最近はAIの話題で持ちきりだ。
まあAIの方が人間よりも高性能なソフトウェアなわけだから、
話題になって当然。
AIが人間の脳というソフトウェアより高性能になって、
僕が思うのは、人間というハードウェアの部分くらいにしか価値がない。
ということ。
人間というハードウェアについて考えてみると、
結構高性能なハードウェアだと気づく。
例えば、
人間というハードウェアは、電源が必要ない。
たしかに食べ物とか水とか、エネルギー源は必要だけれど、
自分の体内に、それを分解し、
エネルギーに変換していくシステムが組み込まれている。
しかも、誰にも指示されなくても、生命を維持することができる。
手先もかなり器用だ。
人間の手先と同じ作業をこなせるロボットを作るには、結構大変だと思う。
筋肉も結構な重量を持ち上げることができるし、
同じ筋肉を使用していると、その筋肉は鍛え上げられて、
作業が効率化されていき、すくない労力で行えるようになる。
こうやって考えてみると、
これからは人間のハードウェアの部分には価値が残っていくと考えることができる。
逆に、人間と遜色ないロボットを作ることができたら、
もう人間にはやることがなくなる。
要は、これから人間がやることは、
AIを搭載することができて、
人間と遜色ないくらいの性能をもっているハードウェア
を開発することなのだと思う。
それが人間が行う最後の作業で、
それをやってしまえば、
AIが勝手にいろんなことをやってくれる。
人間の古来からの願いであった、
「楽に生きる」ということが実現される未来は、
僕が生きている間に到来するのだと思う。
ということで、人間は自分の身体というハードウェアを最大限に生かして
生きていくことになっていくのではないか、
と僕は思っている。
最近はAIについての話題が持ちきりだ。AIは人間よりも高性能なソフトウェアであるため、話題になるのは当然である。AIが人間の脳よりも高性能になったことから、人間というハードウェアの部分にしか価値がないと考える人もいる。しかし、人間の身体について考えると、かなり高性能なハードウェアであることがわかる。人間の身体は自分でエネルギー源を生成し、生命を維持することができる。また、人間の手先はかなり器用であり、筋肉も重量物を持ち上げることができる。これからは、人間がやるべきことは、AIと遜色のない高性能なハードウェアを開発することだと思われる。このようなハードウェアが開発されたら、AIが人間の代わりにいろいろなことを行うことができるため、人間は「楽に生きる」という古来からの願いを実現できると考えられる。人間は自分の身体というハードウェアを最大限に活用して生きていくことが大切である。