さて、今日は何を書こうかな、
何も決めずに書いています。
そういえば、最近、「魔法少女まどか☆マギカ」
を見たので、その感想とか、感動したところとかを書いていけたらと思います!
まず、「まどマギ」は全く少女向けのアニメではなかったですね。
絵の少女感がすごいので、少女向けのアニメなのかな、
と思ってみてなかったんですが、
岡田斗司夫さんが、死んでも見るべきアニメとして挙げていて、
それで見てみようかなと思った次第です。
何が面白かったか、というと、
扱っているテーマが普遍的であること、
そのテーマの普遍性と絵柄のギャップがすごかったですねw
普遍的な物語、といえば、
源氏物語とか、ゲーテとか、シェイクスピアがあげられると思うのですが、
まどマギが扱っているのも、その領域の話なんですよね。
ワルプルギスの夜とかも出てきますが、もろゲーテのファウストっていうw
エヴァが面白いのと似ているなと思いました。
エヴァも特撮系なのに、扱っているテーマの普遍性によって、
面白さが際立っているわけですが、
まどマギもそんな感じです。
魔法少女ものなのに、扱っているテーマがめちゃくちゃ深い!
というのが、面白かったですね。
その扱っているテーマについて書くと長くなるんですが、
僕自身もうまくまとめられる自信はないです。
それでも一応、書いておいた方が、僕自身のためでもあるし、
これを読んでくれている人のためにもなると思うので、
しばしおつきあいください。
めちゃくちゃネタバレしますが、
ネタバレされてから見ても楽しいと思うので、
気にせず読んでもらえたらと思います。
でも本当にネタバレが嫌な人もいると思うので、
一応、
※以下ネタバレ注意!※
まどマギのテーマ
まどマギのテーマを扱うときに、
ちょっとした補助として、
3次元的存在
4次元的存在
5次元的存在
という三つの存在を定義しておこうと思います。
- 3次元的存在を人間や動物など
- 4次元的存在を霊や魂など
- 5次元的存在を神
という風に定義しておくと、話が分かりやすいので、
そう思っておいてください。
3次元的存在の人間は、
時間に干渉することができず、
物質世界の中で生きている存在です。
4次元的存在の霊は、
時間に干渉することができ、
時空を超越することができます。
その世界を霊的世界と言ったりします。
しかし4次元的存在でも因果律を超えることはできません。
時空間的因果の中でしか生きることができないわけですね。
5次元的存在の神は、時空を超越しており、
さらに因果律すらも超越している存在です。
世界の書き換えも行える存在ですから、
世界のルールそのものを変えてしまうことも可能です。
まどマギを見たことのある人は、
少し察しがつくかもしれませんが、
まどかが魔法少女になったときに、
彼女は5次元的存在(神)となり、
世界の書き換えを行います。
ほむらが魔法少女になったときに、
彼女は4次元的存在になりました。
ほむらは、4次元的存在なので、
何回も輪廻転生を繰り返して、
時空をさかのぼっては、失敗し、
因果を乗り越えようと奮闘していたわけです。
でも4次元的存在なので、
自力では因果を乗り越えることはできませんでした。
ちなみにインキュベーターのキュウべえは、
一応3次元的存在?なのかなと思います。
3.5次元くらいかもしれない。
この3次元的存在から5次元的存在の定義を持っておくと、
非常に物語がわかりやすいものになるので、
理解しておくと面白いと思います。
ちなみに、この概念はいろんな物語に応用されている考え方でもあるので、
汎用性が高いです。知っておくとお得です。
エヴァなら、そもそもの人間が4次元的存在として描かれていますね。
シンジ君は、何回も同じ物語を繰り返して、
自分の望む結末を迎えようとしています。
それはほむらのやっていたことに似ているんですよね。
エヴァだったらカヲル君が、
いくつもの棺の中の一つから目を覚ます描写があったかと思いますが、
エヴァの登場人物たちは、
みんな4次元的存在として同じ世界線をやり直す
ということをしているのではないかと思います。
新劇場版のQで、物語の円環の外側に出るので、
やり直しのきかない世界線に移行していますが。
それはエヴァの話なので、置いておきましょうw
それで、4次元的存在としてのほむらと、
5次元的存在のまどかということだったわけですが、
東洋的な思想の中では、魂は輪廻転生を繰り返していて、
魂は何回も現世を経験して成長を続けていると考えます。
日本のアニメでは転生ものが今でも人気ですが、
転生という概念じたい、輪廻転生からきています。
輪廻転生の中では、
人間は神から運命づけられているとも考えられていて、
その定められた運命を超えることはできない、
という考えと、
逆にその定められた運命を超えることを魂は求めている、
という考えがあります。
これはニーチェから発想すると面白くて、
ニーチェは永劫回帰という思想を残しています。
永劫回帰とは、
魂は永遠に同じことを続けている、という考え方です。
生まれ変わっても、
魂は同じ運命をたどることになるということですね。
その円環のシナリオを変えることは不可能だ!
