「サンクチュアリ-聖域-」を見た。
マジでめっっちゃよかった。
Netflixに課金している人は是非とも見てほしい。
一番、良いなと思ったのは、
掛け軸に書いてある「守破離」
それを体現したような力士の猿谷(えんや)
とにかく猿谷は、猿桜(えんおう)に対して、四股を踏め!と言う。
猿谷の言っている意味が最初はわからない猿桜だったのだけれど、
徐々に、その意味がわかるようになっていく。
これは武道にはよくあることで、
武道には歴史があり、基本となる型がある。
剣道でもそうだけれど、絶対に稽古の始めには「切り返し」をする。
これはどんな道場でも、どんなに年齢が変わっても、最初の稽古は「切り返し」。
なんで「切り返し」から始めるのか?と問われれば、
それは、剣道に大切な体の使い方がすべて凝縮された動きが、切り返しだから。
剣道における「切り返し」、
それが相撲における「四股」なのだ。
僕も小学生のときや中学生のときは、
何もわからずに言われるままに切り返しをしていたし、
ただの準備運動くらいのノリでこなしていたのだけれど、
あるときふと、「切り返し」ってめちゃくちゃすごいやん!
っていうことに気がつくことがあった。
猿谷は、「点をつなぐために四股を踏め!」
と言っていたが、
まさしく、一個一個の技や、動きをつなぐのが、四股なのだろう。
四股という動きは、パソコン的に言うなら「Zipファイル」みたいな感じで、
情報を圧縮しすぎていて、そこに何があるのか、ぱっと見ではわからない。
でもそれを実践を繰り返して、展開していくからこそ、
その本当の価値がわかるようになっていくのだと思う。
こういうのを知恵と呼ぶ。
知恵は抽象度が高いのだ。
いろんな知識を帰納して練り上げられたもの、それが知恵。
日本には昔からいろんな知恵があって、
例えば、家に入るときには靴を脱ぐ。
これも元々は病原菌を家に入れないための古くからの知恵だ。
神社のお祭りも、実は知恵が隠されている。
なんで5月や9月にお祭りが多いのか?
それは一節によると、免疫をつけるため、だと考えることもできるらしい。
お祭りというと、若い人達でごったがえす。
すると、若い人達の間で、菌やウイルスを必然的に交換しあう。
そうすると、若い人達の間で集団免疫が形成されるということらしいのだ。
たぶん昔の日本人は今の科学をしらなかっただろうし、
集団免疫なんて概念は持っていなかったに違いない。
でも古くからの経験則で、わかっていたのだろう。(もしくは神憑っていたか)
そういう一見すると、
何も繋がっていなさそうなところを繋げるのが、
知恵という次元の話なのだ。
よく、知識をインプットしたらアウトプットすると良い。と言われる。
なんで知識をアウトプットするとよいのか?
それは知識同士が思わぬつながりを形成し始め、
知恵に昇華されるときが訪れるからである。
アウトプットするから記憶に残りやすくなる。
記憶に残るということは、頭の中で熟成されていくということだ。
或る閾値まで熟成されつくすと、いつかは発酵する。
知識が発酵し始めると、それはもはや知識の次元ではない。
四股というのは、相撲というフィールドにおいて、
発酵しきっている知恵であり、
知恵の一丁目の一番地のようなものなのだろう。
今の若い世代は、歴史を軽視している節がある。
それは僕も含めて。
年上を敬うべき!という価値観が薄れているのは明白だろう。
僕は年上を敬うべきだとは思わないが、
歴史は敬うべきだと思うし、知恵のある人は自然と敬う。
歴史を敬うべきだというのは、
長い歴史を経てきた文化というものには、
何年も研究を重ねないと見えてこない優れた知恵が隠れているかもしれないからだ。
僕は日本が好きだ。日本には発酵された知恵がたくさんあって、
そういう知恵に支えられた豊かな文化が根付いているから。
サンクチュアリを見て、
やっぱり日本の文化、日本の武道、日本の知恵ってすげえなあ~
と改めて思った。
それと、マジで俳優さん達の気迫がすさまじい。
闘気が半端ない。アカザもびびるくらい、至高の領域に近い。
それと、染谷将太も良い役をやっていた!
僕は武道においては染谷将太的な立場になるんだろうな。
どうやったって、身体的に同じ土俵では戦えない。
でもそういう人には、見極める目があったり、人を導くことができたりする。
そういう立場がめちゃくちゃ似合っていて、すごくよかった。
あとは、忽那汐里も美人だった!笑
頭でっかちになってしまった若者代表、という感じ。
とにかく、めちゃくちゃ良いドラマだったので、
ぜひ見てみてほしいと思います!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
では!