世界中の研究者によって開拓される「一歩」

研究者って、どんな感じなのか全くわかっていなかった。

おぼろげに研究者というものをイメージしていたけれど、

最近はっきりわかってきた。

研究者っていうのは、

どこまでも穏やかで、

どこまでも元気な人たちだ。

 

研究者っていうのは、

ひたすらにやりたいことをやっている人たちだ。

ドクターまで進む人たちは本当にすごい人たちばかり。

 

こんなすごい人たちと直接関われるなんて、

恵まれているなと思う。

 

そういう人たちは、

穏やかな人が多い。

というか、穏やかでない人をまだ見たことがない。

 

大学の先生にはたまに性格が悪い人も授業などでは見たことがある。

しかしながら、研究者にはいないように思う。

 

それにはいくつか理由があるように思う。

 

まずは、さっきも書いた通り、

やりたいことをやっているということだ。

 

人は自分が生きたいように生きることができていると感じるときに、

幸福感を感じるのではないかと思う。

自分がやりたいことをやれているかどうか、

自分が関わりたい人たちと関われているか、

自分が住みたいと思う土地に住めているか、

それが大きな幸福のファクターになっているのではないかと思うのだが、

 

研究者は圧倒的にやりたいことをやっている。

 

こうしていきたい、ああしていきたい、

これが研究したい、これをやってみたい

というあれこれを、ひたむきに、実直に、毎日明け暮れている人たちだと思う。

 

本当に、なぜか知らないけれど、

学部4回生よりも修士の人の方が研究室(研究所)にとどまる時間が長いし、

修士よりも博士の人の方が研究室(研究所)にとどまる時間が長い。

 

教授クラスなると、どうしても他の雑務などが絡んでくるから、

研究している時間がとれなくなってくるらしいが、

そこに至るまでは、

大学にいる期間が長くなればなるほど、研究に当てる時間が長くなるように思う。

 

これは僕だけが感じることではなく、

かの有名な森博嗣氏も本の中に書いていた。

森博嗣氏の本の中でも特に理系大学生にオススメしたいのは、

これなのだけれど。

 

この本の中に書かれている研究の様子というのはかなり、現実に近いものだと思う。

 

僕が最近関わらせてもらっている方々も、

この本に書いてあることに近い方々ばかりだ。

 

つくづく、僕は未熟なのだと感じる。

世界は僕が思っているより、

ずっと深いし、

僕が思っているより、

わかっていないことだらけなのだ!と

いつも思い知らされる。

 

学部4年間で学んできたことですら、

まだまだ大したことがなかったのだなと思わされる。

 

それくらい、まだまだわからないことだらけだし、

博士課程の方々は、すごいなと思う。

でも博士課程の方々ですら、まだわかっていないこともあって、

研究室というのは、そのわかっていないことを次世代が受け継いで、

さらに研究を進めていくという場所だということらしい。

 

最近になってそれがよくわかってきた。

 

研究という行為は、人間の業だと思った。

人間だけが行う業だと思う。

 

脈々と研究が受け継がれ、

たくさんの人々がそれぞれの分野で最善を尽くし、

いまある最大限のリソースを費やして新たな一歩を開拓していく。

 

その新たな一歩を築くために、一生を費やす尊敬すべき研究者が世界中にいて、

何も知らない僕ら一般市民は、

それらの恩恵を享受しながら、

のほほんと過ごしているのだ。

 

僕がこんなことを書いている間にも、

世界中の研究者が一歩を開拓している。

 

それに思いを馳せる今日この頃である。

以上!