というのがニーチェの発想です。
しかし、その円環があるのがどうした!
そこに絶望して、のほほんと生きるんじゃなくて、
円環の中を繰り返しているだけなのが人生なのかもしれない。
それでも!もしそうだとしても!
その円環に立ち向かっていけよ!
というのがニーチェの言いたかったことなんですね。
ニーチェのニヒリズムは、
僕は積極的ニヒリズムだと考えていて、
ニーチェは、積極的に絶望の中に飛び込んでいく思想だと
僕は考えています。
絶望がある、それは変えられない。
変えられないからどうした。
変えられないことが運命づけられているとして、
それに安住するわけないだろう!
積極的にその絶望の中に飛び込んで行って、
人生に真っ向から挑戦していけ!
っていうのがニーチェのニヒリズムです。
岡本太郎的な暑苦しさが、ニーチェのニヒリズムです。
ニーチェのこの考え方を応用すると、
さっきの話がすこし解像度が上がるんじゃないでしょうか?
ほむらが、魂という存在だと仮定すると、
魂そのものである、ほむらは、まどかを助けられない、
という円環を何度も経験して、
そこに絶望したりするわけですが、
それでも、その円環を壊そうと、
その絶望に飛び込んでいくんですよね。
ほむらは、絶望に立ち止まらずに、
運命に立ち向かっていく象徴として描かれているんです!
ほむらっていう名前も深いんですよねw
アニメの最初らへんは、冷徹な印象なので、
名前と印象があっていないんですが、
アニメのクライマックスでは、
名は体を表すっていう感じになっています。
あきらめずに心に炎(ほむら)を灯し続ける。っていうね。
鬼滅の刃と関連づけて解説もできますが、それをやりだすと、
半端ない量の文章になってしまうので、それはまたの機会にw
話をニーチェに戻して、
ニーチェの考え方は、絶望に立ち止まらずに、挑んでいけ!
っていうことでしたが、
ニーチェでも、そこまでしか到達していないんですよね。
ニーチェの考え方に欠如しているのが、他力という概念です。
他力っていうのは、他力本願の他力です。
他力っていうのは、本来の意味では、
他人の力、という意味ではないです。
そもそも他力本願っていうのは仏教の言葉で、
自力を尽くしても、どうにもならない領域が世界にはある。
だからこそ、仏を信仰し、仏に助けを求め、祈るのだ。
そういう意味で、他力本願なんです。
ちなみに仏は5次元的存在と捉えてもらって良いです。
(厳密ではないかもしれないけれど、
そもそも厳密な仏って何なのか?
誰も知らないから大丈夫です)
つまり、ニーチェはどこまでも、
自力を尽くしていくことを説いているわけですが、
その先には、運命を変えることはできない、
という結末が待っています。
その結末を超えるためには、
他力という考え方がどうしても必要になるんですよね。
だから、まどマギはすごいんですよ!
他力まで描いているんです!
他力としての5次元的存在(神)、まどか、なんですよねw
これが言いたかったんです。
ほむらは自力の象徴で、まどかは他力の象徴なんです。
自力を尽くした先にある他力を描いているんです!
人間とか、魂にとっての他力という存在になったのが、
まどかだったという、
ものすごく奥深い思想がまどマギから紐解けるんですよ!
マジですごくないですか?w
僕は鳥肌が立ちました。ガチ泣きでしたねw
こんなすごいアニメがあったのか、と。
本当にびっくりしました。
普通のアニメでは、
円環の中で運命は変えられない、
でも自力を尽くして、
頑張って運命を変えようと努力すれば運命を変えられる。
っていう設定で終わってしまうところを、
まどマギはその先にまで到達させたアニメだった!
っていうことです!
その先っていうのが、他力という領域なんです。
一つの神話として捉えてもいいくらいの奥深さなんですよねw
それをあのポップな絵でやっている、っていうのもねw
こんなすごい思想を背景に置いておきながら、萌えを忘れないっていうw
本当にすごいな、と思いました!
ということで、やっと書き終わったw
まどマギを語るにはこれくらい書かないとすばらしさを伝えられないっていうのも、
またその奥深さを物語っていると思っていただければと思います!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
では。