自然な稼ぎ方

世の中の真理として、

自然の摂理がある。

人間は傲慢だから、

西洋の近代主義的な価値観に毒され、

人間は自然の一部である、という当然すぎることを忘れてしまう。

 

けれど、世の中を見てみると、

ものすごくたくさんのことが自然の摂理に回帰していく。

 

その一つが稼ぎ方。

ブログを書いていると、

ブログで億を稼ぎたいみたいな気持ちになることもあった。

でも、考えてみれば、それは自然じゃない。

それは宝くじを当てるのと同じようなことだ。

その背景に何もない状態でお金を得たとしても、

それに飲み込まれるのがオチだ。

 

それは器が小さい状態のところに大量の水が注がれるのと同じだ。

自分の器が小さいのに、たくさん稼いだところで分不相応。

多くのお金は浪費されることだろう。

器を大きくしたものだけが、長期的に稼げるはず。

 

 

たとえ、

急激に稼いだとしても、それは霧散してしまう。

そもそもお金を使うことになれていないものが、

大金を手にしたところでろくな使い方ができない。

 

自然じゃないものは、すぐに廃れる。

それは、原子レベルでも同じ事で、

原子がβ+崩壊して陽電子が発生してもすぐに再結合してエネルギーを放出してしまうのと同じだ。

陽電子は不自然だから。

自然には存在しないものなのに、

なんらかの作用によって生じてしまった。

そしたら、自然の作用によって揺り戻されるのが自然の摂理なのだ。

 

逆に、自然というのは、豊かな土壌から芽が出て、ゆっくり成長し、

そこから新しい種が生まれ、また成長していく。

その加速度は徐々に上がっていって、

2の累乗のような形で広がっていくものだ。

そして、周りにいる生き物とも共生し、

助け合いながら生成発展していく。

 

だから、稼ぎ方一つをとっても、

そのようであらねばならないと僕は思う。

頑張って手にしたものを捨て去る勇気を持てるかどうか

最近の僕の悩みは、

もっぱら院試が落ちたかもしれないことなのだけれど、

院試に落ちようが、落ちなかろうが、

どっちにせよ、問題になることがある。

それが、頑張って手にしたものを捨てされるかどうかという問題。

僕はめちゃくちゃ頑張って神大に受かったし、めちゃくちゃ頑張って単位を取ってきた。

だからこそ、どうしても、それを手放してしまうのはもったいないのではないか?

ということを思ってしまう。

せっかく、頑張って手に入れたものなのに、

それを大して活用できない仕事をしても良いのか?

とか、

大企業に行って、しこたま金を稼がないと、今までのしんどさの元は取れないのではないか?

とか、

そういう損得勘定のもったいない精神が僕の中の問題なのである。

そういうのは置いておいて、

本当に楽しめることや、

本当に人のためになることをしたい!

と思っている。

それなのに、世間的な価値観が邪魔をする。

いや、世間的な価値観だけではなく、

少し見栄っ張りな自分の問題でもある。

 

見栄とか、見てくれ、みたいな

自分の外側を取り繕ってしまう己の弱さと向き合わなければならない。

たぶん、それを気にしている限り、本当に心の底から仕事を楽しむことはできない。

執着を手放すっていうのは、

自分が頑張って手に入れたものを手放すということで、

自分が頑張ったからこそ、執着してしまうし、それにすがりたくもなってしまう。

 

でも、本当は頑張って手に入れても、それを手放して変化、変容していかないと、人間として成長できないし、成長できないということは、幸せにもなれない。

 

我を捨て、覚悟を決めて、利他の心で生きることでしか、幸せにはなれない。

でも、現実に生きていると、それは結構難しい。

頭でわかっていても、実践は容易ではないんですよね。

ワンピースフィルムレッドが最高すぎた件 ※少々のネタバレあり

今日、ワンピースフィルムレッドを見てきました!

