大学生のうちにやっておくと良いこと(主観の限りを尽くした主観)

大学生のうちにやっておいて良かったことについて書いてみようと思う。

結論から

目次にある通りである。

これは俺の思想であり、

僕の思うところだから、

僕にしか当てはまらないかもしれないし、

単に自分のやってきたことを肯定しておきたいだけなのかもしれない。

ただ、曲がりなりにも大学生をやってきた身として、

大事なのではないかということについて考えてみた。

長ったらしい小説を読破する

大学生はとにかく暇になればいいと思う。

何もしなくてもいい日をどれだけ経験したかが大事だと思う。

多くの大学生は、とにかく予定を詰め込んで、

できるだけ暇と向き合わないで済むようにしてしまう。

別にその人の思想だからどうでもいいのだけれど、

暇になるのが怖いから忙しくしておこうというのは、

問題の解決にはなっていないし、

せっかくの暇な時間をもっと有意義に使ってもいいのではないかとも思う。

とは言いつつ、僕は忙殺されるだけの体力がないだけだし、

忙殺されるのが嫌いだから暇である方を選んだだけなので、

別に僕の選択が正しかったという確証はない。

けれど、暇な時間を暇なままにして、

その時間に長ったらしい小説をたくさん読めたのは良かったことだと思う。

長ったらしい小説なんて社会人になってから読む気が起きるだろうか。

僕は起きないだろうと思うから、

暇な大学生ならではの体験だったと思う。

どうせ社会人になったら忙殺されるのだから、

大学時代くらいは暇を持て余してみるのも悪くないのかもしれない。

暇すぎるのは辛いことだったりする。

暇すぎて誰とも会わなくなって、ずっと本を読んでいるのだけれど、

本を読んでいると一定の時間で疲れてしまう。

その疲れたあとの時間というのはどうしようもなく暇で、

その時間というのは、あまり経験できるものではないから、

大学生のうちに経験しておくと良いのではないだろうか。

心底向いていないと思うことを一ヶ月限定でやってみる

これは4回生になってから体験したことだけれど、

自分には全く向いていないことをやってみるのも大事なことだと思う。

人間にはその人なりに向いている分野がある。

僕には僕の、あなたにはあなたの、それなりに向いている分野がある。

だからこそ、暇な大学生は、心底向いていないことを1ヶ月限定でやってみることをおすすめする。

僕自身、やってみてわかったけれど、本当に向いていないことは本当に向いていないのだ。

僕は頭を使う仕事のほうが向いている。

知性を発揮させて、知力のすべてを活用していくほうが楽しいし、疲れもしない。

けれど僕には体力がないから、肉体労働は苦手だし、

特に飲食店のホールは向いていなかった。

たぶん苦手だろうなと思って4回生になるまで避けて通ってきたのだけれど、

実際にやってみて、心底向いていないなと悟った。

長い人生の中で、なるべく得意なことで勝負していくことが大事だと思うけれど、

最低限、自分がどうしようもなく苦手なことで勝負しないようにする必要がある。

それには自分が何に向いていないかを知る必要がある。

別に実際にやらなくてもだいたい予想はつくと思う。

大学生ともなればそれなりに自分という存在である期間があるのだから、

それなりに自分というものを理解しているはずだ。

けれど、体感としてわかっているのと、

頭で理解しているのとでは、深さが違う。

心底苦手だと悟るのが大事だと思うのだ。

それには失敗が必要だし、

ちゃんと物理的に、もしくは精神的に傷つかなければならない。

無傷で得られる悟りには深さが足りない。

自分の身を使って体感した悟りこそ本物だ。

だからこそ、自分の身を使ってめちゃくちゃに苦手なことをやってみてほしい。

死にたいという気持ちをどうやりすごすのかを模索する

こんなことを人には言わないし、

わざわざいうほどのことでもないのだけれど、

割と昔から死にたいという気持ちと同居している。

もしくは世界なんて滅んでしまえばいいのにという思いとも同居している。

よくする妄想は、もし世界のすべての人間が一瞬にして滅んだら?というものだ。

こんな妄想をよくする人間は憂鬱な気持ちといつも同居しているから、

たまに死にたくなったりするのだ。

特に、コロナというものとも相まって、

死にたいなという気持ちが増幅された大学時代だったと記憶している。

幾度となく死にたいと思ったわけだけれど、

こうして生きてブログを書いている。

それなりに努力してその死にたいという気持ちと向き合う術を身につけた。

その技術は一朝一夕に身についたわけではなく、

自分の心に血を流しながら会得したものだ。

だから別に人に教える気はないし、

それがそのまま他人に当てはまるものではない。

あくまで自分で見つけるものだし、

そうしなければ意味をなさない技術だ。

今後もたぶん死にたくなるだろうけれど、

死なずにやっていく確率は高い。

自分というシステムを理解し、

自分をコントロールするチーフエンジニアとして、

僕は高い技術力を獲得した。

そういう自分をコントロールするための技術を身につけるには4年間という期間はちょうど良かったように思う。