村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読んだ。
今回は、その感想を書いておきたいと思う。
ネタバレを含むので、以下ネタバレ注意
率直に申し上げて、
よくわからなかった。
- 羊とは何を意味するのか?
- 羊をめぐる冒険は何だったのか?
- 鼠はなぜ自殺しなければならなかったのか?
- 羊博士が失ったのは何だったのか?
- <僕>のガールフレンドはなぜ急に山から去ったのか?
- 羊男は何だったのか?
あげればきりがないほど、よくわからなかった。
それでも、それなりに考えることはできる。
わからなかったことは、そのままにしておけばいい。
わかったことから何か考えること、何か受け取ることが、小説を読む意義だ。
鼠が戦っていたものたち
鼠は、権力機構に抗って死んでいった。
鼠が戦っていた権力機構は、現代に存在する何か、を象徴しているような気がする。
権力機構とか言うと、それなりに陰謀チックな響きを伴ってしまうが、それは仕方のないことだ。
羊は影のようなものなのだと思う。
影のように、光の当たるところに付きまとってくるもの。
影の中から、光の当たる人を誘惑するもの。
そんなものなのだと僕は思った。
権力やシステムというのは、影の一つの形なのだと思う。
羊という影は、さまざまなものの抽象的な比喩なのだろう。
一つの形として現象化したものが、権力機構というわけだ。
鼠は、その権力機構に、飲み込まれそうになった。
その権力機構から逃れるために、自殺という強硬策に出るしかなくなった。
そう考えるほかない。そして、その権力機構を永遠に葬り去るために、
<僕>の力を借りざるを得なかった。
条件付きの自由意志に気づく<僕>
しかし、複雑なのは、鼠を探すために、
<僕>は権力機構に操られることになったという点だ。
権力機構の黒い服の男に、まとまった金を与えられ、
条件付きの自由意志に基づいて、鼠を探すように仕向けられた。
最終的には、条件付きである自由意志に<僕>自身が気づくことになり、
その条件付きである現実から、離れることになった。
人間にとって、自分の意志が本当に自由意志なのかどうか、
という問題はいつも付きまとう。
広告ビジネスは、現代では盛んにおこなわれているし、
広告ビジネスが多くなればなるほど、
人間の自由意志は条件付きのものに成り下がってしまうような気がする。
羊をめぐる冒険によると、その権力機構に思想的な背景はないらしい。
陰謀論でいうところの、戦争ビジネス的な、
金を儲けることのみを考えている組織のようなものなのだと思う。
権力機構は、世の中の人々を操りたがる。それが一番、儲かるからだ。
自由意志に見せかけた条件付きの自由意志に基づいて人間を行動させようとする。
それは、今のyoutubeの広告や、SNSでもそうだし、
ひと昔前のテレビ広告でもそうだった。
「羊をめぐる冒険」から受け取ることのできたメッセージ
「羊をめぐる冒険」の中から受け取れたメッセージとしては、
自由意志に見せかけられた条件付きの自由意志に気づくことの難しさ、
そして、その操られた自由意志に気づくことの大切さである。
月並みな表現になってしまうが、
僕たちが自由に選んでいると信じているものが、
本当は、何らかの権力機構の情報操作によるものなのかもしれない、
と疑ってみること、その疑問を持つことは、
現代を生きる中でも重要なことだと僕は思う。
うまくまとまらないが、取り急ぎそんな感じ。
またゆっくり考察することは今度やってみようと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
では!