映画『ワンピース フィルム レッド』尾田栄一郎描き下ろしによる赤髪海賊団のショート動画と新キャスト情報が解禁。緑川光や中田譲治らが赤髪海賊団の団員を演じる!  | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

 

いやー、最高!

本当に良かった!

ワンピース史上、最高傑作!

 

zakiology.com

この記事でも書いたとおり、

僕はZこそが最高傑作であると思っていました。

Zを超えることなんてもうないだろうとも言っていたほど。

 

今でもZはバトルとしては最高です。

黒腕のゼファーを超える敵は未だ現れていない!

しかしながら、映画としてはレッドが最高傑作となったと思います。

 

なんで、映画としては最高傑作なのかといえば、

  • 音楽と映像の連撃
  • 内容がとても深い

ということが影響していると思います。

 

 

音楽と映像の連撃

まず、

音楽の覇王色が本当にやばくて、

初っ端からビリビリ来ました!

 

ウタの歌唱力が半端ない笑

僕の語彙力のなさも半端ないけれど、

とにかく、臨場感がすごかった!

 

映像も本当に良くて、

アニメーションが神すぎた笑

ワノ国編からワンピースのアニメーションって変わってきたと思うんですが、

レッドもその流れを受けたような感じ。

 

竜とそばかすの姫でもそうだったけれど、

音楽と映像の連撃ってすごい!

鳥肌が半端ないし、

あの体験は映画館でしかできないんですよね。

竜とそばかすの姫 の映画情報 - Yahoo!映画

 

これからの映画っていうのは、

その2つに見られるように、

視覚だけではなくて、聴覚にも訴えかけてくるようになっていくのではないでしょうか。

 

ちなみに、音楽と映像の連撃だけではなくて、

いろんな連撃がめっちゃ熱かった!(意味深)

内容がとても深い

それで、内容についてですが、

内容はちょっと哲学チックな話。

 

これについては、

エヴァをしっかり理解しておくと良いと思うんですが、

 

人っていうのは苦しみを抱えて生きているわけです。

肉体的な苦しみはさることながら、

精神的な苦しみもありますよね。

 

それらから解放されたい!

っていう願いは人類全体としてあるわけです。

 

エヴァではそれらの苦しみから解放されるために、

エヴァンゲリオンを使ってATフィールドをなくし、

人類すべての意識を一つにしてしまおう!

っていう話だったわけですが、

 

レッドでは、

ウタを媒介にして、人類みんなで

夢の世界に行ってしまおう!

っていう話でした。

 

音楽っていうのは

基本的に快楽とともにあります。

 

ちょっと夢見心地になるというか、

浮遊感があるというか、

現実から逃げる手段として使うことが多いですよね。

 

イヤホンをしていると、

現実世界から遮断された音楽だけの世界を体感できるみたいな。

 

だから、ワンピースの世界の人たちも、

ウタの歌を媒介にして、

苦しい現実から逃げようとしてしまったのでした。

 

これはメタバース的な感じだとも言えますね。

 

現実の世界は理不尽で苦しい、

だからメタバースの世界(ユートピア)に行ってしまおう!

ユートピアには優劣もなく、平和で、みんなアバター化している。

なりたいアバターになることができて、理想の世界がそこにある!

みたいな世界観です。

 

肉体を捨てて、仮想世界に行って、意識だけが残る。

自分が見たいものしかない世界。

逆に見たくないものは見なくても良い世界。

そういう世界がウタの作る夢の世界でした。

 

そういう悪魔的な魅惑との戦いが、

今回のワンピースのテーマだったのだと思います。

 

実際に、悪魔的な古代兵器が出てきますし。

 

そういう悪魔との戦いは僕らの世界でもあることです。

 

そりゃ、楽な方が良いし、

そりゃ、辛いことなんてあんまりないほうが良いとは思います。

 

でも、楽であることと幸せであることは本当に一致しているのか?

っていうことは考えなければならない。

逆に苦しみのない世界は本当に幸せなのか?

