2023年 総集編! 今年もありがとうございました! 2024年もよろしくお願いします!

今回は、今年の総括ということで、

今年に書いた記事をハイライトして、総集編を書いていこうと思います!

時系列順になっているので、興味があれば、記事のリンクから飛んでもらって、読んでもらえればと思います!

 

 

zakioza.hatenablog.jp

今年一発目の記事が、これ。

ああ、懐かしい!ってかこれ読んだの数年前だったような気がしてしまう。

それくらい、昔に感じるのが今年の一月ですね。

時間の密度が数年分の濃さになっているような感じで、

一月ですら、もう昔のことのように感じます。

でも、この「光あるうち光の中を歩め」

という小説、トルストイという人物は、今年の一貫したテーマだったと感じています。

この小説は、150ページくらいの短い小説です。

それなのに、いろんな哲学が盛り込まれています。

トルストイの思想的な主張がこの短い小説の中に凝縮されているんですよね。

トルストイと言えば、「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」、「復活」などの鈍器本(鈍器になってしまうような分厚い本のこと)が有名ですが、

この「光あるうち光の中を歩め」が僕はおすすめですね。

マジでいい本なので、ぜひ読んでみてください!

 

zakioza.hatenablog.jp

そういえば、ブログのタイトルを変えたのも今年でした。

でも、またブログのタイトルを変えたので、

今は、「ZAKIOLOGYのコーヒータイム」ですw

でもEasygoingというテーマはこのブログにも引き継がれています。

気楽に、気軽に行こうぜ!というノリで、

僕は今後もブログを書き続けていくんだろうなと思っています。

 

zakioza.hatenablog.jp

今年の一番のトピックと言えば、生成AIだと思います。

僕も今年は、AIをたくさん使ってきました。

今はもうすっかりAIにもなじんできて、AIを使わないとしっくりこないレベルで、

AIを使うことが当たり前になってきました。

今後もAIは進化を続けていくと思いますし、来年はもっとインパクトのあるAIが出てきたとしてもおかしくありません。

でも、そうだとしても、AIには干渉できない領域が現実の世界には存在します。

データ化されていない現実の世界で人間は生きていて、

データ化されていない現実の世界でデータ化できるわけがない「幸せ」を人間は求めて生きているので、そんなに生き方自体は変わらないんだと僕は思っています。

 

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この本に、「沈黙」に込めれらた意味が書かれていたのを覚えています。

遠藤周作さんの代表作「沈黙」には、どんなに信仰心を持って生きていても、神様は沈黙を守ったままであるということが描かれているらしいです。

らしいです、というのは、僕自身はまだ読んだことがないからです。

でも、神様は沈黙を守るっていうのは、僕はよくわかるんです。

どんなに熱烈に祈っても、どんなに頑張って生きていても、理不尽な現実は訪れます。

悲しいことは起こるし、それを避けることはできません。

そんなネガティブなことが起こった時に、神様に文句を言いたくもなる。

なんで、沈黙したままなのだ!こんなに熱烈に助けを求めているのに!

といった具合に。

でも、絶対に神様はわかりやすい答えなど与えてくれません。

沈黙を守ったままなのです。

でも、その沈黙の中に、静寂の中に、声なき声を聴く。

それが人間の役割です。神様にどれだけ祈っても、答えは返ってこない。

それでも、沈黙の中に声を見出す。声を聴く。

それが、本物の信仰というものです。

 

何かわかりやすい答えをあたえてくれるから、人は信仰心を持つのか、

違う。

助けてくれるから祈るのか、

違う。

助けてくれなくても助けてくれても祈るんだ。

祈りっていうのは合理とは違う。

どんなにマイナスなことがあっても、絶望に打ちひしがれても、祈り、神を求めるのが、本当の信仰ってもんだ。

 

遠藤周作さんはこの本の中で、本物の宗教について語っているが、

本当にすごいから、読んでみるといい。

現代の日本人は宗教を誤解していることが身に染みてわかるだろう。

 

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はてなブログの編集部の方に取り上げてもらって、若干ばずったのがこの記事ですね。

本当に、文章を書き続けていくことで、僕は調子があがる。

それは体感としてよくわかっていて、これからも書くことをやめず、一生続けていくんだと思います。

最近は忙しさを言い訳に書く量が減ってしまっていますが、

その分、濃密な記事が書けるように頑張ります!

