【本の感想】人間(又吉直樹)

早く文庫化しないかなー。

と思っていた「人間」がついに文庫化されたので、

さっそく読んでみた。

結論から言えば、めっちゃ面白かった!

めっちゃ面白かったのでおススメです。

単行本でさっさと読んでおけば良かったな…。ちょっと後悔した。

 

おこがましいけれど、僕の感覚と又吉さんの感覚は似ているところがあると思う。

 

あらすじとも言えないあらすじ

主要人物は主に3人

  • 永山(主人公)
  • 影島(芸人・作家)
  • ナカノタイチ(コラムニスト・イラストレーター)

時系列は二つ

  • 専門学生時代(美術系)
  • 38歳(現在)

最初の場面では38歳の誕生日。

一通のメールが送られてくるところからスタートする。

そのメールの内容が、

ナカノタイチに関することだった。

 

そこからナカノタイチと出会った頃の回想が始まる。

永山は漫画家に憧れて東京の専門学校に入学するのだが、

ある一時期を「ハウス」と呼ばれるシェアハウスのような場所で過ごすことになる。

そこには美術系の学生が集まっており、

その中の一人がナカノタイチだった。

永山はナカノタイチに対してネガティブな感情を抱えている。

なぜネガティブな感情を抱えているのか、については、

いろいろと問題が勃発したから。としか書かない。

読めばわかるし、ネタバレになってしまう恐れがあるので書かない。

とにかく、永山はナカノタイチに対してネガティブな感情を抱えていて、

そのナカノタイチが何やらトラブルの渦中にいるという内容のメールが誕生日に送られてくるのだ。

そのトラブルの当事者がナカノタイチと影島。

影島はお笑い芸人で、かつ芥川賞を受賞した作家で、

プロフィール的には又吉本人のような感じ。

トラブル自体は良くありそうなもの。

ナカノタイチが影島のことを批判した文章を投稿し、

その批判文を影島が「痛烈に」批判する。

 

なんだ、そんなことか。と思うなかれ。

影島の批判はどこか漫才でもあるようで、

でもとても鋭利な言葉でまさに切っているかのようで、

とても面白い。

それも読めば良い話で、

内容については触れないし、書かない。

 

ざっと書くとこんな感じのあらすじ。

僕の要約力ではこんなものしか書けない。

文庫本の後ろを書くアンサングヒーローへの賛辞

文庫本の後ろに書いてあるキャプションのような文章が一番まとまっていて、

結局のところ本屋に行ってそれを読めば良いと思ってしまう。

にしても、文庫本の後ろを書いているアンサングヒーローのことをいつも考えてしまう。

文庫本の後ろを書いている才能ある編集者のお陰で出会えた本はたくさんある。

しかし、僕にそんな才能はない。

だから、ぜひ書店に行き、文庫本の後ろを読んでもらいたい。

感想(ネタバレあり)

ここからは気を取り直して、

感想について書いていこうと思う。

ちょっとネタバレも含むことになるので、

ネタバレされたくない人はここで読むのをやめてほしい。

 

※以下ネタバレ注意※

 

僕はナカノタイチのような人間を知っているし、

そういう人間に出会ったことがある。

「おまえは絶対になにも成し遂げられない」

という言葉を永山に投げつけるような人間がナカノタイチなのであるが、

僕の友人にもおんなじ言葉を投げつけられた経験がある。

 

こういう簡単に人を傷つけてしまうような言葉を投げつけられる感性を僕は理解できないのだが、

簡単に人を傷つけてしまう感性を持ち合わせている人がこの小説の中にも登場する。

その筆頭がナカノタイチである。

 

いや、傷つけるという次元ではない。

その傷によって永遠にその人を呪ってしまうような言葉だと僕は思う。

 

あなたのことは嫌い!

って言われたら傷つくけれど、

その傷は永遠に残るものではない。いつかは癒える。

しかし、

「おまえは絶対になにも成し遂げられない」

という言葉は相手の未来を全否定する言葉だ。

こういう言葉を口にできる感性を僕は全否定したいし、

この物語の中でも全否定されている。

 

僕は嫌いな人のことは嫌いだし、

嫌いだと言うことはある。

けれど、その人の未来を否定はしない。

単に嫌いなだけで、未来を否定するのはおかしいから。

 

影島のナカノタイチへの痛烈な批判は、

もう単に「すげえ!」と思ったよ。

「こんなに痛烈に、かつユーモアのありつつの文章を書けるなんてすげえ!」

って心の底から思った。

 

影島の文章から10個くらいのテーマにわけて解説を書きたいくらいだよ。

それくらい深く、かつ面白い内容だった。

文章の切れ味は最高で、内容も深いのだから文句のつけようがないよ。

それでも又吉さんは永山に少しだけナカノタイチの肩を持たせていて、

又吉さんらしいなとも思った。

どこまでも自分が正しいなんて言えるほど、自分を絶対だと思っていないからこそ、永山にはナカノタイチの肩を持たせたんだと思う。

 

影島が又吉さん自身の投影なのだとしたら、

又吉さんの古い友人に永山のような人物がいたのだろうか?

 

最後の4章って一番人間らしいというか、

永山の父親は強烈な父親だけれど、

一番どうしようもなく人間っぽい感じがした。

僕はバカだから、最初のページから読みつつ、

どうしても最後が気になって、最後を読んでしまう。

いきなり最後を読んでも何を言ってるのかわからないから、

別に何のネタバレにもなり得ないのだけれど、

ポジティブに終わるのか、ネガティブに終わるのか、

だけ確認してしまう癖がある。

たぶんそれはリスクヘッジで、

最後救いようのない終わり方をされると、

覚悟ができていない場合、尾を引く。

人間失格を初めて読んだときは、まさにそれで、1週間くらい引きずって、

ずっと陰鬱な気分で過ごしてしまったから、

それから得た教訓だったのかもしれない。

最後の見開きの頁から引用するので、

読みたくない人は読まないでかまわない。

僕はこの文章に救われた。

だから僕のブログに残しておきたい。

 

おもいだすと苦笑してしまう。それは両親に対する苦笑ではなく、自身が狭量であることへの苦笑だった。人間が何者かである必要などないという無自覚な強さを自分は両親から譲り受けることはできなかった。卑屈になっているわけではない。その証拠に長年付き合ってきた焦燥は霧散して穏やかな心地でいる。気分がよいのは今だけかもしれない。この先、失敗することもあるだろう。のんきに浮かれていた自分を恥ずかしく感じるかもしれない。だが、ちゃんと人間の顔をして生活を続ける人間を見た。自分は人間が拙い。特別な意味や含みなどない。そのままの言葉として自分は人間が拙い。だけど、それでもいい。

442頁より引用