ということでもあります。

 

苦しみがなかったら、

それは人間なのか?

 

これは僕ら世代はわかると思うけれど、

なんでも手に入って、ネットフリックスではいつでも見たいものが見れて、

ユーチューブでは自分の好きなチャンネルだけを見れる。

 

でもそうやって、見たいものだけ見ていると、

だんだん心が麻痺していくのです。

 

なんか、満たされないな。

みたいなモヤモヤ感があるのです。

だから倍速で見てみたり、

たくさんコンテンツを消費してみたり、

どうにかしてそのモヤモヤをなくそうとするんだけれど、

全然なくならない、それどころか増幅されていく。

 

なんでこんなに豊かなのに、

そんなモヤモヤ感が出てくるのか?

それが人間は楽しいだけでは満たされない。

ということの証明なのではないかと思うのです。

 

人間には清濁併せ呑む強さがないといけない。

それは僕が大学生になって身を以て学んだことの一つだけれど、

レッドを見て、それを思い出した。

 

人間は苦しみも背負って生きていかなければならないのだと。

快楽主義に堕ちてしまったらダメなのだと。

ちょっとくらい快楽があっても良い。

現にルフィたちも快楽の世界に足を踏み入れてはいるんだから。

だけど、それに飲み込まれてしまってはいけない!

ある閾値を超えてしまうと、帰れなくなる。

応力ひずみ曲線でいうところの破断が起きてしまう。

 

内容的には上に書いたような示唆的な描写がありました!

 

シャンクスに憧れる

シャンクスはすごい。

ルフィもすごいけれど、

シャンクスはルフィよりも大きい。

実力的には、ニカのちからが覚醒したルフィと同じくらいなのかもしれないけれど、

人間的な器の大きさがえげつないなと思った。

父性の塊みたいな存在感。

 

シャンクスみたいな度量のある男になりたいものですね!

 

最後に

最後に、

まだ見てない人!

いたら絶対に見ておくべき!

こんなすげえ映画を映画館で見ないなんて損!

以上!

 

昨今の教育についての疑問 なぜ人生において大切なことを考えさせないのか?

今回は、昨今の教育についての疑問について書いてみる。

池田晶子氏の14歳の君へという本を読んだ。

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

 

買うときに少し躊躇した。

いや、14歳ちゃうしな。

23歳になるおっさんが読んで良いのだろうか。

そんな葛藤が繰り広げられたが、

無事買った。

良かった。

すごく。

普遍的でものすごく大事なことが書いてあるのに、

読みやすい。

求心力がある。

まるで年上のお姉さんに膝枕をしてもらって優しく諭されているような気分だった。

勘違いしないでもらいたいが、

もちろん子どもだったときの自分が、である。

今の自分が池田晶子氏に膝枕されているなど滑稽。

そんな想像をしている23歳は嫌である。

 

話がそれたが、

話はそんなことではなく、

昨今の教育についての疑問である。

池田晶子氏の本を読んで、いかに自分が子どもだったときに大事なことを学んでいなかったかを思い知った。

 

学校では、池田晶子氏ほど平易な言葉でかつ優しく、そして知性的に教えてくれる人なんて一人もいなかった。

池田晶子氏は知性の高い人であったと思う。

僕よりもはるかに賢い。

 

こんなすごい知性の持ち主が学校の先生をやっていたらいいのだけれど、

そんなことはない。

 

というか、学校の先生はレベルが低い。

知性がない。

まったく知的ではなかったと記憶している。

今23歳になって思うのは、学校の先生は大したことがなかったということである。

 

たぶん学校の先生の多くは今の僕よりはるかに頭が悪いし、

はるかに読書していないし、はるかに知性が低い。

 

教育の質というものを考えたときに、

教師の質が肝要になるのは明白だ。

 

少なくとも、一からすべて教師が教えることはできなくとも、

勉強するためのガイドをできるべきである。

 