 

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今年見た映画の中で、一番、衝撃的で、一番面白かった映画。

周りの人たちはイマイチという評価をしている人が多かった気がする。

姉とも話したんだけど、「君たちはどう生きるか」は村上春樹の小説に似ている。

ぶっちゃけ、あんまりわからないんだけど、それがなんか示唆的で面白いっていう感じ。

そういう面白さを、面白がれる人間と、面白がれない人間がいるだけな気がする。

それは、どっちが優れているとかいう話ではなく、

単に趣味趣向の問題でもある。

 

この記事にも書いているけれど、

周りの人間関係は守護霊的で、

生命の根源とつながっていたときの記憶を思い出し、

先祖から受け継がれてきたものに思いを馳せる

っていうのを、この映画から受け取った。

 

よくよく読んでみると、今年のテーマそのものだったかもしれない。

周りの人たちが、自分を守ってくれているんだなっていう感覚とか、

自分はもともと生命の根源とつながっていたんだなっていう感覚とか、

今、こうしていろんな技術を享受して、

いろんな知識を得られるのは先人たちのおかげなんだなとか、

こういうことを今年は考えることが多かった気がしている。

 

そして、それってたぶん、人生を通じて大切にしていくべき感覚なんだなと思っている。

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今年読んだ小説の中で、もっとも深く残っているのは、

「ねじまき鳥クロニクル」

今年、この小説を読めて本当に良かったと思う。

いろんなメタファーを、また村上春樹からもらったような気がする。

ひとつ大事なメタファーを受け取るたびに、

ひとつ日常を大事に生きれる気がする。

メタファーっていうのは、滋養みたいな感じで、

じわじわと日常にしみこんでくるような感じ。

村上春樹を読むことの効用があるとすれば、

それは、滋養としてのメタファーをたくさん受け取ることができる

っていうことだと僕は思う。

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聲の形も、今年のテーマを多分に含んでいたような気がする。

聲の形のテーマは、罪悪感と鎮魂だと思う。

人は生きていれば、たぶん誰かを傷つける。

そこに罪悪感を持ってしまうこともあるかもしれない。

でも、相手を傷つけてしまっても、

相手はそれを未来では感謝して生きているかもしれない。

そういう未来は、きっとある。

そう信じて、祈りながら生きていくしかない。

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今年出会った著者の中でもう一人、深く心に残っているのは、

フランクルだ。

フランクルは、すごい。とにかくすごい。

「それでも人生にイエスと言う」

っていう題名からも、もうさすが、としか言いようがない。

それでも、という枕詞に、どれだけの思いを込めたんだろう。

それを想像して読んでみると、受け取れるものも多いんじゃないだろうか。

アウシュビッツを生き抜いてもなお、人生にイエスと言い続けたフランクルの言葉には、固有の説得力と、固有の重みがある。

魂がのっかった言葉、それしか人間は求めていない。

魂がのっかった文章、それを体感するためにも読んでみると良いと思う。

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落ち込んでも復活する、それって本当に大事。

僕は落ち込むけど、毎回復活できる。なんやかんや。

根が楽観主義者だからかもしれない。

生まれてきただけで丸儲け、生きているだけでも丸儲け。

そう思ってこれからも、落ち込んでも復活していこう。

この記事は、僕にとってかなり大事なことが書いてある。

根本的な原因までたどりつくこと、それってマジで大事。

 

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そういえば、夏ごろは、学会発表があった

学会の当日になって、急に用意していた原稿を読めないことが判明して、

めちゃくちゃ緊張し、何をしゃべっていたのか、まったく覚えていないw

そういえば、前乗りした前日は体調が悪く、最悪だったんだよねw

学会終わった後もそんなに調子が良くなくて、マジで楽しくなかったのを覚えているw

本当に自分はリキむと失敗する。

なんか楽しみにしすぎると、体調を崩したりして、絶対に失敗するのだ。

それを深く再認識させられたw

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今年は生成AIが流行語になるほど、進歩した。

本当にすごいことになっている。

今適当に生成するだけでも、こんなものが出来上がる。

まあ、マジですごい。

単にすごい。以上w

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これは、インスタに書いた文章をそのままブログに載せたやつ。

