本番で足をすくわれる学会発表





つい昨日、

学会発表をしてきました。

 

自分の中では、かなり準備を重ねたつもりで、

スライドも作りこんだし、原稿もちゃんと作って、

直前まで予備スライドを追加したりと、

自分の中では万全に近い状態でした。

 

それなのに、当日の準備不足で、

めちゃくちゃ冷や汗をかくことになってしまったんですよね。

 

何があったのかというと、

会場で発表するだけかと思っていたら、

会場のパソコンをオンラインでつないで、

ズームでもスライドを共有しながら発表することになっていたのです。

 

ズームを使ったことのある人はご存知かもしれないですが、

スライドショーで画面共有しているときに、

発表者ツールを使うことができないという事態に陥ったわけです。

 

ある程度は、発表練習をしていたものの、

原稿なしで、全部の情報を漏れなく伝えることができるところまで、

練習することはできていませんでした。

 

そもそも発表者ツールを使うことを前提において、

スライドを作っていたということもあって、

スライドには書き込めていない情報もたくさんあり、

後から考えると、

あれも伝えられていない、

これも伝えられていない、

まだまだ伝えることがたくさんあったのに、

という自分からすると口惜しさの残る発表になってしまいました。

 

そもそも、こういう事態に陥ったことには、

今思えば、僕自身の傲慢さがあったなと反省しています。

 

研究室で、発表練習を見てもらったときに、

スライドを作りこんでいった結果、めちゃくちゃ褒められたんですよね。

別に褒められることが悪いわけではありません。

褒めてもらえるっていうのはうれしいことではありますし、

いいことだなと思います。しかし、

僕はそれで傲慢になっていたのです。

 

今までの自分であったなら、会場についてから、時間があったのなら、

接続のチェックをして、事前にどういう感じで発表をしなければならないのか、

ズームを使う可能性の有無についても確認できていたかもしれません。

 

時間に余裕をもって会場についたのにも関わらず、

そういうことに気を回すこともできず、

本番の直前になって、ズームを使うということを知り、

発表者ツールも使えないという事態に陥ったのでした。

 

事前に伝えてくれない会場の設営の方たちにも落ち度はありますが、

自分事として受け取るのなら、事前に入念なチェックをしておくべきだったな、

と反省しています。

 

根本をたどれば、スライドを褒められたことで、

変な自信みたいなものを持ってしまっていたような気がするんです。

スライドを作りこんであるから、絶対に大丈夫と言わんばかりの、

変な自信、傲慢さがあったんです。

 

だからこそ、原稿に頼ることになってしまったし、

原稿を暗記してしまうレベルにまで練習を重ねることも怠ってしまいました。

 

そんな中で、今日の朝、本を読んでいたのですが、こんな一節がありました。

 

つい人は、「これだけのことをやったんだから、それ相応の報酬があるはず」と、

あらぬ見返りを期待してしまうものです。

そういう気持ちが少しでもあると、人から感謝されたり、尊敬されたときに、それを自分の満足感や高揚感に変えてしまうのです。

 

満足感や高揚感を得たときの、 ”気持ちよさ” に負けて、

純粋な愛から遠ざかり、

面倒を避けるようになり、

図に乗るようになり、

慎み、敬いの気持ちを失ってしまう。

 

そうなると、時間と空間から嫌われて、龍も離れていくので、いざという大事な場面で足をすくわれてしまうのです。

 

羽賀ヒカル, 龍の神様と出会うたったひとつの方法, SB Creative, p.156

 

 

これは、まさに、僕の状態を表していて、

スライドを褒められた結果、満足感や高揚感に浸り、

「これだけスライドを作りこんだのだから、大丈夫でしょ」

と、傲慢になってしまった。

 

そして、その結果として、本番当日の準備を怠り、

足をすくわれてしまったということです。

 

まあ、このように、散々な学会発表だったわけですが、

自分の未熟さを再確認させられたという点においては、

学びの多い経験になったと思います。

 

それに今後、社会にでたら、

人前で発表をしなければならない場面はあるのでしょうし、

失敗が許されないような場面に遭遇したりするのでしょうし、

今は学生だから許されている失敗もあるのだと思います。

 

だからこそ、今のうちにある程度失敗して、抜け目をなくしていけたらな、

と気持ちを新たにしている今日この頃です。