優れた思想家はやっぱり狂っている。

最近、おもしろそうだなと思って買ったのが、

 

「はじめてのウィトゲンシュタイン」

ウィトゲンシュタインと言えば、

論理哲学論考の著者であり、

語りえぬものについては沈黙せねばならない。

という名言でもよく知られています。

 

ウィトゲンシュタイン に対する画像結果

いかにも賢そうな感じの顔つきで、

眼光の鋭さも感じますね。

 

彼の生い立ちから、論理哲学論考を著するまでの経歴について、

この本の第一章に書かれているんだけれど、

まあ、すごい経歴だなと思わざるを得ない感じ。

 

まず、生まれた家がめっちゃ特殊で、

鉄鋼関係の実業家として、財を成していた家系に生まれる。

彼の家はオーストリアで有数の大豪邸として知られていて、

途方もない財と豊かな芸術に触れて育ったらしい。

ちなみに、その家は、ウィトゲンシュタイン宮殿という名前になっているらしい。

いや、宮殿ってどんなでかさやねん、って突っ込まずにはいられない。

 

そんな感じで、めちゃくちゃ裕福な環境に生まれたのがウィトゲンシュタインだったということです。

 

驚かされるのは、彼は工学部の出身だということです。

高層気流の研究をしたり、プロペラの設計をしたりするのが好きだったようで、

工学から数学に興味が移り、数学から論理学に興味が移り、

そして論理学から言語哲学へと興味が移り変わっていって、

最終的に哲学者になっていったらしいです。

 

ここまで読んでみた読者は、

ウィトゲンシュタインは、さぞかし裕福で恵まれていて、教育もめっちゃちゃんと受けることができて、っていうそんな環境だったから論理哲学論考をかけたんやろ。

って思ってしまったかもしれないですが、

実は、論理哲学論考は、戦争の塹壕の中で紡がれた考えだったらしいのです。

 

第一次世界大戦が勃発し、

生まれがオーストリアのウィトゲンシュタインは、

戦争に巻き込まれます。

ご存じの通り、第一次世界大戦の勃発の火種となったのは、

サラエボ事件であり、この事件で暗殺されたのが、オーストリアの皇太子でした。

 

まあ、祖国の皇太子が暗殺されて、国民が黙っているわけもなく、

ウィトゲンシュタインも戦線に駆り出されるわけです。

 

またまた驚かされるのは、ウィトゲンシュタインは志願兵だったということ。

そして、自ら最前線の戦線に立つのです。

彼は、サーチライトで敵を照らしたりするような役目を担っていたようで、

言ってしまえば、敵の的になるような役目をわざわざ買って出ていたらしいのです。

 

そして、論理哲学論考は、この大戦のさなかに構想され執筆されているというのです。

 

最近、僕はゴジラー1.0を見に行ったんですが、

あの映画を見たあとだからこそ、戦争って本当に悲惨だな、というのを感じていて、

そんな極限状態の中で、ウィトゲンシュタインは思想を紡いでいたということに、めちゃくちゃ驚かされたんですよね。

 

ウィトゲンシュタインが哲学で行ったのは、

明らかな、あからさまなまでのゲームチェンジです。

今までの哲学って無意味だったよね、

というと若干誤解を招きそうですが、

それくらいのインパクトを与えるような言葉を、

彼は論理哲学論考に残しているのです。

 

はっきり言って、狂っているのです。

今まで、先人たちがやってきたことって無意味だよね、

なんて言える、しかもそれを著作として残しているっていうのは、

もうまぎれもなくどこか狂っていなければできないことだと僕は思います。

 

同じようなことをやったのが、ニーチェです。

ニーチェも、当時ゴリゴリのキリスト教的な社会の中で、

キリスト教の欺瞞であったり、道徳の無意味性などを説いていましたが、

それもある意味狂っていないとできないことだと思います。

 

