【鬼滅の刃】半天狗が象徴することを考察してみた!

鬼滅の刀鍛冶の里編が、

佳境を迎えているということで、

今日は半天狗が象徴することについて書いてみます。

 

以下はネタバレを含みますが、

ネタバレがあったとしても、

本編を楽しめると思うので、

ぜひ最後まで読んでいただけたらと思います!

 

半天狗の概要

- 半天狗は、上弦の鬼の中でも最強の一角を占める上弦の肆です。


- 半天狗は、自分の感情に応じて

分裂能力を持つ分身体を生み出すことができます。

分身体には喜怒哀楽という文字が刻まれた舌があり、

それぞれが異なる武器や能力を持ちます。


- 半天狗は、外見は小柄な老人で、額に角とコブがあります。

性格は極めて臆病で卑屈で、

自分を虐めた人間に対しては仕返しをします。


- 半天狗は、人間だった頃から嘘つきで不誠実でした。

名前や年齢や生い立ちも忘れてしまいました。


- 半天狗は、潜入を得意とするため、

重要な任務に派遣されることがあります。

鬼舞辻無惨からは

「普通。たまにうざく感じるが許容範囲内」

と評価されています。

 

Bingによる要約

 

 

※※以下、ネタバレあり(漫画15巻までの内容を含みます) ※※

 

天網恢々疎にして漏らさず

半天狗という鬼は、

天網恢恢疎にして漏らさず。

(てんもうかいかいそにしてもらさず)

ということわざを象徴しているといえます

 

天網恢恢疎にして漏らさずとは、

天網恢々疎にして漏らさず

  1. 天網は目があらいようだが,悪人を漏らさず捕らえる。
    天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。

 

要は、悪いことをしたら、誰も見ていなくても、

天は見ているし、自分の心も見ているということです。

 

半天狗は、自分が侵した罪に対しても、

責任を負うことはなく、むしろ、

他人のせいにしたり、

自分の手が悪いのだと言い訳をします。

 

挙句の果てに、自分は弱者で、

弱い者いじめをされている。

と被害者意識を持っています。

全然、弱者ではないのに。

 

半天狗が鬼化してしまうときに、

代官のような人に、

言われる言葉がありますが、

その内容がまさに、

「天網恢恢疎にして漏らさず」

と同じなんです!

 

感情の分離と無責任

半天狗はいろんな感情に分離していきます。

最終的には、憎珀天になりますが、

半天狗の分離が象徴しているのが、

感情の分離です。

 

すべての感情は、自分の中にあり、

複雑性をもっているはずのもの。

それなのに、感情を分離していくのです。

 

感情の分離は、他人と自分の分離でもあります。

他人は自分ではない。

だから関係がない。

どうなってもいい。となります。

自分の感情も分離し、

この感情は自分ではない。

そうやって、

自分から切り離していくのです。

 

結局のところ、この「分離」が、

半天狗的な無責任の象徴で、

被害者意識を生み出していきます。

 

何か良くないことが起こったとして、

それは自分のせいではない。

自分は悪くない。

悪いのは相手の方だ。

と思ってしまうことは、

誰にでもありますよね。

 

でも、絶対に自分のせいではない!

と言い切れることって、

本当にあるのでしょうか?

 

少し考えてみれば、

何かしら自分の非を見つけることは、

いくらでもできるはずです。

 

例えば、

他人から何か嫌なことを言われたとして、

自分の立ち振る舞いが悪かったかもしれない、とか、

嫌なことを言われる前に、

相手に嫌な思いをさせてしまっていたかもしれない、など。

 

このように、自分事として、

自分の行動や言動を振り返ると、

自分にも反省すべきところがあるかもしれない、

ということが浮かび上がってきます。

止観

これを仏教では、止観と呼びます。

感情が渦巻いているときに、

立ち止まって、俯瞰して観る。

ということです。

 

仏教には感情のコントロールのための行が、

凝縮されているので、興味があれば、

本などを読んでみると良いと思いますが、

話の筋がそれるので、置いておきましょうw

 

ほかには、日本の政治に対する構えも、

半天狗的な感じですよね。

自分には関係ない、政治なんて興味ない、

そういう人は多いと思います。

 

確かに、日本の政治家はどうしようもない感じですが、

その政治家を選んだのはほかでもない日本人で、

僕たちのせいでもあります。

 

(たしかに日本の政治はおかしいし、

変えることは難しいかもしれないけど、

それでも、選挙をしている限り、

国民にも責任はあります)

 

若者は、政治の腐敗をニュースなどで見て、

そこに絶望し、無関心になっていきます。

でも、若者であったとしても、全く無関係ではないし、

僕らの世代が選んできた政治家ではないけれど、

僕らの親や先祖達が選んできた政治家ではあるわけで、

そういう血縁を遡れば、僕たちの先祖の残してきた課題が、

今、噴出しているとも考えることができます。

 

そういう風に、人のつながりを遡れば、

歴史と無関係な人間なんて一人もいないし

日本の政治と無関係な日本人なんて一人もいません。

 

まあ、でも政治を変えるのは、

すごく時間のかかることですし、

参政党のような政党が出てきたのは、

希望が持てることではありますが、

変わっていくのには時間がかかるでしょう。

 

とりあえず、政治は無理でも、周りの人間関係で、

人とのつながりを意識することは、

大事なんじゃないかなと僕は思っています。

それを拡張していけば、

それが地域コミュニティになり、

国になり、世界になっていくからです。

抽象度を上げれば、無責任ではいられない

話を戻して、

俯瞰して、抽象度を上げれば、

誰かだけが悪いということは、あり得ないし、

自分に無関係なことは、あり得ない。

 