ここで言いたい勉強というのは人生についての勉強である。

5教科を教えるなどどうでも良い。

そんなことは誰でもできる。

できない方がおかしいのであり、

そんなことは当たり前のことだ。

 

大事なのは人生において大切なことを教えることができるかどうか。

それができる教師に僕は学校で出会ったことがない。

塾の先生はたまにそういうことを教えてくれる人がいた。

 

思えば、学校の先生というのは公務員で、

真面目に生きてきた人の象徴だ。

真面目に生きてきた人ということは、

常識的に生きてきたということとほぼ同義であり、

その常識を世間から押しつけられ、

それに疑問を持たずに生きてきた人だ。

本当に教師が好きで仕方ないという人は少ないだろう。

けれど、塾の先生は本当に教えるのが好きでやっている人だった。

塾の先生は自分の思った通りに人生を生きている人が多かった。

 

こう考えてみると、

なんで塾の先生の方が人生において大切なことを教えてくれたのかと言えば、

それはその先生自身が自分で自分の人生を主体的に生き、

そこから得た学びを昇華して教えてくれていたからなのではないか、

と思える。

 

そうなのだ。

学校の先生は、自分の人生を主体的に生きているかと言えば、

割と疑問が残るのだ。

常識的に生きることは悪いことではない。

一般的に言って、教師という仕事は尊い仕事だし、

教師になるのは大変なことだ。

しかしながら、常識的に生きている人から学べることは少ない。

常識的に生きている人は総じてつまらない。

 

本当に大切なこと、人生において大切なことを語れる先生に出会うのは子どもにとってとても貴重であり、

その子の人生を左右する。

たった一人でも、そういう大人に出会えた子どもは幸運だ。

常識的な人生を生きることに対して疑問を持てる。

疑問を持てるということは考えることができるということで、

考えることができるということは自分で人生を作っていくことができる。

 

昨今の教育では考えさせない。

特に人生において大切なことについて。

そもそもそれのたたき台となるテキストすらない。

人生とは何なのか、

幸福とは何なのか、

なぜ生きるのか、

それを考えさせない。

 

本来、教育というのはそれを考えさせることなのではないか、と疑問に思ってしまう。

そしてそれができるのは本を読むか、塾に通って良い先生に出会うか、もしくは良い親を持つか、くらいなものだ。

学校でそれができるのなら、もっと良い教育がされるのではないかと思う。

もはや5教科の授業などYouTuberの方が上手であるし、

もはや需要はない。

そんなことよりも、哲学を教える事の方が価値があるのではないだろうか。

 

 

14歳でこの本に出会ったなら人生が変わる人もいるだろう。

それくらいの威力がある本だと思った。

ちなみに大人だからこそわかる部分も多分にある。

大人にならなければわからないこともある。

14歳からこの本に出会い、人生について考えることができたなら、

良い人生を送れるのではないか。

 

 

 

追記

 

 

 

僕は幸か不幸か、いじめられたことによって死にたいと思い、

そこからなぜ生きるのかを考えていた。

当時の人生を考えるテキストはBUMP OF CHICKENだった。

彼らの哲学的な歌詞が僕の指針だった。

そういう手段もあるということだけ、書き加えておく。

僕の青春を彩ったプレイリスト10曲version

今回は、別に誰も読まないであろう記事になります。

そんなことして何の意味があんの?

みたいな怖いことを言わないでください。

とりあえず、最近は中学とか高校時代を思い出すことがたまにあって、

それでたまにはこういう青春時代を振り返る系のことも書いてみたら良いのではないかと思った次第でございます。

御託を並べても大して意味はないので、

早速聞きたい方は順番に聞いてみてください!ドウゾ!