ニーチェも、生きていた時には全くと言っていいほど評価されなかったわけですが、

現在でも彼の著作は読み継がれていますし、

彼に影響を受けている人はたくさんいると思います。

 

優れた思想家って、そのときの社会に対する強烈な違和感を抱いていたり、

これっておかしくね?っていう疑問を強烈に持っているものです。

だからこそ、生きているときには評価されないことも多い。

長い時間を経ないと、その人の語っていることの意味がわからなかったりする。

それは狂っているからかもしれません。

でも狂うっていうのは、悪いことなのでしょうか。

狂うっていうのは、安定しない、っていうことでもあります。

今の現状に甘んじるのではなく、常に変革していく姿勢。

 

それと、狂っている人の文章って、オーラや熱量、鋭さが全然違う。

読者に刃物を突き立ててくるようなそんな厳しさを伴う文章もあったりします。

ウィトゲンシュタインもその一人なんだろうな、と思っていて、

今年はウィトゲンシュタインの著作を何冊か読んでみようかなーと思っています!

あとは狂った人の本をたくさん読もうと思いますw

 

そんな感じで、

優れた思想家はやっぱり狂っている、

という話でした。

 

「はじめてのウィトゲンシュタイン」はめっちゃ面白いのでおススメです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では!

資本主義の常識を軽やかに無視するイタリア人

最近、とても面白い本に出合った。

今回はその本について書いていこうと思う。

その本というのは、「最後はなぜかうまくいくイタリア人」という本だ。

タイトルから面白そう!っていう感じで、

確かにイタリア人ってどこか明るくて、若干失敗しがちなのに、うまくいっている印象がある。

イタリアと言えば、ルイヴィトンのようなハイブランドも多くあるし、

車で言えば、フェラーリもイタリアだ。

世界を代表するようなブランドがなぜかイタリアに集中している。

 

イタリアの産土力(うぶすなりき)とも呼ぶべき力が、関係しているのだと思う。

この本は、長年ワインのバイヤーとしてイタリア人と関わっていた著者によってイタリア人の特性やイタリアという国の特徴について考察を交えながら書かれている。

 

その中でも特筆して日本人が学ぶべきだなと思ったのが、

資本主義の常識を軽やかに無視するイタリア人

という節だ。

 

どういうことか、軽く説明すると、

資本主義というのは、労働者と資本家に分かれていて、

労働者は自分の労働力を資本家に売りつける。

その代価として、賃金を資本家から受け取るというシステムだ。

 

だから、労働者は労働することを義務化していく。

そして、お金を持っている人ほど、資本主義では力を持つようになる。

労働者は労働を義務化してお金を得るために働くようになるのだが、

労働を義務化していくがゆえに、徐々に労働は人間から本来持っているはずの人間性を奪っていくことになる。

本来の人間性を持っているよりも、ロボットのようにただ業務をこなす方が効率的であるからだ。

 

このように、資本主義では、労働をすればするほど人間は人間性をなくしていき、ロボットのようになっていくというのが常識だ。(マルクスによって指摘される通り)

 

この資本主義の常識を、イタリア人は軽やかに無視していると。

 

イタリア人は、公私の境界があいまいで、労働の時間にプライベートが入り込んでいるらしい。

要するに、イタリア人は「プライベートの時間」と「仕事の時間」を分けていないらしい。

 

具体的なエピソードとして、

ホテルのチェックイン窓口で、何人も並んでいるのにもかかわらず、受付の人が客とダラダラおしゃべりしていることが多いらしい。

 

こんなことは日本においてはあり得ない光景だろう。

 

物事には一長一短があるから、たしかにイタリアのチェックイン窓口の効率性は悪い。

しかし、定型業務にせずに、本来持っている自分のパーソナリティや人間性を生かしながら働くという点においては、日本にはない感覚を持っているのも確かだと思う。

 

公私の区別をつけない、という働き方は、もともと日本にもあったのだと、著者はいう。

たしかに、駄菓子屋のおばあちゃんは、公私の区別などしていなかっただろうし、

昭和の高度経済成長期のサラリーマンも、家族ぐるみで会社の人とのかかわりがあったという。

 

