何か病気になったときに、
心配してくれる誰かがいて、
ちょっとしたものを買ってきてくれたり、
励ましの言葉をかけてくれたり、
もしくは単に顔を見せに来てくれたり、
なんてことはないのに、
それをしてくれることでとても勇気づけられる。
何か病気になったときは、
たいていメンタルも落ち込んでいる。
病気くらい誰でもするし、
ちょっとした病気はしたほうが良いくらいだ。
それなのに、
病気になると誰かに迷惑をかけたり、
予定していたことができなくなったり、
今まで当たり前だと思っていたことができなかったりする。
それは割と憂鬱なことで、
案外メンタル的にも不調になりがちだ。
自分には価値があるのだろうか。
迷惑をかけてしまって申し訳ない。
直ったらまた頑張らないと。
そういうプレッシャーというか、
圧迫感というか、
そういうものを感じてしまうこともあるだろう。
病気になったくらいで人の価値が変わるわけはないし、
迷惑はかけないように頑張ったところで何かしら迷惑はかけているものだし、
頑張らなくたってそんなにみんな気にしていないものだ。
だけど、頑張れない人間は価値がないという思い込みがある人は多いのではないだろうか。
病気というのは、その背景に頑張りすぎという問題がある。
風邪を引くということは、身体に負荷をかけすぎていたり、
身体に力が入りすぎているサインだったりする。
風邪を引くと身体は無理矢理緩むし、
力を入れようとしても入らなくなる。
根本的な問題は、頑張りすぎ。
もっと頑張らないようにしてくれよ。
という身体からのメッセージ。
生きているだけでも価値がある。
そう思って良いと思う。
別に死んでないだけマシだろ。
死んでないだけで、家族は悲しませていない。
死んでいないだけで、いいじゃん。
人間っていうのは愚かな生き物で、
当たり前にできているときは、当たり前にできるそれに対して感謝しなくなる。
本来、生きていること自体が奇跡なのだし、
あなたが生まれてきたっていうことは宇宙の神秘がそこには存在している。
そもそも宇宙ができたことから奇跡で、
銀河系ができたのも奇跡で、
太陽系ができたのも奇跡で、
ちょうど良い太陽からの距離に地球ができたのも奇跡で、
宇宙創成から奇跡の連続。
その奇跡の連続から人間が生まれて、
親が生まれて、親から自分が生まれてきたのはもっと奇跡的だ。
普段はこんなことを考えることができない。
みんな忙しく生きてしまうから。
風邪を引いたときくらいしか思い出せない。
自分がどれだけ神様に愛されているのか、忘れてしまう。
本来、当たり前なことなんて何一つないのだし、
今ある当たり前は一瞬にして消えることはあり得る。
隕石が降ってきたら、一瞬で死ぬし、
富士山が噴火したら、日本の都市機能は崩壊するし、
南海トラフ自身がきたら、多くの人が死ぬ。
めちゃくちゃ強力なウイルスが開発されて、
それがばらまかれたら、もっとたくさんの人が死ぬし、
太陽が爆発したら、地球もろともなくなる。
想像の域をでないかもしれない。
でもすべてあり得ることだ。
あり得ないなんてことはあり得ない。
すべて可能性はゼロではない。
今ある日常なんて針の上に成り立つような脆弱極まりないものなのだ。
そうやって、ちょっとした妄想をすると、
多少は生きるのが楽になる。
どうせいつかは死ぬし、
どうせ奇跡的に生まれてきただけだし、
どうせこんな文明もいつか霧散する。
だからこそ、普段の生活ではなるべくそれに感謝しなければならないし、
せっかく風邪を引いたりしたのなら、
そういう当たり前にあった当たり前ではないものに思いを馳せてみるのも良いのかもしれない。
別に僕が風邪を引いたわけではありませんので、心配無用。
ただ思うところがあったので書いたまでです笑