なぜかいつも楽しそうな人

僕の教え子で優秀な学生だったけれど、会社に就職しなかった奴がいる。彼は今、北海道で一人で牧場を経営している。結婚もしていないし、子供もいない。一人暮らしだそうだ。学生のときからバイクが大好きで、今でもバイクを何台も持っている。毎日それを乗り回しているという。「どうして、牧場なんだ?」と尋ねると、「いや、たまたまですよ」と答える。べつにその仕事が面白いとか、やりがいがあるという話はしない。ただ、会ったときに「毎日、どんなことをしているの?」と無理に聞き出せば、とにかくバイクの話になる。それを語る彼を見ていると、「ああ、この人は人生の楽しさを知っているな」とわかるのだ。男も四十代になると、だいたい顔をみてそれがわかる。話をしたら、たちまち判明する。

「やりがいのある仕事」という幻想 より引用

 

なぜかいつも楽しそうな人は、そもそも自分からそんなに話をしたがらない。

なぜなら、自分で自分を満たしているから。

そもそも自分で楽しむことが好きなのに、それをわざわざ他人と共有したいと思わない。

こういう人はいつも機嫌が良いし、落ち着いている。

 

しかし、逆に、いつも不機嫌で、いつも楽しくなさそうな人もいる。

こういう人は、自分で自分を満たせていないのだろう。

だから、他人に会ったときにやたらと自分の話をしたがる。

そうやって他人に自分を誇示していないとアイデンティティを保てない。

そもそもそんな風にアイデンティティが脆弱だから、不機嫌だし、不安だし、楽しくないのだけれど。

 

普通に仕事を楽しんでいる人は、他人にわざわざ自分の仕事の話をしない。

する必要がないからだ。

本当は楽しくないけれど、楽しいと錯覚していないとアイデンティティを保てない人は他人にものすごく熱心に自分の仕事の話をする。

そうしないと自分が保てないから。

 

「仕事が楽しくない」と愚痴をこぼしている方がまだ潔いような気もする。

 

YouTubeを見ていると、だいたいわかるが、

本当に好きでやっている人は、ただただ素晴らしいコンテンツを生み出している。

本当は好きじゃないけど、承認欲求や自己顕示欲でやっている人は大げさなパフォーマンスになるだけでつまらない。

 

僕が好きな動画は、ニッチな分野なのに熱烈に語り倒しているものだ。

そういう動画は、本当に見ているだけで面白い。

数学者が大学以上の数学について語っているものや、

物理オタクが最新物理を語っているものや

又吉さんの渦

そういうものばかり見ているし、

そういうものには価値があると思っている。

 

だから、YouTuberらしいYouTuberは見ないし見る価値がない。

僕は面白いと思わないからだ。

僕はテレビを持っていないが、テレビも面白くない。

たいていのYouTubeもテレビ化している。

 

本当に楽しいものは、人に話す必要なんてない。

人からの承認なんて必要ないからだ。

楽しさなんて自分でよくわかっているし、思い浮かべるだけでも楽しいと感じられる。

完全に夢中になっていて、いつも頭から離れない。

それが「楽しさ」というもの、「やりがい」というもの。

だと森博嗣さんは言っている。

 

そして、

最も大事なことは、人知れず、こっそりと自分で始めること。

だそうだ。

 

そもそも、自分が楽しいと思っていることはこっそりやるものだ。

せっかくの自分の楽しみを他人に邪魔されるのは嫌なはずだ。

僕もブログは最初のころは誰にも知らせず、誰にも言わなかった。

昔はブログで稼ごうとか息巻いていた時があったから、

多少そのときに他人に言いふらすことがあったが、

今はもう完全に趣味化していて、ブログのことをわざわざ話そうと思わない。

 

僕はこうやって文章を書いて、適当に思ったことを書き連ねている内に、

自分の普段考えていること、自分が学んだことを吐き出す感覚が面白いと思うだけだ。

 

誰が見ていても知ったことではないし、

勝手に読むなら勝手にどうぞ。

そういうものがブログというものだろう。

 

自分で楽しんでいればそれでいい。

それが仕事であろうが、趣味であろうが、そういうものがあればやりがいを感じられるのではないだろうか。