【netflix】 「First Love 初恋」 を見た感想

遅ればせながら、Netflixで「First Love 初恋」を見たので、

感想を書いていこうと思う。

www.netflix.com

https://about.netflix.com/ja/news/first-love-super-teaser-art-debut

 



誰にとっても、初恋というのは、

忘れられないものなのかもしれない。

初恋の定義自体が僕にはよくわからないけれど、

初恋というのは、一番純粋な恋の気持ちを抱いたとき、

なんだと思っている。

 

僕にとっての初恋は、紛れもなく中学2年生から中学3年生のときの話で、

たまに感傷的な夜があったときには、思い出すこともある。

 

いちいち半角に直して題名を打ち込むのが、

もうめんどくさいので、「ファーストラブ」で許してほしい。

 

ファーストラブを見て思ったのは、

初恋は無傷では済まないということ、

・大人になればなるほど、自分に嘘をつくのがうまくなる、

と錯覚しているだけだということ、

・どんな結果になっていたとしても、

その当事者たちは皆、全力を尽くした結果だということ。

 

だいたいは、そんなことを見終わってから考えていた。

 

初恋は無傷では済まない。

初恋というものは、そういう性質のものなのだと思う。

人が自分の感情を大切にする、

相手の感情とぶつかる、

そういうときに、無傷で済むわけはない。

 

互いに、もしくは互いの周りの人間でさえ、

何かしらの傷を抱えることになる。

 

それは避けようのない事実で、

原石に傷をつけなければ、

ダイヤモンドは輝かないように、

影の強い場所でこそ、光は強く輝くように、

 

初恋がそういう種類のものであるからこそ、

それの輝きは増しているのだと思う。

 

多くの漫画が、青春を描くのも、

誰しもの心の中に、

輝かしい、痛々しい、そんな記憶が宿っているから。

僕にはそんな気がする。

 

大人になればなるほど、自分に嘘をつくのがうまくなる、

と一般では考えられているけれど、

僕はそうでもないような気がする。

 

大人になればなるほど、自分の本音に嘘がつけなくなってくるのではないか。

最近の自己啓発では、自分に嘘をつかない、とか、自分を大切にする、とか、

自分の時間を楽しむ、とか、自分の心を壊さない、とか、

 

そんな感じのタイトルの本が多いような気がする。

それは紛れもなく、大人こそ、自分に嘘をつけなくなっていることの証拠で、

自分に嘘をつくことは苦しい、自分をもっと大切にしたいと本音では思っている。

けれど、社会がそれを許してくれない、世間がそれを許してくれない、

そういう苦しみや葛藤の現れなのだと思う。

 

そういう人達は、たぶん勘違いしている、自分は大人なのだと。

自分は大人だから、自分に嘘をつくことは簡単だ、と思っている。

でも、そうではない。

大人の方が自分に嘘をつくのが下手なのだ。

 

そんな不器用な大人たちは、

みんな全力で生きている。

仕事で疲れていたり、子育てが大変だったり、自分の老いに直面したり、

いろんな葛藤にまみれながら、できるだけ最善を選ぼうと、全力を尽くしている。

 

子育てをしている大人は、より全力だと思う。

子どもを一人前にしなければ、

ちゃんと育てなければ、

責任をもって、自分の子どもの面倒は見なければ、

自分の子どもには幸せになってほしい、

 

いろんな親ならではの思いを子どもに抱きながら、

子育てをしているんだと思う。

 

でも、親はいつも間違う。

自分の偏見と偏った知恵、傷ついた過去からの怨念、

そういう類いのものが、間違った選択をさせる。

 

それが、自分の子どもの初恋への介入につながる場合もあるし、

子どもへの過度な期待になったり、

届けるべきだった思いを届けなかったりすることにつながる場合もある。

 

間違った選択をさせる、と書いたけれど、

間違った選択は間違った選択なりの意味がある、とも言える。

 

親が間違った選択をするからこそ、子どもはそこから学ぶことができる。

 

親が間違った選択をするからこそ、子どもは運命を信じられるかもしれない。

 

いずれにせよ、親が間違った選択をしたところで、

誰にも責めることはできない。

 

なぜなら、それは親が全力だった証拠でもあるからだ。

 

全力の努力をしていたのだから、

誰にも責めることはできない。

 

それは映画「セッション」で、

フレッチャーがアンドリューに謝らないのと同じ事だ。

そしてアンドリューはフレッチャーに謝罪を期待していないし、

むしろ全力の努力に敬意を持っている。

 

親が離婚していても、それは親が自分の人生を諦めなかったということで、

どんなに世間的に良くないとされていても、それは紛れもない事実なのだと僕は思う。

 

なんというか、大人ってかわいい。

全力で、身につけてきた知恵を絞って、それでも間違ってしまう。

大人は人間が拙い。これは又吉の「人間」のパクリだけれど。

たまたま思い出したので、引用させてもらう。

自分は人間が拙い。特別な意味や含みなどない。そのままの言葉として自分は人間が拙い。だけど、それでもいい。

又吉直樹 著「人間」より引用

そういえば、エキストラで、最後らへんに又吉も出演してたっけ。

綴っていう字が又吉の又が四つだから。

 

なんで又が四つもあるんだろ。

それはどうでも良い話だ。

でもどうでも良い話こそ、実は大事な話だったりする。

 

万物はメタファーがポリシーの村上春樹みたいに、

世界のすべてには意味がある、

タイミングも、土地も、人との出会いも、

すべてはメタファーで、

なにかしらのメッセージが秘められているのかもしれない。

 

んな感じで、良いドラマだった。

僕も初恋を忘れられない大人になりきれない拙い人間の一人だ。

みんな全力で、頑張ってるんだから、もっと気楽に生きたら良い。

それはいつも思ってることです。