今回は、昨今の教育についての疑問について書いてみる。
池田晶子氏の14歳の君へという本を読んだ。
買うときに少し躊躇した。
いや、14歳ちゃうしな。
23歳になるおっさんが読んで良いのだろうか。
そんな葛藤が繰り広げられたが、
無事買った。
良かった。
すごく。
普遍的でものすごく大事なことが書いてあるのに、
読みやすい。
求心力がある。
まるで年上のお姉さんに膝枕をしてもらって優しく諭されているような気分だった。
勘違いしないでもらいたいが、
もちろん子どもだったときの自分が、である。
今の自分が池田晶子氏に膝枕されているなど滑稽。
そんな想像をしている23歳は嫌である。
話がそれたが、
話はそんなことではなく、
昨今の教育についての疑問である。
池田晶子氏の本を読んで、いかに自分が子どもだったときに大事なことを学んでいなかったかを思い知った。
学校では、池田晶子氏ほど平易な言葉でかつ優しく、そして知性的に教えてくれる人なんて一人もいなかった。
池田晶子氏は知性の高い人であったと思う。
僕よりもはるかに賢い。
こんなすごい知性の持ち主が学校の先生をやっていたらいいのだけれど、
そんなことはない。
というか、学校の先生はレベルが低い。
知性がない。
まったく知的ではなかったと記憶している。
今23歳になって思うのは、学校の先生は大したことがなかったということである。
たぶん学校の先生の多くは今の僕よりはるかに頭が悪いし、
はるかに読書していないし、はるかに知性が低い。
教育の質というものを考えたときに、
教師の質が肝要になるのは明白だ。
少なくとも、一からすべて教師が教えることはできなくとも、
勉強するためのガイドをできるべきである。
ここで言いたい勉強というのは人生についての勉強である。
5教科を教えるなどどうでも良い。
そんなことは誰でもできる。
できない方がおかしいのであり、
そんなことは当たり前のことだ。
大事なのは人生において大切なことを教えることができるかどうか。
それができる教師に僕は学校で出会ったことがない。
塾の先生はたまにそういうことを教えてくれる人がいた。
思えば、学校の先生というのは公務員で、
真面目に生きてきた人の象徴だ。
真面目に生きてきた人ということは、
常識的に生きてきたということとほぼ同義であり、
その常識を世間から押しつけられ、
それに疑問を持たずに生きてきた人だ。
本当に教師が好きで仕方ないという人は少ないだろう。
けれど、塾の先生は本当に教えるのが好きでやっている人だった。
塾の先生は自分の思った通りに人生を生きている人が多かった。
こう考えてみると、
なんで塾の先生の方が人生において大切なことを教えてくれたのかと言えば、
それはその先生自身が自分で自分の人生を主体的に生き、
そこから得た学びを昇華して教えてくれていたからなのではないか、
と思える。
そうなのだ。
学校の先生は、自分の人生を主体的に生きているかと言えば、
割と疑問が残るのだ。
常識的に生きることは悪いことではない。
一般的に言って、教師という仕事は尊い仕事だし、
教師になるのは大変なことだ。
しかしながら、常識的に生きている人から学べることは少ない。
常識的に生きている人は総じてつまらない。
本当に大切なこと、人生において大切なことを語れる先生に出会うのは子どもにとってとても貴重であり、
その子の人生を左右する。
たった一人でも、そういう大人に出会えた子どもは幸運だ。
常識的な人生を生きることに対して疑問を持てる。
疑問を持てるということは考えることができるということで、
考えることができるということは自分で人生を作っていくことができる。
昨今の教育では考えさせない。
特に人生において大切なことについて。
そもそもそれのたたき台となるテキストすらない。
人生とは何なのか、
幸福とは何なのか、
なぜ生きるのか、
それを考えさせない。
本来、教育というのはそれを考えさせることなのではないか、と疑問に思ってしまう。
そしてそれができるのは本を読むか、塾に通って良い先生に出会うか、もしくは良い親を持つか、くらいなものだ。
学校でそれができるのなら、もっと良い教育がされるのではないかと思う。
もはや5教科の授業などYouTuberの方が上手であるし、
もはや需要はない。
そんなことよりも、哲学を教える事の方が価値があるのではないだろうか。
14歳でこの本に出会ったなら人生が変わる人もいるだろう。
それくらいの威力がある本だと思った。
ちなみに大人だからこそわかる部分も多分にある。
大人にならなければわからないこともある。
14歳からこの本に出会い、人生について考えることができたなら、
良い人生を送れるのではないか。
追記
僕は幸か不幸か、いじめられたことによって死にたいと思い、
そこからなぜ生きるのかを考えていた。
当時の人生を考えるテキストはBUMP OF CHICKENだった。
彼らの哲学的な歌詞が僕の指針だった。
そういう手段もあるということだけ、書き加えておく。