過去1でバイト。青本と対決する日々。

最近、過去1でバイトしている。
そのせいで、毎日センター数学を解いている。


正確には、駿台青本(実践問題集)を初見で解かなくてはいけない。


というか、自ら、志願して、


「たぶん普通に予習して授業するより、
初見で解いてる様子を見た方が、
感覚的なところが伝わりやすいと思うんだけど、
そんな感じでこれからはやってみようか?」


と受験生に提案した。


なんでかわからんが、

たぶん受験生のときより大分楽に完答できるようになっている。


本当に、なんで?って思う。


受験生のときより解けるようになってどうすんねん。って、

いつも自分にツッコミをいれつつ、


めっちゃ真剣にガチンコ勝負で青本と対決している。
もちろん時間制限付き。


たまに、
「俺って、自分から逆境に入っていくところあるよなあ」
とアホらしく思うときもあるが、


まあ、それはそれで楽しくやっているから、それはそれで。

 

なんとなく、僕はもともとコスパ思考が強かったから、
こういうマジで採算度外視の重労働を自らやってしまった方が
固定観念が取っ払われて良いのかもしれん。

 

若いときの苦労は買ってでもしなさい。
林真理子さんにも言われたし。(「野心のすすめ」講談社新書)

才能の原石は中学時代にある!? 自分の才能がわからないのなら、中学時代を振り返ってみよう!

中学のころに読んだ本というのは、

今でも非常に思い出深い。


なぜかしらないけれど、

ものすごく記憶に残っている。


例えば、「蘇我氏の正体」

という本を中学時代に読んだ。

 

 


この本は、蘇我氏というのは、

実は悪い一族ではなく、

歴史から抹殺された不遇の部族であった

という内容だった。


大化の改新の後、

大宝律令という法律が有名だが、


大宝律令の原案は蘇我氏が打ち立てた

屯倉の制(みやけのせい)というものだった。


なぜ、それほどの功績がありながら、

歴史から抹殺されてしまったのか?


その謎にせまり、

さらには

歴史の黒幕について解き明かそう

というのが本書の趣旨だ。


言うまでもなく、

蘇我氏を抹殺したのは藤原氏なわけだが、

藤原氏が侵した歴史のタブーに切り込んでいく

非常に知的興奮に満ちた本だったのを覚えている。

 

この本を読んでから、

僕の歴史観は変わっていったように思う。


歴史というのは

その当時の権力者によってねじ曲げられている

ということを腹の底で理解できたことが大きい。


その後、

僕は竹内睦泰大先生に出会い、

歴史観の大転換を経験するわけだが、


その基礎は、すでに中学時代に形成されていたわけだ。

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↑竹内先生(笑)

 

さらには、

中学時代に最も崇敬していた作家と言えば、

百田尚樹である。


中でも、「影法師」という作品に多大なる影響を受けていた。

 

 


影法師は、江戸時代の武士の物語で、

この物語から武士道精神、

そして武士の生き様、

美しい死に様というものを感じていた。


この当時から、そういった

人間としての在り方、

美しい在り方

に目覚めていたのかもしれない。


あの頃から、僕は理論と実践が好きだった。


読書によって得た知見を実践で試す。
つまりは、

影法師によって得た美しい在り方という軸を

剣道という実践において試していた。


そういう試行錯誤が昔から好きだった。


あの頃から哲学チックな考えが大好きだった。

 

そのほかには、

太宰治の「人間失格」も読んでいた。

 

 


人間失格を読んだ当時は、

道化という言葉にハマっていた。


自分のことも道化なのではないか、

と非常に懐疑的になり、

少し鬱っぽくなっていたことを今でも覚えている。

 

人生に悩んだら本をとにかく読む

という経験は、

中学時代からしていたのではなかったか。


僕は今でこそ、

年間200冊近くの本を読むようになったが、


その基礎、

その基盤

みたいなものは、

当時から形成されつつあったのだと思う。

 

才能というのは、

もしかすると、

中学時代に芽吹き始めているのかもしれない。


もし、あなたが自分の才能がわからず悩んでいるのなら、
中学時代を思い出してみると良いかもしれない。

雅(みやび)を感じる心と「おかえり」という感情

ああああああ、
8月になってしもうた。
もう8月かあ。

最近コロナが増えているみたいですね。
僕はもうあれは記録更新を楽しむゲームだと思って楽しんでいます。


昨日も新規感染者数の記録更新を楽しんでいました笑


そういう視点でニュースを見ると、

ネガティブにもならないし、
ただのお笑いとして見れるのでオススメです。

 

記録更新したら
「お、コロナ頑張ってるなあ!いいね!」
って心の中でつぶやきます。

 

それで心の平安が保てるのだから、
面白いもんです。

 

さて、皆さんは、

唯物主義か神秘主義どちらでしょうか?