別にそこに戻るべきだ!と言うつもりはない。

ただ、今の日本社会は、資本主義に毒されすぎて、殺伐としている気がする。

もっと緩い部分があってもいいし、雑な部分があってもいいし、曖昧なところがあってもいいはずだ。

それを白黒つけすぎているような感じがする。

 

だからこそ、イタリア人のように若干雑に、若干曖昧に、若干ゆるく働くっていう姿勢は見習うべきだと僕は思う。

例えば、コンビニで世間話をするようなことがあってもいいだろうし、スーパーの店員さんと世間話をするようなことがあってもいい。

僕はお酒屋さんでバイトしているのだが、僕自身も最近は定型業務以外にも、若干お客さんと世間話をしたりするようにしている。

 

資本主義っていうのは、良くも悪くも個性を均一化し、コモディティ化させてしまうところがある。効率や生産性をいかにして高めるか、というのが至上命題であるから。

だけど、本来の人間っていうのは、特別な個人として存在しているし、僕という人間は今、ここ、にしかいない。

だからこそ、資本主義に毒されすぎてしまっても社会は殺伐としていく。

資本主義というシステムをうまく使いながらも、緩やかな部分や、個性的な部分を残しながらいかにして幸せに生きていくか、という点において、イタリア人から学べることは多いと僕は思う。

 

ということで、めちゃくちゃおススメの本です!

 

 

【2024年の抱負など】新年あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます!

ザキオザです。

ザキオザとか自分で名乗るのは割と変な感じがいたしますが、

とりあえず名乗っておきました。

 

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

新年早々、地震があり、多くの方が今も不安の中にいらっしゃるのだろうと思います。

被災された皆様におきましては、一刻も早く普段通りの生活に戻れるよう祈っております。

新年早々、暗い話でスタートしてしまった2024年ですが、このままのムードで始まらせてたまるか、という熱い思いを僕自身は持っています。

不謹慎かとは思いますが、今年のスタートとして、勢いのある文章を書いていけたらいいなと思っています!

 

 

ということで、2024年の抱負!!!

 

 

今年は、おそらく、去年以上に忙しくなることが予想されます。

就活と研究が主に、今年は襲い掛かってくることでしょう。

 

就活はとりあえず、なんとかなると思っているので、

とりあえず、できるだけのことはやり、できる限り自分の希望通りの企業に内定を出してもらう!っていう単純明快な抱負です!

 

研究の方がちょっと複雑になっております。

なんと、今は僕は世界レベルの研究に従事させてもらっております。

というのも、世界最強のレーザーが最近稼働し始めたのですが、

その世界最強のレーザーの実験を僕のお世話になっている研究者の方がやっていて、

その研究者の方が持って帰ってきた試料を僕が解析しているという、

謎にすごい研究をさせてもらっています。

 

ということで、その研究をちゃんとやらないと、世界で僕の解析結果を待っている人がいるわけで、その解析をちゃんとやらないと、僕が大学院にいる意味がないのです!

 

ということで、その解析をちゃんとやる!しかも、人のために頑張る!っていうところが研究でまずはやろうと思っているところです。

 

ただ!

僕自身の研究ではない!のです。

ということで、自分の研究は自分で進めないといけない。ということなのです。

僕は卒業するまでに、ある程度は機械学習を使って今までやっていた作業を自動化させたいと思っています。

ざっくり概要を述べると、

僕の専門は、固体飛跡検出器というもので、ペットボトルみたいな感じの特別なプラスチックだと考えてください。

そのプラスチックにイオンが入射すると、イオンによって化学結合が切断されて、潜在的な飛跡が形成します。要するに小さい穴が開きます。

その穴を溶液によってエッチング(若干溶かすこと)することによって、その穴を拡大させることで、イオンが通った飛跡を観察することができるというものです。

 

