この世界に救いようはあるのか?

最近、無理ゲー社会という本を読んだ。

 

 この本は、社会の現状を

ただただありのままに

残酷なまままに

辛辣に突きつけてくる。

 

そして、最終的になにか解決策が提示されるかと思いきや、

まったく解決策はない。という結論で終わる。

解決策はなく、それは物理的な法則に則った一連の決められた流れであり、

それには抗いようがない。

そういう結論だ。

だからこそ、それを受け入れ、なんとかして生きていかなければならない

という結末だった。

 

本当に、この世界には救いようがないのだろうか。

たしかに

この世界は終わっていると思うし、

僕は頭がいいし、人よりも現実を直視することにはなれている。

だから、周りの人間を見ていると、

本当に馬鹿だなと思うし、本当にカスやなって思う

 

だけど、それでも人間には救いようがないのだろうか。

これは希望的観測に過ぎないのかもしれないが、

これが日本であることだけが希望なのではないか?

 

そう思う

 

僕は愛国者だし、僕は日本のことが大好きだ

 

こんないい国はないと思うし、

心底この国に生まれてこれた僕の幸運に感謝している

 

なぜ、日本だけには希望があるのか?

それは日本だから。ということしか言うことができない。

他の国ではなく、日本だからまだ希望がある。

 

例えば、神道的思想、

神道は自然崇拝といっても良いと思うが、

これだけ自然が豊かで、これだけ自然に対する畏敬がある民族はあまりない。

日本はどれだけテクノロジーが進んでも、

個人主義が進んでも、

資本主義が加速しても、

立ち返るべき、自然がある。

それだけが僕にとっての希望だ。

 

自然を神社といってもいい

 

立ち返るべきところがあるだけで、

全然ちがうと思う。

 

全く根拠はないし、

社会的な解決策になるものではないかもしれないが、

結局、自分の生を受け入れ

宿命、運命を受け入れ、

その中で自分にできる精一杯を尽くすしかない、

 

そう思うためには、神社が必要だと思う。

神社に行き、神様に祈る。

人間にはどうしようもない大きな存在を感じる。

それによって、僕らは生かされている

生きていることすらもはや奇跡なのだと感じる。

 

そうやって、自分の生に感謝しながら

一日一日を大切に生ききる他ないのではないか。

 

その上で、ニーチェの思想を参考にする必要があるように思う。