僕は知っての通り神秘主義者であり、神道家です。

 

目に見えるものだけを
信じてはいけないよ
人生の
岐路に立つ
標識は
ありゃせぬ

と言ったのは宇多田ヒカル

 

本当に目に見えるものだけを信じてはいけない。


目に見えないものを信じることが大切だと思うのです。

 

もの
というのは、
古語で「もののあわれ」とかいうように、
目に見えない繊細微妙なものをさすのです。

 

もののあわれなり~
っていう日本的な雅(みやび)を感じる心を大切にしていきましょう。

 

壮大な自然に触れたときに感じる
えも言えぬあの感情を大切にした方が良いと思うのです。

 

あの感情を言葉にするのは難しい。


なんというか、

本当に愛されているんだなっていうか、
絶対的な安心感というか、
胎児のころに感じたような感情というか、

 

おかえり
という感情があるのなら、

それがあの感情なのかもしれない。

 

初めて見たのに、なんか懐かしいなって思ったり、
初めて会ったのに、なんか懐かしいなって思うことがたまにある。

 

それは前世の記憶なのかも知れないし、
魂レベルの記憶なのかもしれないけれど、


そういう懐古的な気持ちってそう易々と経験できるものでもない。
まさに奇跡的な確率なわけで、
そういう神秘的なものを感じる生き方って良いよなあって思うわけです。

 

そんなわけで、たまには自然に触れる時間を設けてみてはいかがでしょうか。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

400記事書いたらしい。

今回のテーマは、タイトルの通り。

なんか400記事書いたらしいよ。っていう話。

 

別に頑張って書いてきたわけではなく、

ひたすらわけのわからないことを言い続けてきただけだ。

 

昨日の記事なんて、

渡辺名人の定石講座がすごかったから、

ただただそれを褒めちぎっただけ。

 

最近は、もっぱら検索からの流入しかないから、

こんな記事書いても無意味なので、

あんまり書く必要ないのだけれど、

とりあえず記念っていうことで、

書いてみている。

 

400記事も書いてきて、

起きた変化なんてたかが知れている。

1年前は一日に10PVあったら良い方だったのが、

最近では30PVが当たり前になった。

 

それでもまだ、月に1000pvくらいしか読まれていない。

 

そんな小さなブログではあるものの、

書き続けることは誰にでもできることではないし、

僕はすごい人なんだなと思っている。

 

ブログなんて趣味なんだから、

別に読まれても読まれなくても書いていくし、

それでたまに稼げるのだから、

なにも期待していない。

 

たしかに副業になってくれたら、

そんな楽な話はないし、

たしかに良いなと思っている。

でも期待しすぎると、それが成し遂げられなかったときに

苦しくなるから、

僕はブログに対して期待はしていない。

 

ただただ

書いて、書いて、書いてきた。

 

たしかに結果を出している人はたくさんいるのだろうし、

それを求めている人は多いだろうから、

僕のブログなんて大して需要がないのは知っている。

 

ただ、自分の書いたことが

たまーに誰かしらのためになっている。

それが僕にとってのモチベーションであり、

 

そんな気持ちで書いているから

誰が読んでいても、読んでいなくても、

書き続けられたのかもしれない。

 

僕は20代だから、

何をしていても良い。

 

どうせ、うまくいくし

ブログを400記事書いた大学生

っていうだけでもう希少価値しかない。

 

結果なんて出せなくても、挑戦し続けることが大事だ

なんて言われ尽くされた言葉かもしれないけれど、

 

挑戦し続けていたら、たまーに結果はでるし、

そんなにがっついてブログを書かなくても、

たまーに稼げる。

 

それを今すぐ副業にしたいなら話は別だけれど、

気ままに書いている方が

大抵うまくいく。

 

自分の書きたくないことを無理して書くのは僕にはできない。

 

それができる人はすごいなと思うけど、

それができる人にそれは任せておいて、

僕は僕の書きたいことをこれからも書いていくつもりだ。

 