そのイオンの通った飛跡をエッチピットと呼び、そのエッチピットの数を数えたり、エッチング時間によってエッチピットの成長を追うことによって、イオンのエネルギーがわかったりします。

 

んで、何を自動化したいかっていうと、いちいち顕微鏡で画像をとってきて、エッチピットを数えるのがめんどいわけです。

若干、エッチピットを数えるソフトはあるんですが、そんなに精度がいいわけではなく、結構ノイズも拾ってしまうのが現状なんですよね。

そこで、僕がやりたいのは、もっと精度がいいエッチピットの認識ソフトを作ること!

 

ということで、そのためのPythonの勉強、機械学習の勉強、アルゴリズムの実装などなどについて若干去年勉強していたんですが、まだまだわからないことだらけで、

かつ、去年は何も進めることができなかったので、

今年はそれをなんとかして進めたい!

というのが今年の研究の抱負です!

 

ということで、まとめると、

就活は、とりあえず内定もらえるようにがんばる

研究は、頼まれてる解析頑張るだけじゃなくて、機械学習とか自動化を頑張る!

という感じです!

 

ブログの抱負は、とにかく何かしら書き続けること!

自分が日常を通して学んだことや気づいたことなどを書き続けることです!

 

ということで、今年も当ブログをよろしくお願いします!🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

2023年 総集編! 今年もありがとうございました! 2024年もよろしくお願いします!

今回は、今年の総括ということで、

今年に書いた記事をハイライトして、総集編を書いていこうと思います!

時系列順になっているので、興味があれば、記事のリンクから飛んでもらって、読んでもらえればと思います!

 

 

zakioza.hatenablog.jp

今年一発目の記事が、これ。

ああ、懐かしい!ってかこれ読んだの数年前だったような気がしてしまう。

それくらい、昔に感じるのが今年の一月ですね。

時間の密度が数年分の濃さになっているような感じで、

一月ですら、もう昔のことのように感じます。

でも、この「光あるうち光の中を歩め」

という小説、トルストイという人物は、今年の一貫したテーマだったと感じています。

この小説は、150ページくらいの短い小説です。

それなのに、いろんな哲学が盛り込まれています。

トルストイの思想的な主張がこの短い小説の中に凝縮されているんですよね。

トルストイと言えば、「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」、「復活」などの鈍器本(鈍器になってしまうような分厚い本のこと)が有名ですが、

この「光あるうち光の中を歩め」が僕はおすすめですね。

マジでいい本なので、ぜひ読んでみてください!

 

zakioza.hatenablog.jp

そういえば、ブログのタイトルを変えたのも今年でした。

でも、またブログのタイトルを変えたので、

今は、「ZAKIOLOGYのコーヒータイム」ですw

でもEasygoingというテーマはこのブログにも引き継がれています。

気楽に、気軽に行こうぜ!というノリで、

僕は今後もブログを書き続けていくんだろうなと思っています。

 

zakioza.hatenablog.jp

今年の一番のトピックと言えば、生成AIだと思います。

僕も今年は、AIをたくさん使ってきました。

今はもうすっかりAIにもなじんできて、AIを使わないとしっくりこないレベルで、

AIを使うことが当たり前になってきました。

今後もAIは進化を続けていくと思いますし、来年はもっとインパクトのあるAIが出てきたとしてもおかしくありません。

でも、そうだとしても、AIには干渉できない領域が現実の世界には存在します。

データ化されていない現実の世界で人間は生きていて、

データ化されていない現実の世界でデータ化できるわけがない「幸せ」を人間は求めて生きているので、そんなに生き方自体は変わらないんだと僕は思っています。

 

zakioza.hatenablog.jp

この本に、「沈黙」に込めれらた意味が書かれていたのを覚えています。

遠藤周作さんの代表作「沈黙」には、どんなに信仰心を持って生きていても、神様は沈黙を守ったままであるということが描かれているらしいです。

らしいです、というのは、僕自身はまだ読んだことがないからです。

でも、神様は沈黙を守るっていうのは、僕はよくわかるんです。

どんなに熱烈に祈っても、どんなに頑張って生きていても、理不尽な現実は訪れます。

悲しいことは起こるし、それを避けることはできません。

そんなネガティブなことが起こった時に、神様に文句を言いたくもなる。

なんで、沈黙したままなのだ!こんなに熱烈に助けを求めているのに!

