一貫性のないことが人間らしさでもあるっていう寛容さが大事

こんにちは。

おざきです。

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今回は、一貫性がないのが人間らしさでもあるよねっていう話をしていこうと思います。

皆さんには何かに対して一貫性を持っていますか?

僕は一貫性を持てていることってほとんどないなと思います。

 

思想的な部分なんてここ数年でがらりと変わってしまいましたし。

 

生活にも一貫性がないです。

 

趣味趣向にも一貫性がない。

 

僕は本当に一貫性がない人間だと自覚しています。

 

たぶんこのブログでも一貫性のない記事を書いていたりすると思います。

 

まあ、そんなところも人間らしい部分ではあると思うんですよね。

 

最近、中野信子先生のペルソナという本を読んでいるのですが、それをより感じた文章がありました。

 

引用するのは面倒なので、軽く説明すると、

 

日本社会だって、一貫性がないわけですよ。

例えば、世代ごとに価値観が違いますよね。団塊の世代団塊ジュニアしらけ世代ゆとり世代、さとり世代et cetera。

団塊の世代なんかは、戦後の復興で高度成長していて、今日より明日はより豊かになるっていう神話のなかで生きていたわけで、今なんてマイナス成長だなんて言われているわけだから、一貫性もクソもないわけですよ。

 

さらに言うと、この10年でもかなり価値観が変わってきてますよね。スマホが出てきて、若者はTVを見なくなりつつあります。

 

そんな感じで、僕らをとりまく環境自体に一貫性がないのだから、僕らの脳もその一貫性のなさに対応できるように、自然と一貫性をなくしているっていうわけ。

 

みたいなことがペルソナっていう本に載ってたわけですね。

 

こんなこと言われると自己肯定感高まってしまいますね。

 

僕なんかは、自分が何をしたいのかよくわからない。たしかに好きな物はいろいろあるし、それを仕事にできたら良いのだけれど、どれもこれも一貫性のない趣向なので、仕事にできるのか甚だ疑問だったんですよね。

 

一貫性のないこんないろいろなことに手を出して、いろいろできるようにはなりつつあるけれど、一貫性がないということに不安だった。

 

でも、そもそも脳に一貫性ないなら、別に普通なんだ。

そう思えたわけです。

 

なんかしら、成功している人って言うのは、一貫性があるように見えるし、一直線に遠回りしてないような印象を受けてしまうから、人々の意識の中には一貫性がないと成功できないのではないかっていう不安が渦巻いているのかもしれない。

 

意識の世界で言えば、顕在意識、潜在意識、無意識っていう三層構造になっているわけで、無意識っていうのはユングのいう集合的無意識で、これはある集団に共通の無意識なわけだから、結構当てはまる人もいるんじゃあないのかと思っています。

 

さっき引用するのは面倒だって書いたわけだけれど、共有しておきたい文章を発見してしまったので、引用しておきますね。(一貫性ないw)

わたしは存在しない。

これは悲しいことではない。透明な存在であることを嘆く必要はない。だからこそ、来るべき変化に対応することができるからだ。もう変化の時はきている。失われた世代として、透明に生きてきたからこそ、どんな姿にもなることができる。

中野信子著 ペルソナより引用

 

ペルソナ 脳に潜む闇 (講談社現代新書)

ペルソナ 脳に潜む闇 (講談社現代新書)

 

 

良い言葉だと思いませんか?

 

僕も透明人間になる!

 

はい。最後まで読んでいただきありがとうございます。

ではでは。