先人たちの知恵をいくら学んでも、結局は、問題の渦中にあるときには、気休めにしかならない。

本当に大変なときっていうのは、そういう感じで、

だからこそ、普段から気休めにしかならないとしても学び続けて、

気休めになるような言葉を自分の中にストックしておくことが大事なのかもしれない。

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たぶん、僕は、自分の感動体験を、みんなにも体験してほしい、と思っているのだ。

もっというと、自分の感動体験、

つまり、幸福感を、みんなにも味わってほしいと思っているのだ。

 

って書いてる。

それは今も変わっていないし、これからもたぶん変わらないことなんじゃないかなと思っている。

 

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火山が氷山があるべき場所にあったら変ですよね。火山は火山として必要な場所におるもんです。

人間かて、自然の一部なわけで、人間かて、山のようなやつもいれば、谷のようなやつだっている。そうやって諦めて、そういうやつもいるやんな、しゃあないな、というくらいの心持で生きていくしかない。

最近はそう思うんです。

って書いてる。

勝つとか負けるとか、そういうことではなくて、お互いの個性を認め合いながら、生きていくことって、大事なことやなと、思います。

 

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上の二つの記事に関しては、まとめて書こうと思う。

だいたい同じようなことを書いているので、まとめて書いてしまったほうが良いだろうと思う。

 

僕は、親とぶつかることが今まで多かった気がする。

いろいろなネガティブな記憶っていうのが、鬱屈した形で存在しているっていう話だ。

そのネガティブな記憶のせいで、目の前の人のことを悪者にしてしまったり、歪んだ見方をしてしまうことがあったりする。

誰しも、親子関係において、歪みを持っているし、親の歪みは、親の歪みだけではなく、親の親の歪みも存在していたりする。

実際に、僕の親の歪みはその親自身だけではなく、親の親、つまり祖父祖母の歪みも多分に関係している。(話を聞く限りでは)

だから、親だけが悪いわけではないけれど、その歪みがゆえに、苦しんでしまうこともあるっていうことだ。

苦しむたびに、それを思い出して、歪んだ見方をしているんじゃないか?という意識を持つだけで、悩みは減ってくるかもしれない。

僕自身は、最近はそれのおかげで、悩むことが減ってきた。

年末っていうのは、良くも悪くも親や親戚を意識することもあると思う。

そういうときこそ、自分のルーツを知るにはうってつけのタイミングなのかもしれない。

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この二つの記事もセットで書いておく。

もともと、この二つの記事は一つにする予定だったからだ。

一つは本当の幸せは、相対的ではないっていうこと。

もう一つは、本当の幸せは、一体感が根源的にあるのではないかっていうこと。

要点だけ言うと、相対的な幸せっていうのは、本当の幸せを見ないための手段に過ぎないのだということだということ。

人と比べて得られる幸せっていうのは、頭で考えることだけれど、一体感を通して感じる幸せっていうのは、頭ではなく腹からハートから幸せを感じている。

そう言う話。

 

最後に

すごく長くなってしまった笑

僕がどれか一つ読んで欲しいとしたら幸せについての記事。

あれは本当にいい記事だと思ってるので、おすすめです。

 

今年もあっという間でしたねー。

もう本当に一瞬で。

卒論発表とか今年やったんかーっていうくらい、それ以降の日々が濃密で、すごく充実していたし、周りの人たちに支えられて、楽しい日々を送れました。

最近の僕は、数年前に比べてもかなりイキイキしているらしくて、そう言ってもらえるくらいに、楽しい1年でした!

皆さんにとっても良い1年であったなら、それは最高なことです!

また来年も、濃密な濃厚な一年にして、10年分生き切るくらいの勢いで生きていこうと思います笑

来年も皆さんの一年が実り多きものになりますように!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

来年もよろしくお願いします🙇🙇🥳