またわけのわからないことを言い続けていく。

また500記事になったころに、振り返ってみることにする。

 

 

自殺とSNS

最近では交通事故で死ぬ人より自殺で亡くなる人が多いらしいですね。

 

昔よりも、snsとかの発達でいじめとかも変わってきていて、いじめも巧妙になっています。

 

僕が中学の時とかは、line とかが流行りだしたときで、みんなやっていました。

 

そのときのいじめは、嫌いな人をグループから退会させたり、裏のグループとかがあってハブったりしていたのを覚えています。

 

僕自身はいじめをやっていたわけではなくて、傍観してたと思います。

 

傍観しつつ、自分がそうなるのを恐れていたのかもしれません。

 

もう大人ですし、大学ではいじめはないですが、中学とかでは全然あるのかなと思います。

 

いじめは中学がピークなのかなと思います。

 

いじめの本質は、集団の中で浮いているものを排除することであると思います。

 

 

しかも、中学生のときは、そこまで人生経験もないし、変わったことをする人を知らないと思うので、いじめも起きやすいのかと思います。

 

 

ここではsnsのいじめを考えていきたい。

 

最近は誰とでもつながれる時代で、顔も見えないところでつながれます。

 

これはいい点も悪い点もあります。

 

いじめられている人に言いたいのは、わざわざsnsをやっている必要はないということです。

 

ネットも見る必要はない。

 

snsやってても利益ないでしょ。

 

辛いなら逃げなさい。ひたすら逃げる。TwitterもLINEもすべて消せばいい。

 

いちいち人の顔色を見て萎縮する必要はない。

 

目に見える人に悩みも相談したらいい。

 

僕は浪人中にLINEを完全に消しました笑

 

そのおかげで今全く同窓会とかの誘いもない。

 

消したら消したらでなんとかなる。消す前は怖いけど飛び込んでみればたいしたことない。なんか行動してみる。それが逃げることでもいい。行動していくと何か変わる。

 

LINEとか消すの一瞬。

すぐ消える。

 

いらない情報とかすぐスクロールして消してしまえ

 

 

いらない友達関係も思い切って切ってみる。

 

捨ててみよう。

捨てると余裕が出てくる。

 

これはいらないときっぱり捨てる。

 

悩まないためには考えないこと。

 

心にゴミをためないこと

 

いやならすぐ言う

 

嫌いなら嫌いと言えばいい

 

我慢するから辛くなる。

 

さっさと言えば言う瞬間だけ勇気がいるけどすぐ終わる。

 

言って殴られたら警察呼べばいい。勇気がないなら何も考えずに適当にやってみる。

 

ぶちまける。

 

すべてぶちまける。

 

泣けてきても泣きながらぶちまける。

 

 

全部吐き出してみろ。

 

楽になるから。

 

今なら誰か探せばいい人に会える。

 

 

学校辛いなら行かなくていい。

 

学校なんてたいしたことない。

その代わり、勉強はしてみたらいい。

 

勉強は楽しい。

勉強することによっていろんな人と出会える。世の中変えた偉人ほどいじめられている。

いじめられてるなら自分が偉人になれるかもしれない。

 

自殺ってもったいない。

この世の中を恨まなくて良くない?

俺だったらいじめっ子とかしょうもないやつのために自分が死ぬのはいやだ。

 

そんなくずのために自分の命捨てるな。あなたは自分が思っているよりすごい人。

 

自分の可能性を捨てないでいい

 

 

 

いじめられるのは変わっているから。

 

変わっているのは短所ではない。

 

長所に変えられる。

 

長所と短所は本質的には一緒。

 

ある性質がいい形で表れているか、良くない形で現れているかの違い。

 

変わっていることは生かしていける。

 

世の中のすごい人は変わっているからすごい。

 

いじめられている人はすごい人になれる。

 

どん底味わっている人ほど後にすごい人になれる。立ち上がったときに、親友に出会う。

なぜかはよくわからないけれど、

どん底の先には必ず運命的な出会いが用意されてる。

 

今つらくてもなんとかなる。

 

学校なんて狭いところで考える必要なんてない。

 

学校でうまくいかないなら違うコミュニティーに参加してみればいい。

 

好きなことをしてみればいい。

好きなことを共有できる人と一緒にいればいい。

探せばいくらでもある。

 