 

1 GReeeeN 道


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切り込み隊長的な感じ。

めっちゃよく聞いてた。

2 BUMP OF CHICKEN 虹を待つ人


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バンプのrayが出たとき、

本当に革命的だった。

rayの中で好きな曲といえば、

虹を待つ人しかありえんでしょって感じだった。

今なら圧倒的にグッドラックだけどね。

3 BUMP OF CHICKEN 才悩人応援歌


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スーパーノヴァにするか才悩人応援歌にするか迷ったけれど、

青春って感じがするのは才悩人応援歌の方。

4 Mr.Children CROSS ROAD


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ミスチルといえばHANABIって感じの人もいるだろうし

tomorrow never knowsっていう人もいるかもしれないし、

やっぱ終わりなき旅でしょっていう人もいるだろうけれど、

僕の中ではミスチルといえばクロスロードでしかないんですよね。

5 RADWIMPS 会心の一撃


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主に高校のときにカラオケで歌いまくっていた曲。

ライブバージョンがめっちゃ好きで何回ユーチュブ見たんやろってくらい。

100回くらい再生回数伸ばしたのは他ならぬ僕です。

6 NICO Touches the Walls   DIver


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NICOといえば、DIVERっしょ。以上。

7 BUMP OF CHICKEN beautiful glider


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コスモノートの中だったら圧倒的にbeautiful gliderなんだよね。以上。

8 Mr.Children Everything(it's you)


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恋愛してるときは聞きたくなった曲。最近はご無沙汰ですけれども。

9 BUMP OF CHICKEN オンリーロンリーグローリー


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10代で得た知見って感じの歌。

10 The ROOTLESS    One day


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ワンピースのオープニングはなにか入れたかった。

入れるなら東方神起のshare the world かこれか安室奈美恵のfight togetherだなって思ったけど、やっぱOne Dayは外せなかった。

最後に

僕にとっては懐かしい曲しかないのだけれど、

人によっては全く興味がない曲ばかりなのかもしれない。

中学と高校と言えば、ミスチルバンプとラッドしか聞いていなかったんじゃないかというくらいその3つのバンドばっかり聞いていた。

流行にのっかるみたいなことは昔から好きではなくて、

流行の曲は、ちょっと最大瞬間風速を超えて風が収まったかなー。

というのを見計らってから聞くようにしていた。

それは今でも変わらなくて、

だいたい今なんてビートルズばっかり聞いている。

アルバムを10枚買った。

最近のお気に入りはリボルバーとラバーソウル。



ファンの間でも名盤と呼び声の高いこの2つのアルバムだけれど、

やっぱり別格だなと感じる。

特にラバーソウルは良い曲しかない。特にrun for your lifeが好き。


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意外と好きなのがイエローサブマリン

あのなんともいえない脱力感がなんか好きだなと思う。


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青春時代の名曲のはずが、最近のことまでダラダラと書いてしまったけれど、

まあそんな感じです笑。どんな感じだよ笑(^_^;)

風邪の効用

何か病気になったときに、

心配してくれる誰かがいて、

ちょっとしたものを買ってきてくれたり、

励ましの言葉をかけてくれたり、

もしくは単に顔を見せに来てくれたり、

なんてことはないのに、

それをしてくれることでとても勇気づけられる。

 

何か病気になったときは、

たいていメンタルも落ち込んでいる。

病気くらい誰でもするし、

ちょっとした病気はしたほうが良いくらいだ。

それなのに、

病気になると誰かに迷惑をかけたり、

予定していたことができなくなったり、

今まで当たり前だと思っていたことができなかったりする。

それは割と憂鬱なことで、

案外メンタル的にも不調になりがちだ。

 

自分には価値があるのだろうか。

迷惑をかけてしまって申し訳ない。

直ったらまた頑張らないと。

そういうプレッシャーというか、

圧迫感というか、

そういうものを感じてしまうこともあるだろう。

 

病気になったくらいで人の価値が変わるわけはないし、

迷惑はかけないように頑張ったところで何かしら迷惑はかけているものだし、

頑張らなくたってそんなにみんな気にしていないものだ。

だけど、頑張れない人間は価値がないという思い込みがある人は多いのではないだろうか。

 

