やりたいことが明確にあるのなら突き進めばいい。ないのなら、立ち止まればいい。

昨日は、久しぶりに会う友達と、

ごはんを食べ、話をしていた。

近況についてとか、最近みたドラマの話とか、

 

いろいろな話をしていたわけだけれど、

その友達は、どうやらアカデミアに残ることを考えているらしい。

 

僕は、修士までと、決めていたから、

博士に進学するつもりは現状は全くない。

ゼロに限りなく近い。

 

今やっている研究が、それなりに面白いテーマをやらせてもらっているから、

博士が全くないわけではないのだけれど、博士の先輩を去年見ていて、

僕は先輩みたいに頑張れないな、と思ってしまったのが大きいかもしれない。

 

まあ、とにかく博士に進むのにはそれなりの覚悟が必要で、

僕にはその覚悟を決めるほどの胆力が備わっていないというわけだ。

 

博士に進学してまでやりたいことがある、

と語っていたその友達を、

なんとなくうらやましく思った。

 

僕にはこれといって、何かをやりたいと思うことがない。

何かをやりたい、これに命を懸けたい、

そんなものははっきり言って、ない。

あるとしても、もっと抽象的なことになってしまう。

 

今までは、やりたいことがあった方が偉い!

みたいな価値観があって、今でも多少名残があるのだけれど、

昔よりは薄まっているような気がする。

 

やりたいことをやる、っていうのは、

思っているより大事なことじゃない、

と気づいたときがあったのだ。

 

僕は、割と興味が湧く分野は広いし、

物理とか自然科学の分野も好きだけれど、

仏教とか神道とか東洋思想、西洋哲学まで、

いろんなことを知りたいと思ってしまう性格だ。

 

割と興味の移り変わりは早いし、

一つのところにずっととどまっていることが苦手でもある。

そして、自分から0の状態から生み出すことも苦手で、

既存のものを改良したり、

手を加えたりする方が得意でもある。

 

ブログも、0から書き始めるわけではなくて、

日常で起きたことから、感じたことを書いていく中で、

文章としてまとまっていく。

 

人からいろんなものを受け取って、

誰かにそれを渡していく、

みたいな役割の方が得意だと自分でも思う。

 

まあ、人にはそれぞれ性質とか性格がある。

それぞれの人生に、それぞれの道があって、

僕には僕なりの正しさや間違いがあって、

ほかの人にもほかの人なりの正しさや間違いがあるのだと思う。

 

まあ、それでも、現実の世界を生き抜くということを考えたときに、

生きやすいタイプと生きづらいタイプはもちろんあると思うし、

僕はたぶん生きづらいタイプなのだと思う。

 

そりゃそうだ。

何もやりたいことがない、

っていう人間に価値を見出してくれるような会社は少ないだろうし、

何よりも、自分の人生の方向性を見出していくのが難しくなる。

 

僕が幸運なところがあるとしたら、

それは、いろんな書物に出会い、神道に出会ったことだ。

僕には人生を通じて深めていける軸をすでに手にすることができた。

ただ、神道という軸は、まったくお金にはならない(笑)

現実的な作用はほとんどないから、精神的な軸としか持ちえない(笑)

 

まあ、でも現実なんて所詮は現実なので、

その背後にある世界の方がよほど大切だっていうのは、

間違いがないから、僕は大丈夫だと勝手に確信している。

 

まあとにかく、やりたいことが明確にあるのなら、突き進めばいいし、

ないのなら、精神的な軸を見つけてみたらいい。

そんな感じのことを思ったという話でした!