生きる意味なんてなくても息をし続けてもいい。

それを知ってる人間は強い。

 

別に生きる意味がないなら、

別に生き延びてみてもいい。

 

明日、今日より良くなっているかはわからない。

けれど、最悪と思ってるのなら、それ以上落ちることはない。

落ちきったら、上る瞬間が必ず来るもの。

 

死にたいっていう思いは周期的にやってくる。

死にたさの類は消えはしない。

そういうどうにもならないものは、受け入れてしまったほうがいい。

 

 

「道」という曲から深めるあれとこれ

っていう曲が好き。

 

宇多田ヒカルのも好きだし、

EXILEのも好きだし、

向井太一のも好きだし、

GReeeeNのも好き。

 

こう考えると、

道っていうテーマは深いっていうことがわかる。

 

宇多田ヒカルの道の解釈は、

 

「私の心の中にあなたがいる

いついかなるときも

一人で歩いたつもりの道

でもはじまりはあなただった」

 

あなた

って誰?ってことですが、

これは解釈がいくつか可能で、

 

メンター的な師匠かもしれないし、

自分の魂的な存在かもしれない。

 

僕的に気に入っているのは、

自分の魂っていう方で、

 

何でかというと、

自分の魂ってある意味、メンターだからです。

自分の魂の欲する願い、本音、

そういうものに沿った生き方こそ、

道につながっているのではないか。

そう思うのです。

 

自分の魂のことを西洋的に言うと、

グレートティーチャーと呼んだりします。

 

自分自身の魂こそ、今自分がすべきこと、

乗り越えるべき課題を運んできてくれている偉大なる先生

という解釈の仕方もできるわけです。

 

もし、宇多田ヒカルがここまでわかった上で作詞していたとしたら、

末恐ろしいですね。

いや、たぶんわかった上で書いているはずです。

でないと、こんなすごい歌詞書けるはずないので。

 

EXILEの道は

そのまんまの意味だと思うし、

そのまんま思い出の集積が道になってて未来につなげていこうという曲。

ちょっと雑だけど、まあ良いだろう笑

 

向井太一の道は

アニメ「風が強く吹いている」のエンディングテーマです。

道は果てしないっていう感じの曲。

 

「この道も

あの空も

僕らを未来へ紡ぐ

もっと上へ

まだ遠くへ

続いている」

 

以下、好きなところ。

 

「楽な道などどこにもない

坂を登りきった先に

他じゃ味わえない喜び

手にしたものは誇り

 

ほしかったものが

手の中にある

けど終わりはなく

まだ道は続く

 

後ろは見飽きた

振り返らない

また風が吹く」

 

そうね。

その通り。って感じ。

道には終わりがない。

果てしない遙か遠くを目指して、今目の前を一歩一歩進んでいくしかない。

 

ほしかったものが手に入ったとして、

それは副産物に過ぎなかったことに気がつく。

 

剣道で例えると、

ほしい段位が手に入った。

でもそれは副産物に過ぎなくて、

まだまだ深める余地が残っている。

っていう感じ。

 

道っていうのは美しさの探究であり、

美しさっていうのは繊細微妙。

善悪のようなわかりやすい指標もない。

ただ純粋に、その人自身の美意識の次元に拠る。

 

だからこそ果てしないし、

美意識のステージが一段上がってしまえば、

これまで手に入れてきたものは何だったのだ。

となる。

 

そういう壮大なものを感じさせる良い曲ですよね。

 

GReeeeNの道は

ストーリーという道という感じ。

道を物語りと捉えているような感じかなって。

 

人生いろいろあるけど

ぜんぶストーリーなんだから、ハッピーエンド迎えようぜ!

っていう明るさがある。

 

まあ、悪いことがあったら、

第一章終わり!

って言えばいい。

 

だいたいの小説の第一章は悪いことが起きて終わる。

 

だから、自分の人生がストーリーならば、

悪いことが起きたら、第二章に向けた新しい展開を考えるくらいでちょうど良い。

 

ワンピースを見てみてほしい。

ルフィは毎回一回は敵に負ける。

それで限界突破してその敵を打ち負かす。っていう展開なんです。

 

そういう風に思ったら良いんじゃないですかね。

次勝つための伏線ゲット!

