざ家事をやってあげよう!

と自主的にやろうとしていたのに、

義務だから当たり前だといわれると、

モチベーションは間違いなくダダ下がりです。

 

なんで、義務になった瞬間にモチベーションが下がるのか、といえば、

人間っていうのは、自発性を発揮しているときに、

パフォーマンスが上がる性質があります。

どんなことであったとしても、

そこに自分が決めてやっている、

という意識があるのか、

誰かにやらされている、

という意識があるのとでは、

パフォーマンスが全く違うんですよね。

 

これは、誰しも実感ベースでわかると思います。

やらされているんじゃくて、

自らやっているんだ!

っていう意識が、

自己効力感につながって、

モチベーションが上がり、

パフォーマンスも上がるんです。

 

やらされている、

っていうのは、

根源的にモチベを下げるように、

DNAに刻まれているのかもしれません。

 

人類の歴史をたどれば、

奴隷制度があったり、

封建制度があったり、

身分制度があったりと、

自分の意志とは関係なく、

外部から無理やり労働をさせられる、

ということが当たり前でした。

 

考えてみれば、

奴隷労働なんて最悪のモチベでやるだろうし、

そこに、自己効力感なんてなく、

パフォーマンスなんてどうでもよく、

どんどん気力も体力も失っていくだけです。

 

先ほども書いたように、

義務づけられているから仕方なく働く

っていうのは、

完全に奴隷精神です。

 

そんな奴隷精神を、

義務教育の中で、

無意識に植え付けられていると考えると、

めっちゃ恐ろしい洗脳じゃないですか。

 

しかも、そんな恐ろしい洗脳をかけるような、

憲法の草案を作ったのは、

GHQですよ。

 

わざと日本人に奴隷精神を植え付けようとした意図があったとしても不思議ではないはずです。

 

そんな恐ろしい洗脳から、

1人でも多くの人に解き放たれて欲しい。

そんなことを思ったので、

この記事を執筆いたしました。

 

よろしければ、周りの方にも、

憲法とは何か、というところを、

教えてあげていただきたいです。

 

参考図書

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では!