それなのに、誰かを責めてばかりいる。

本当は自分に非があるのにもかかわらず、

それをないことにしてしまっている。

 

でも、そういう自分を自分の心は見ているわけで、

そういう弱い自分を見ている心は、

どんどん小さくなっていく。

 

半天狗は小心者ですが、

まさに心の小さき鬼。

その心を小さくしているのが、

「分離」だったわけです。

分離していけばしていくほどに、

心は小さくなっていきます。

 

そして、被害者意識だけが、

ムクムクと大きくなっていく。

その被害者意識を生み出しているのが、

恨みという感情で、

それも鬼滅の中で描かれています。

 

本当に、作者がすごすぎますよね笑

炭治郎は父性の象徴

炭治郎は、心の大きい人間の象徴ですが、

まさに対極にあると言えます。

 

炭治郎は、

自分にも非がある、という次元ではなく、

悪いことが起きたとしても、

禰豆子を助ける、他の人たちのために戦う。

そういう大きい器を象徴しています。

他人の心までも背負って戦う、そんな心の大きさ。

 

炭治郎の心の大きさが象徴しているのは、

父性だと僕は思っているんですよね。

 

父性とは、辛い出来事が起きた時に、

その理不尽も受け止めて、

前に進んでいく強さのことです。

 

言ってしまえば、

半天狗には父性がないのです。

自分が犯した罪にすらも責任を負えず、

言い訳ばかりしてしまう。

 

ちなみに、現代は父性欠如の時代だとも言われています。

toyokeizai.net

炭治郎みたいに損得を度外視して、

人のことを助けるとか、

どんなに理不尽なことが起きても乗り越えていくとか、

そういう強さを日本人は失ってしまっています。

日本人は、というか、

世界中の人たちが同様に失っているのかもしれませんが。

半天狗の根源のエネルギー

半天狗の根源のエネルギーは、

「怯え」という感情のエネルギーです。

 

もともとの本体の半天狗は舌に「怯」という文字が書かれていますが、

もともとは怯えという感情が根源としてあるわけです。

 

怯えているから、人のものを盗んでしまい、

人の物を盗んだら、人にバレることを怯え、

また怯えるから、人を殺してしまい、

人を殺してしまったら、人に捕まることに怯え、

また怯えるから、それらを繰り返してしまう。

そういう無限ループをしてしまっているのが、半天狗。

 

根本的に怯えの心をなくさない限り、

そのループから抜け出せないわけです。

怯えの心を解決しないまま、

力を求めた結果として、

半天狗は鬼になってしまいました。

 

これがまた奥深い話で、

「怯え」というのも抽象度を下げる原因でもあるんですよね。

怯えや恐怖心というものは、抽象度を著しく下げます。

 

抽象度の概念については、

苫米地博士の本を読むと腑に落ちると思うので、

一応リンクを貼っておきます。

 

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

Amazon

 

抽象度が低いと感情に飲み込まれる

今だけ、金だけ、自分だけ、

そういう抽象度の低いことしか考えられないのが、

半天狗が象徴しているものだと思います。

怯えという負の感情があるから、抽象度が下がり、

抽象度が下がるから、目先のことしか考えられないわけです。

 

そして、抽象度が低いからこそ、

さらに感情に飲み込まれる。

 

感情に飲み込まれると、

人間はろくなことをしませんよね。

 

憎珀天が登場しますが、

もともとは積怒が、

他の感情を飲み込んで生まれたものです。

積怒、つまり怒りが積もり積もった先に、

すべての感情が飲み込まれ、

生まれた感情が憎悪というわけです。

 

鬼のパワーとしても、憎珀天が一番強いですが、

これは現実世界でもイメージが付くと思います。

憎しみは、怒りよりもずっとパワーが強いのです。

脳機能の視点から見る半天狗

感情というのは脳で言うと、

扁桃体という部位が司っています。

この扁桃体という部位は、古い脳の部分で、

新しい脳の部分のことを大脳新皮質と言います。

 

古い脳ということは、より動物的な脳であり、

新しい脳ということは、より人間的な脳であるということでもあります。

 

人間が理性的に物事を考えることができるのは、

まさに新しい脳を使っているときで、

感情的になっているときというのは、

古い脳に抽象度が下がっているときなわけなんです!

 

抽象度が下がっているときは、

目先のことや、自分のことしか考えられません。

逆に言うと、抽象度が高いときにしか、

未来のことや、周りの人のことを考えられないのです。

 

脳科学的な見地から半天狗を見てみると、

抽象度の低い人間を象徴してもいますよね。

逆に抽象度を高く保ち続ける鬼殺隊、

ということでもあります。

とにかく鬼は、抽象度が低いのが特徴です。

 

最後に

ここまで長ったらしく書いてきたわけですが、

この記事で覚えておいてほしいのは、

抽象度を下げない!ということだけです。

 

抽象度を下げないために、

半天狗に成り下がってしまわないために、

止観しましょう!

 

立ち止まって、俯瞰して見ましょう。

人とのつながりを感じてみましょう。

感情は分離しないで、

つながりを感じてみるのです!

 

これをちゃんと習慣にしていたら、

たぶん真の意味で気楽に生きられるようになります!

 

僕もまだまだ修行中の身ですので、

一緒に頑張っていきましょう!

 

それにしても、半天狗だけで、

こんなに考えられることがあるわけです笑

今まであんまり鬼滅の鬼について、

ちゃんと考察したことがなかったので、

とても良い経験になりました!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

 

では!