っていうくらい軽いノリで乗り越えましょう笑

 

っていう感じで、道っていう曲から深めてみた。

音楽から深めるのってやってる人いないから、

意外と面白いかもしれない。

 

あーあと

ザ・スケッチブックの道もあるけど、

あの曲はイマイチなので、省きました笑

 

以下リンク集

Michi - Utada Hikaru (道 - 宇多田ヒカル) - YouTube

 

EXILE / 道 - YouTube

 

向井太一 / 道 (Official Live Video) from LIVE ALBUM「SAVAGE TOUR 2019」 - YouTube

 

GReeeeN - 道 - YouTube

 

 

ここまで読んでくれている暇なあたなは聴いてみたら良いと思う(笑)

【アニメ】「オッドタクシー」の風刺が絶妙すぎる!

 

オッドタクシー

というアニメをご存じだろうか。


今日、一気に見たのだが、
非常に面白かった!

現代の風姿的アニメと言っていいと思う。


非常に特徴を捉えており、面白かった。
スリル満点かつ、ちょっとしたツッコミがじわる。

 

オッドタクシーの裏テーマ

odd taxiの裏テーマ、裏メッセージとして
僕は、人間世界って、まるで動物園のようだ。
ということがあると思う。

動物園のように個性豊かな動物たちであふれている。

猫っぽいひともいれば、
犬っぽいひともいるし、
カバっぽい人もいることだろう。
ゴリラっぽいひともいるし、
猿っぽい人もいる。

人間という一つの動物としてくくるには、
多様すぎるくらいだ。

自分を動物に例えると?

僕を動物に例えると何になるのだろう?

人を動物に例えるっていう発想自体は昔からあるらしく、
動物占いというものも存在するようだ。

ちなみに、動物占いをやってみたところ、
僕は黒ひょうだった。

 

現代の風刺とそこに潜む闇

話を戻すと、
odd taxiでは、風姿として、ありがちな闇の部分にスポットライトを当てている。
たとえば、


承認欲求モンスター、
ドーパミンジャンキー、

 

承認欲求モンスター

承認欲求モンスターっていうのは、
わかりやすく言えば、

お金配りをしているあの方(笑)


憶測に過ぎないことを言うのは良くないのかもしれないけれど、
あの人は、本当に目的がわからない。
たぶん、そうとう承認欲求が強いのだと思う。

 

で、余談だけれど、
意外と成功者って承認欲求が強めな人が多い。
そういう話をよく伺うし、実際にそうだった人も何人か知っている。
強烈な承認欲求というのは、突き抜けると、成功するための原動力にはなってくれるのかもしれない。
ということだけは補足しておく。

 

ドーパミンジャンキー

承認欲求といえば、切っても切り離せないのが
ドーパミンだ。


ドーパミンに支配されている人のことを
ドーパミンジャンキーと呼ぶ。

 

ドーパミンジャンキーと承認欲求モンスターの違いは、
破滅か成功か
の違いだ。

ただ、成功と言っても、短期的な成功にすぎない。
長期的な成功ではないので、そこんとこは注意が必要。

 

で、ドーパミンジャンキーは、破滅する

 

本当に恐ろしい。odd taxiに出てくるキャラの崩壊ぶりはエグい。

 

僕がなぜ、インスタを運用しないのか。

それは、ドーパミンが嫌いだから。

 

ドーパミンが出ているであろう時の、
あの違和感のある高揚感が嫌いなのだ。
自己重要感を満たすだけの行動はエネルギーが漏れる。

 

人間のやる気を電池に例えるなら、
自己重要感は漏電だ。

自己重要感を他人に満たしてもらおうとするのは本当にやめた方が良い。


なぜなら、自分も他人も不幸にするから。


本当に、米国のIT企業はせこい。

人々の自由意志を尊重せず、たしかに便利ではあるが、
かなり危険なことをしている。

 

スマホ脳という本が少し前に流行ったが、
まさにスマホに脳を乗っ取られている人が現代は多すぎる。

 

もはや、スマホに一切干渉されていない脳は存在しないのではないか。
そう言えるほど、干渉を受けている。

 

そこに自覚は持っておいた方が良い。

自覚があるのとないのとでは、全く違う。


自覚できているなら、物理的対策もとれるし、意識もできる。

 

そんな感じで、かなり世相の風姿、
機知に富んだ面白い作品だったので、
オススメです。

ストーリー自体もミステリー調で、徐々に引き込まれていくし、
衝撃のラストに注目していただきたい。

最も恐ろしいのは誰だったのでしょうか?