病気というのは、その背景に頑張りすぎという問題がある。

風邪を引くということは、身体に負荷をかけすぎていたり、

身体に力が入りすぎているサインだったりする。

風邪を引くと身体は無理矢理緩むし、

力を入れようとしても入らなくなる。

 

根本的な問題は、頑張りすぎ。

もっと頑張らないようにしてくれよ。

という身体からのメッセージ。

 

生きているだけでも価値がある。

そう思って良いと思う。

別に死んでないだけマシだろ。

死んでないだけで、家族は悲しませていない。

死んでいないだけで、いいじゃん。

 

人間っていうのは愚かな生き物で、

当たり前にできているときは、当たり前にできるそれに対して感謝しなくなる。

本来、生きていること自体が奇跡なのだし、

あなたが生まれてきたっていうことは宇宙の神秘がそこには存在している。

そもそも宇宙ができたことから奇跡で、

銀河系ができたのも奇跡で、

太陽系ができたのも奇跡で、

ちょうど良い太陽からの距離に地球ができたのも奇跡で、

宇宙創成から奇跡の連続。

その奇跡の連続から人間が生まれて、

親が生まれて、親から自分が生まれてきたのはもっと奇跡的だ。

普段はこんなことを考えることができない。

みんな忙しく生きてしまうから。

風邪を引いたときくらいしか思い出せない。

自分がどれだけ神様に愛されているのか、忘れてしまう。

本来、当たり前なことなんて何一つないのだし、

今ある当たり前は一瞬にして消えることはあり得る。

隕石が降ってきたら、一瞬で死ぬし、

富士山が噴火したら、日本の都市機能は崩壊するし、

南海トラフ自身がきたら、多くの人が死ぬ。

めちゃくちゃ強力なウイルスが開発されて、

それがばらまかれたら、もっとたくさんの人が死ぬし、

太陽が爆発したら、地球もろともなくなる。

 

想像の域をでないかもしれない。

でもすべてあり得ることだ。

あり得ないなんてことはあり得ない。

すべて可能性はゼロではない。

 

今ある日常なんて針の上に成り立つような脆弱極まりないものなのだ。

そうやって、ちょっとした妄想をすると、

多少は生きるのが楽になる。

どうせいつかは死ぬし、

どうせ奇跡的に生まれてきただけだし、

どうせこんな文明もいつか霧散する。

 

だからこそ、普段の生活ではなるべくそれに感謝しなければならないし、

せっかく風邪を引いたりしたのなら、

そういう当たり前にあった当たり前ではないものに思いを馳せてみるのも良いのかもしれない。

 

別に僕が風邪を引いたわけではありませんので、心配無用。

ただ思うところがあったので書いたまでです笑

大学生のうちにやっておくと良いこと(主観の限りを尽くした主観)

