執着がなくなったときに限って

今日、メールが届いていた。

そのメールの内容は、zakiologyに広告を載せることを検討してほしいというもの。

アフィリエイトの提携を申し込まれたのである。

いや、もう三月で閉じるんですが笑

という感じなんですよね。

 

僕の人生って、こういうことが多くて、

何かしら執着がなくなって、

スッキリしているところに、

前まで執着していたことが舞い降りるみたいな。

 

例えば、恋愛で、

彼女欲しい!

っていう執着があったとして、

それを乗り越えたあと、

「ああ、彼女なんて別にいらないな。」

「何で執着していたんだろう。」

「バカバカしいな。」

と思っているところに、

超絶美女に告白されるような。

 

そんな感じのことが僕の人生には多いような気がするんです。

いや、上のことは作り話ですよ?

例えばの話で、

 

実際にはもっと大したことないんですが、

「ブログなんて別に有料でやることなんてないや。」

「もう広告で稼ごうとか、そんなこと考えず、

気軽に、身軽に書いていこう!」

って決心をしていたところだったんですよね。

タイトルにそういう思いをバッチリ反映したし笑

 

そういうところに、

いたずら電話のようなメールが届いたわけです。

 

笑える話ですよね。

 

でもそういうことって、

面白いなと思います。

 

どうしようもない人間の複雑さ、バグみたいなものを

体現しているような現象なんじゃないかな。

と思うんです。

 

たとえ、決心して、執着がなくなったとしても、

じゃあ、本当に決心きまったんだな?

という試練のようなお知らせ現象がやってきて、

神様に試されるような。

 

本当の意味で執着を超えるっていうのは、

そういう試練もこみで、乗り越えたときであって、

 

一見執着を乗り越えたように思えたときが一段回目の解脱(げだつ)、

試練を乗り越えて本当に執着がなくなったときが二段回目の解脱なのかもしれない。

 

なんだか修行僧のような話ですが。

 

いや、でも僕はたぶん仏教には縁があるような気がするんです。

仏教の本を読んでいるといつも温かい気持ちになる。

絶対に前世は仏教系のことを学んでいたと思う。もしくは神道系。

 

それはともかくとして、

執着がなくなったときに限って、

本当に執着がなくなったのか試されるような現象は、

現実としてあるのだと思うのです。

 

それは試練でもあり、チャンスでもあって、

本当に執着をなくして身軽になるチャンスでもあるんですよね。

このブログのタイトルEasygoing!っていうのは、

まさに気楽に身軽に行こうぜ!っていう意味で、

執着を手放す!っていう意味でもあるのかもしれないです。

 

いや、僕は全く意図していなかったのですが、

「執着を手放していくブログ」

っていうのもなかなか面白そうなブログだな

と思いました笑

 

ということで、執着を手放して自由に生きる!

それがEasygoing!

 

ではでは〜。