贈与はすべて、「受け取ること」から始まります。
「自分はたまたま先に受け取ってしまった。だからこれを届けなければならない」
メッセンジャーはこの使命を帯びます。
だから「生きる意味」「仕事のやりがい」といった、金銭的な価値に還元できない一切のものは、メッセンジャーになることで、贈与の宛先から逆向きに与えられるのです。
「世界は贈与でできている」238頁
この本は、めっちゃ俺に合ってた。
もともと僕は贈与論が好きだし、
大学で受けた講義の中で一番面白かったのはどれ?
と聞かれたら、文化人類学か政治哲学を選ぶと思う。
それくらい、格別に面白かったし、
僕は贈与論が性に合っているようだ。
この本の著者、近内さんは、経歴が面白い。
もともと理工学部出身なのだけれど、その後文学部の修士を経て、哲学や教養、リベラルアーツの活動を行っているらしい。
なんか親近感がわくのは、
たぶん理工学部があまり楽しくなかったんだと思う。
僕も、大学生になってたくさんの本を読むようになって、
いろんな哲学や文学に触れ、
いろんな思想や考え方に出会った時に、
理工系の話はもちろん面白いのだけれど、
文学的な感動とは別種の面白さであって、
楽しいか楽しくないかで聞かれると、あまり楽しくはない。
面白いけれど、楽しくはない。
文学や哲学は、面白いし、楽しい。
近内さんももしかすると、おんなじような気持ちを抱いたのかもしれない。
さて、
本書の中から面白い思考実験を紹介しよう。
資本主義の隙間についてである。
もし、世界に贈与がなく、すべてが資本主義、すべてが交換によって成り立つとするとどうなるのだろうか?
という思考実験である。
すべての人たちが、合理性に基づいて、すべて合理的に処理するようになったらどうなるか?
である。
ちょっと本書のアプローチとはずれるかもしれないが、
考えてみてほしい。
今の文明を支えている様々なものに。
今、僕がタイプしているこのPCもそうだが、
すべての電源がダウンしたらどうなるのだろうか?
すべての生活がままらなくなると言っても過言ではない。
サバイバルファミリーは非常に良い映画だから見てほしいのだけれど、
それはさておき、
今の文明を支えるもので大きいのは電気である。
でも、電気ってなんで安定的に供給されているのだろうか?
電気代を払っているから。
でも、電気代を払っているとはいえ、もし交換だけでこれが成り立っているのなら、
おかしいと思わないだろうか?
なぜなら、こんな必需品、なくてはならないもの、当たり前に使いすぎて、そのありがたさに気づかないものなのに、
それに対して支払っているのはたかだか毎月3000円くらいのものだ。
安すぎないか?
ということである。
資本主義ということなら、どこまでも利潤が追求されるべき。
だとすると、莫大な金額が設定されてしまったとしてもおかしくない。
ならば、ここには資本主義の隙間があると考えることができるのである。
つまりは、資本主義とは言いつつ、こんなに便利なものを当たり前に安価で提供してくれる人がいるのである。
たしかに、みんなからお金を取っているのだから、莫大に稼いでいるじゃん。
という意見もわかるが、
でも、電気が消滅することが決まっているとしたら?
もし、明日電気がストップするとしたら?
かなり困るのではないか?
それでもそんなことにはならないと思われる。
こういう当たり前にあったけれど、
もしなくなったら、めちゃくちゃに困るもの
というのが資本主義の隙間には存在するのだ。
これが贈与ということだと僕は解釈したが、
普段は当たり前すぎて気づけないけれど、
よくよく考えてみると、ものすごい恩恵を授かっていた。
そういう、えも言えぬ気づき。
それが贈与に気づくということらしい。
僕は資本主義は荒削りだと思う。
言うなれば、岩。
贈与はなめらかで清らかで美しい
言うなれば、川の水
岩の間を埋めて流れを良くしているのが川の水。
そういう関係性にあるのが、
贈与と資本主義だと思う。
贈与なしでは、今の文明は成り立たない。
名もなき贈与が世界を循環させている。
アンサングヒーローが無限にいる。
取り急ぎ、以上。
たぶん、今後もっと贈与もしくは利他に関しては書いていくと思う。