人生には外れ籤なんて存在しない

「ミュージカルの名作って、人間は醜いから仕方ないよね、じゃなくて、そこから歌でも何でも歌いまくって力業でどうにかしてやろうって気概があるじゃないですか。人種差別とか独裁政治とか、そういうひどい環境に生まれた自分を悲観するのははじめの方だけで、一見外れ籤の運命を受け入れてそれでも立ち上がっていく強さがあるっていうか」

朝井リョウ 著 「どうしても生きてる」籤より

朝井リョウ氏の「どうしても生きてる」が凄まじい。

痛い。

激痛。

わかりみが深すぎて心がえぐられる。

どの短編も「そんなの痛いに決まってる」っていう感じで、

現代の生きづらさとか、現代の辛さとか、現実とかリアルとか、

そういうものをこの人以上に描ける人は存在しないのではないか

と思った。

朝井リョウ氏の本を読んだのは一年前。

何者をちょっと読んだだけだった。

なんだ、こんなふうにツイッターとか使いながら現代的なものを描いてるだけか、

みたいなことを思って、ちょっと読んだだけでやめてしまったが、

いかに自分が愚かであったかを今では痛いほど理解してる。

こんなすごい作家がいた、しかも著作を持ってもいた。

それなのに、わかった気になり、わかろうとしなかった。

 

思いっきり懺悔したい。

「ああ、朝井リョウ氏、どうかこの罪深い私(わたくし)をお許しください」

今日みたいなクリスマスイブには懺悔もしたくなる。

 

許されるもなにも怒られてもいなければ、何も罪も犯していないし、

なんなら僕は性善説で、原罪、オリジン・シンくそ喰らえなわけで、

懺悔なんて何も効力を発揮しないのだけれど。

 

どんな外れ籤だろうが、どんな貧乏籤だろうが、与えられた環境で受け入れて生きていくしかない。

受け入れられないなんて選択肢は存在しなくて、受け入れて生きていくしかない。

大通りを大股で闊歩している人生でも、ふとしたときに、脇道しか進めない道に行き着くことだってある。

大通りを大股で歩くことに慣れず、自ら脇道に進んだわけではない。

それでも、脇道にそれたらそれたで、進んでいくしかない。

 

人生に外れ籤なんて存在しないし、

外れ籤としか思えないようなことはあるけど、

結局のところ、籤の結果には良い悪いも善悪もない。

短期的目線と長期的目線では善悪の基準も鮮やかに反転する。

この物語の中でも、明転して終わる。

 

キリスト教的な善悪なんて結構な速度でドカンと反転する。

今日日、この程度じゃ騙せないんだぜってキリストに言ってやりたい。

そんなクリスマスイブでございやす。