自分も他人も許せていないから不幸になる

 あなたは自分を許せているだろうか?

結論から言えば、自分も他人も許せれば幸福に生きられる。

逆に自分も他人も許せない人は不幸になっていく。

 

許すことができない理由はいくつかあるが、

一つ言えるのが、正義を振りかざしてしまうということ。

自分は正義。他人は悪。そのように考えてしまう。

哲学的な話になるが、この世には善も悪もない。

善か悪かを決めているのはあなた自身だ。

もともとの事象自体は善でも悪でもないのに、人が自分の価値基準で善か悪かを決める。

それによって、正しい、間違っているという分類が生まれてしまう。

仏教の教えに、「一切空」という教えがある。

この世は一切、空である。

本来は、善も悪も、正義も悪もなにもない。

しかし、自分の価値基準、または世間体という判断基準によって善と悪がうまれてしまうのだ。

この原理を理解すると、わかってくるのだが、他人を許せないのは、自分が正しいを思いこんでいるからだ。

もし仮に、あなたがだれかを非難しているとして、なぜ非難しているのかといえば、自分が正しいと思っているからだ。

 

森見登美彦さんの小説「太陽の塔」の冒頭に次のような一節がある。

何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。

なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

 誰かを許せなくなる論理はこの中に詰まっている。

 

絶対的に自分が正しいと思ったときに、誰も許せなくなってしまうのだ。

当たり前の話だが、この世に同じ人間などいるはずがない。

完全に自分と考え方が同じで、価値基準も同じなんてあり得ないのだ。

 

価値基準が変われば、善悪の判断も変わってくる。

極端な例を出せば、犯罪者は世間からすれば悪であるが、犯罪者当人にとってみれば、「自分こそが正義であり、善である。そして、自分が間違っていないのだから世間が間違っている」 ということになる。

 

自分を許せないのも同じ論理だ。

自分の価値基準の中で悪な行動をしてしまっているから、自分を許せない。

仮想的な絶対的に正しい自分がいて、それに近づいていけない自分が現実にはいる。

だから、許せなくなる。

自己肯定感を高めるには、まずは自分の良いところも悪いところも認めることだ。

「そもそも良い悪いなどない、自分は自分であることを許す。」そう口に出してみることだ。

 

先ほども引用させていただいた、「太陽の塔」の最後の一節がすごく参考になる。

何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。

そして、まあ、おそらく私も間違っている。

 

 太陽の塔は、自意識の強い大学生が主人公なのだが、最終的には、自分も間違っているかもしれない。とメタ的にみる事ができるようになっている。

 

自分の中だけの判断ではなく、違う視点から判断してみることも大切なことだ。

自分の中だけで判断すると、正義ばかりを振りかざしてしまう。

そうではなくて、他人の価値基準も取り入れて、自分を多角的に見ていけばいい。

そして最終的には、良い悪いなどないのだから、判断をやめることだ。

 

あなたは正しいかもしれないし、間違っているのかもしれない。

答えは必要ない。

ただ、あなたはあなたを受け入れて、許しさえすれば万事オーケーだ。

 

許すという行為は、善でも悪でもない。

人が幸せになるには、善悪から離れる事なのかもしれない。

あなたも、あなたのことを許してあげてほしい。

どんな自分も自分以外の誰でもないのだから。