煩悩は煩悩であるが故に

僕は煩悩が強いタイプだと思う。

人よりも欲望が強いなと思うこともある。

物欲とか知識欲とか性欲とか、

そういうもろもろの欲が他の人よりも強いのである。

 

でも最近、煩悩には煩悩なりの役割があるのかもしれないな、と思うようになった。

 

煩悩っていうのは、ない方が良いと思ってしまうのが人間の性なのかもしれない。

 

でも煩悩のかけらもないような聖者として生まれてきたとして、

人生って楽しいんだろうか。

 

人生っていうのは、煩悩との向き合いであって、煩悩があるからこそ人間らしく生きれるのではないか?

 

煩悩という字に示されている通り、

煩わしい悩みのこと。

 

煩わしいな、とか、

これがどうにかなったらいいのにな、みたいな悩みとか、

 

そういうものって意外と愛おしいものなのかもしれない。

 

煩悩に執着しているのが人間の苦しみであるのと同時に、

煩悩から抜け出そうとするのが人間の楽しみであるのかもしれない。

 

修行って、必ずしもすべて苦しいわけではなくて、

ある閾値を超えたときに、楽しんでいる自分に出会えたりする。

 

あれ、意外と楽しいじゃん。

 

っていうふとした気づきが悟りなのではないか。

 

煩悩は煩悩であるが故に煩悩なりに役割があって、

煩悩があってこそ、人間は人生を楽しめるのかもしれない。