大学生のうちにやっておいて良かったことについて書いてみようと思う。

結論から

目次にある通りである。

これは俺の思想であり、

僕の思うところだから、

僕にしか当てはまらないかもしれないし、

単に自分のやってきたことを肯定しておきたいだけなのかもしれない。

ただ、曲がりなりにも大学生をやってきた身として、

大事なのではないかということについて考えてみた。

長ったらしい小説を読破する

大学生はとにかく暇になればいいと思う。

何もしなくてもいい日をどれだけ経験したかが大事だと思う。

多くの大学生は、とにかく予定を詰め込んで、

できるだけ暇と向き合わないで済むようにしてしまう。

別にその人の思想だからどうでもいいのだけれど、

暇になるのが怖いから忙しくしておこうというのは、

問題の解決にはなっていないし、

せっかくの暇な時間をもっと有意義に使ってもいいのではないかとも思う。

とは言いつつ、僕は忙殺されるだけの体力がないだけだし、

忙殺されるのが嫌いだから暇である方を選んだだけなので、

別に僕の選択が正しかったという確証はない。

けれど、暇な時間を暇なままにして、

その時間に長ったらしい小説をたくさん読めたのは良かったことだと思う。

長ったらしい小説なんて社会人になってから読む気が起きるだろうか。

僕は起きないだろうと思うから、

暇な大学生ならではの体験だったと思う。

どうせ社会人になったら忙殺されるのだから、

大学時代くらいは暇を持て余してみるのも悪くないのかもしれない。

暇すぎるのは辛いことだったりする。

暇すぎて誰とも会わなくなって、ずっと本を読んでいるのだけれど、

本を読んでいると一定の時間で疲れてしまう。

その疲れたあとの時間というのはどうしようもなく暇で、

その時間というのは、あまり経験できるものではないから、

大学生のうちに経験しておくと良いのではないだろうか。

心底向いていないと思うことを一ヶ月限定でやってみる

これは4回生になってから体験したことだけれど、

自分には全く向いていないことをやってみるのも大事なことだと思う。

人間にはその人なりに向いている分野がある。

僕には僕の、あなたにはあなたの、それなりに向いている分野がある。

だからこそ、暇な大学生は、心底向いていないことを1ヶ月限定でやってみることをおすすめする。

僕自身、やってみてわかったけれど、本当に向いていないことは本当に向いていないのだ。

僕は頭を使う仕事のほうが向いている。

知性を発揮させて、知力のすべてを活用していくほうが楽しいし、疲れもしない。

けれど僕には体力がないから、肉体労働は苦手だし、

特に飲食店のホールは向いていなかった。

たぶん苦手だろうなと思って4回生になるまで避けて通ってきたのだけれど、

実際にやってみて、心底向いていないなと悟った。

長い人生の中で、なるべく得意なことで勝負していくことが大事だと思うけれど、

最低限、自分がどうしようもなく苦手なことで勝負しないようにする必要がある。

それには自分が何に向いていないかを知る必要がある。

別に実際にやらなくてもだいたい予想はつくと思う。

大学生ともなればそれなりに自分という存在である期間があるのだから、

それなりに自分というものを理解しているはずだ。

けれど、体感としてわかっているのと、

頭で理解しているのとでは、深さが違う。

心底苦手だと悟るのが大事だと思うのだ。

それには失敗が必要だし、

ちゃんと物理的に、もしくは精神的に傷つかなければならない。

無傷で得られる悟りには深さが足りない。

自分の身を使って体感した悟りこそ本物だ。

だからこそ、自分の身を使ってめちゃくちゃに苦手なことをやってみてほしい。

死にたいという気持ちをどうやりすごすのかを模索する

こんなことを人には言わないし、

わざわざいうほどのことでもないのだけれど、

割と昔から死にたいという気持ちと同居している。

もしくは世界なんて滅んでしまえばいいのにという思いとも同居している。

よくする妄想は、もし世界のすべての人間が一瞬にして滅んだら?というものだ。

こんな妄想をよくする人間は憂鬱な気持ちといつも同居しているから、

たまに死にたくなったりするのだ。

特に、コロナというものとも相まって、

死にたいなという気持ちが増幅された大学時代だったと記憶している。

幾度となく死にたいと思ったわけだけれど、

こうして生きてブログを書いている。

それなりに努力してその死にたいという気持ちと向き合う術を身につけた。

その技術は一朝一夕に身についたわけではなく、

自分の心に血を流しながら会得したものだ。

だから別に人に教える気はないし、

それがそのまま他人に当てはまるものではない。

あくまで自分で見つけるものだし、

そうしなければ意味をなさない技術だ。

今後もたぶん死にたくなるだろうけれど、

死なずにやっていく確率は高い。

自分というシステムを理解し、

自分をコントロールするチーフエンジニアとして、

僕は高い技術力を獲得した。

そういう自分をコントロールするための技術を身につけるには4年間という期間はちょうど良かったように思う。