最近、なぜ、今までブログを書き続けてきたのか、と考えることがある。
なぜ、考えるのか、
それは、ブログを書き続けてきたことに、虚無感を感じるからだ。
続けてきたのは事実として残っている。
けれど、なぜ、こうも面倒なことを、大して読む人もいないのにやっているのだろう?
ブログを書くことは自分のためになる。
それは1つあると思う。
自分自身の考えをまとまった文章にすることで俯瞰して見ることができるようになる。
だとしても、それは別にブログでなくてもできることではある。わざわざブログを書く理由にはならないのではないか、と最近は思う。
じゃあ、なんで、ブログを書いてきたのだろうか?
昔は、ブログで稼ぎたい、という欲求もあった。何年か続けてみて、ほとんど成果と呼べるような結果は得られなかった。3年くらい書き続けて、得られたのは一万円程度だった。
ブログで稼ぐのは並大抵ではない。
長文を人に読んでもらうというのは、現代ではなかなか難しい。
もっとインスタントに手軽に読めるものは世の中にたくさん存在しているし、僕よりも文才のある人がたくさんの文章を世の中に放出している。
人に読まれるわけでもない。
自分自身のためでもない。
お金を稼ぎたいわけでもない。
なら、なんのために書くのか?
文章を書くこと自体が楽しいということもたしかにある。
でも、文章を書くことは、楽しいときもあるけれど、そんなに楽しくないときのほうが長いと思う。
渾身の文章を書くことができたときは、たしかに気分がいいが、あとから読み返してみると、大していい文章に思えなかったりすることもある。
僕が書くことは、たいていが、
作品の感想や作品の紹介だ。
こんないい作品があった!!
みんなにも見てほしい!!
と叫んでいるだけだ。
ここまで書いてきて、ようやく核心に近いところまで来れたような気がする。
たぶん、僕は、自分の感動体験を、みんなにも体験してほしい、と思っているのだ。
もっというと、自分の感動体験、
つまり、幸福感を、みんなにも味わってほしいと思っているのだ。
僕は、なにか作品に感動したり、感化されて、人生が変わったと思う。
一回の感動体験で変わるのは小さなものかもしれないけれど、それが積み重なっていくと、大きな変化になる。
いつも読んでくれている人はわかるかもしれないが、僕は普通の人以上に感動しやすい。
すぐに感化される。
そう。僕は、みんなを感化したい。
実際に感化するのは、僕ではない誰かが作ってくれたものなのだけれど。
そうやって、僕はみんなにも幸福感、多幸感をおすそ分けしたいのだ。
だから、一見無意味で無価値で無駄にも思えることもあるけれど、今後もブログを書いていくのだろうと、思う。