僕はよく神社に行く。
神社に行ったら、祈る。
今日、ふと思ったのは、
祈りと感謝は似ている。っていうこと
昨日、緊張するときは、自分以外のことに気を向けて、
感謝すると意外と自意識から解放されて、緊張しすぎないでいられる。
っていうことを書いた。
感謝するっていうのは、ありがたいなと思うということだ。
ありがたい、と思うことは祈りの気持ちに似ている。
祈りっていうのは、人や神様に向けるものだ。
感謝も、人や神様に向けるものだ。
日本の神様は、ご縁結びの神様だと言われる。
ご縁っていうのは自分で結べるものではないし、
かなり偶然性に頼っているところがある。
偶然をつかさどるのが神様なのだとしたら、
ご縁を結んでくれる偶然性、
運の良さを授けてくれるのが神様なのだろう。
自分だけの力で生きられているわけではないのだな、
という悟り、
大いなる存在の働きによって与えてもらっているのだな、
という気づき、
こういうのは感謝の根源的な悟りだと思う。
祈り、とかいうと、いかにもスピリチュアルで、
胡散臭い感じがしてしまうものだけれど、
感謝、というと、べつに胡散臭い感じがしない。
そりゃ人間、無力だし、自分だけで生きられるほど強くない。
だから、懸命に生きれば生きるほど、
周りに助けられていることに気づかされる。
周りに助けられている、周りに支えられている、
そういう気づきっていうのは、
人生を豊かにしてくれるものだと僕は思う。
周りに助けられているっていうことは、
その周りの人に出会わせてくれた大いなる存在がいて、
その偶然を生み出してくれた存在がいるかもしれない。
そういう存在がいるのだとしたら、感謝せずにはいられない。
僕はいろんな偶然に助けられて、今楽しく生きられている。
良き出会いに恵まれて、今楽しく生きられている。
多少、苦しいこともあるし、つらいこともあるけれど、
それも乗り越えていけると思えるほど、周りに支えられている。
もっというと、神様に支えてもらっている。
僕はだから、神様に感謝しているし、
自然と祈りのような気持ちが湧いてくる。
祈りは自由だ。
こうしなければならない!
みたいなものは存在しない。
感謝は祈りの一つの形体なのだと思う。
現実主義的な時代である今だからこそ、
感謝という形の祈りだけは忘れずに生きていきたいものですね。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。
では!