今日は仮免試験を受けてきた。
結果から言えば、合格した。
もっと難しいと思っていたから、
正直なところ「こんなものか」という気分だった。
僕の姉は車校に通うのが苦痛で仕方なく、
かつ仮免にも落ちたりしていたから、
それを見ていた僕は、
仮免ってめんどくさくてかつ難しいものなんだな
となんとなく思っていたが、
僕にとってはかなり楽で、すんなり終わった。
学科試験は少し不安だったけれど、
練習問題よりも簡単だったから、
ほぼ満点だった。(2問間違えただけだった)
僕にとっては大して難しくないことでも、
他人にとってはそうではないということが多々ある。
逆もまた然りだが。
実技というのか知らないが、
運転する方の試験のとき、
僕の前に運転していた人は、
クランクで脱輪してしまって落ちていたから、
俺よりも運転下手な人もいるんだな。
と思ってしまった(失礼だけれど)
僕は脱輪したことがないし、
普通に適当に運転していたらだいたいうまくいく。
なんで?と言われてもよくわからないが、
なんとなく運転していれば、うまくいってしまうのだ。
僕がこれまで助手席に乗ることが多かったことも影響しているかもしれないし、
育った環境が日本一の車社会だったからということは大きいかもしれない。
別に努力していないのにできてしまうこと、
それは紛れもなくその人の得意なことだ。
僕はたぶん運転は得意な方なのだろうと思う。(苦手ではないはずだ)
まだ車校の中を走っただけだからわからないが、
ステアリングを握ってメカを操縦するのは普通に楽しい。
ルフィやウソップがフランキーのメカに目を輝かせるようなものだ。
男にとってメカというものはロマンの結晶なのだろう。
肌感覚的な話なので何もエビデンスはないけれど、
男のほうが運転は得意なのではないだろうか?
男はたぶんシステマティックに設計されたメカを動かすことに長けているような気がする。
男性脳と言っても良いが、論理的にシステムが組まれている場合は、
何かと対応が早いのだと思う。
話がそれたが、
今日書き残しておこうと思うのは、
大した努力をしていないのにも関わらずできてしまうことを振り返ってみることは大切だということ。
それは学校の5教科でもいいし、スポーツでもいいし、なにか趣味でもいい。
たぶん普通の人ならもっと努力しないとできるようにならないんだろうな。
というものが読者にもいくつか見つかると思う。
そしたら、それを抽象化してみたらどうだろうか?
例えば、僕の例なら、
野球でピッチャーが得意だった。
特にフォームがきれいだとよく褒められた。
コントロールも良かった。
他には、
車を運転するのも得意のような気がする。
これらを抽象化してみると、
野球と車の共通項は、
人から教えてもらったということである。
人から教えてもらってすぐに実践するのが得意ということがわかる。
フォームは特に人の真似をしたし、コントロールも結局はフォームの再現性が大事なのだから、マネが得意だということに抽象化できる。
車の運転も最初は見よう見まねで指導員の人の真似をすることから始まる。
ということで、
僕の得意なことは、人の真似をし、人から教えてもらったことをすぐに実践してみることであるということになる。
こんな感じで、読者も自分の過去を虚心坦懐に振り返り、
自分の得意なことを見つけてみたらどうだろうか?
やりたいことがわからなくても、
得意なことがわかっていれば、
ある程度は楽しんで暮らすことができるかもしれない。