才能の原石は中学時代にある!? 自分の才能がわからないのなら、中学時代を振り返ってみよう!

中学のころに読んだ本というのは、

今でも非常に思い出深い。


なぜかしらないけれど、

ものすごく記憶に残っている。


例えば、「蘇我氏の正体」

という本を中学時代に読んだ。

 

 


この本は、蘇我氏というのは、

実は悪い一族ではなく、

歴史から抹殺された不遇の部族であった

という内容だった。


大化の改新の後、

大宝律令という法律が有名だが、


大宝律令の原案は蘇我氏が打ち立てた

屯倉の制(みやけのせい)というものだった。


なぜ、それほどの功績がありながら、

歴史から抹殺されてしまったのか?


その謎にせまり、

さらには

歴史の黒幕について解き明かそう

というのが本書の趣旨だ。


言うまでもなく、

蘇我氏を抹殺したのは藤原氏なわけだが、

藤原氏が侵した歴史のタブーに切り込んでいく

非常に知的興奮に満ちた本だったのを覚えている。

 

この本を読んでから、

僕の歴史観は変わっていったように思う。


歴史というのは

その当時の権力者によってねじ曲げられている

ということを腹の底で理解できたことが大きい。


その後、

僕は竹内睦泰大先生に出会い、

歴史観の大転換を経験するわけだが、


その基礎は、すでに中学時代に形成されていたわけだ。

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↑竹内先生(笑)

 

さらには、

中学時代に最も崇敬していた作家と言えば、

百田尚樹である。


中でも、「影法師」という作品に多大なる影響を受けていた。

 

 


影法師は、江戸時代の武士の物語で、

この物語から武士道精神、

そして武士の生き様、

美しい死に様というものを感じていた。


この当時から、そういった

人間としての在り方、

美しい在り方

に目覚めていたのかもしれない。


あの頃から、僕は理論と実践が好きだった。


読書によって得た知見を実践で試す。
つまりは、

影法師によって得た美しい在り方という軸を

剣道という実践において試していた。


そういう試行錯誤が昔から好きだった。


あの頃から哲学チックな考えが大好きだった。

 

そのほかには、

太宰治の「人間失格」も読んでいた。

 

 


人間失格を読んだ当時は、

道化という言葉にハマっていた。


自分のことも道化なのではないか、

と非常に懐疑的になり、

少し鬱っぽくなっていたことを今でも覚えている。

 

人生に悩んだら本をとにかく読む

という経験は、

中学時代からしていたのではなかったか。


僕は今でこそ、

年間200冊近くの本を読むようになったが、


その基礎、

その基盤

みたいなものは、

当時から形成されつつあったのだと思う。

 

才能というのは、

もしかすると、

中学時代に芽吹き始めているのかもしれない。


もし、あなたが自分の才能がわからず悩んでいるのなら、
中学時代を思い出してみると良いかもしれない。