といった具合に。

でも、絶対に神様はわかりやすい答えなど与えてくれません。

沈黙を守ったままなのです。

でも、その沈黙の中に、静寂の中に、声なき声を聴く。

それが人間の役割です。神様にどれだけ祈っても、答えは返ってこない。

それでも、沈黙の中に声を見出す。声を聴く。

それが、本物の信仰というものです。

 

何かわかりやすい答えをあたえてくれるから、人は信仰心を持つのか、

違う。

助けてくれるから祈るのか、

違う。

助けてくれなくても助けてくれても祈るんだ。

祈りっていうのは合理とは違う。

どんなにマイナスなことがあっても、絶望に打ちひしがれても、祈り、神を求めるのが、本当の信仰ってもんだ。

 

遠藤周作さんはこの本の中で、本物の宗教について語っているが、

本当にすごいから、読んでみるといい。

現代の日本人は宗教を誤解していることが身に染みてわかるだろう。

 

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はてなブログの編集部の方に取り上げてもらって、若干ばずったのがこの記事ですね。

本当に、文章を書き続けていくことで、僕は調子があがる。

それは体感としてよくわかっていて、これからも書くことをやめず、一生続けていくんだと思います。

最近は忙しさを言い訳に書く量が減ってしまっていますが、

その分、濃密な記事が書けるように頑張ります!

 

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今年見た映画の中で、一番、衝撃的で、一番面白かった映画。

周りの人たちはイマイチという評価をしている人が多かった気がする。

姉とも話したんだけど、「君たちはどう生きるか」は村上春樹の小説に似ている。

ぶっちゃけ、あんまりわからないんだけど、それがなんか示唆的で面白いっていう感じ。

そういう面白さを、面白がれる人間と、面白がれない人間がいるだけな気がする。

それは、どっちが優れているとかいう話ではなく、

単に趣味趣向の問題でもある。

 

この記事にも書いているけれど、

周りの人間関係は守護霊的で、

生命の根源とつながっていたときの記憶を思い出し、

先祖から受け継がれてきたものに思いを馳せる

っていうのを、この映画から受け取った。

 

よくよく読んでみると、今年のテーマそのものだったかもしれない。

周りの人たちが、自分を守ってくれているんだなっていう感覚とか、

自分はもともと生命の根源とつながっていたんだなっていう感覚とか、

今、こうしていろんな技術を享受して、

いろんな知識を得られるのは先人たちのおかげなんだなとか、

こういうことを今年は考えることが多かった気がしている。

 

そして、それってたぶん、人生を通じて大切にしていくべき感覚なんだなと思っている。

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今年読んだ小説の中で、もっとも深く残っているのは、

「ねじまき鳥クロニクル」

今年、この小説を読めて本当に良かったと思う。

いろんなメタファーを、また村上春樹からもらったような気がする。

ひとつ大事なメタファーを受け取るたびに、

ひとつ日常を大事に生きれる気がする。

メタファーっていうのは、滋養みたいな感じで、

じわじわと日常にしみこんでくるような感じ。

村上春樹を読むことの効用があるとすれば、

それは、滋養としてのメタファーをたくさん受け取ることができる

っていうことだと僕は思う。

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聲の形も、今年のテーマを多分に含んでいたような気がする。

聲の形のテーマは、罪悪感と鎮魂だと思う。

人は生きていれば、たぶん誰かを傷つける。

そこに罪悪感を持ってしまうこともあるかもしれない。

でも、相手を傷つけてしまっても、

相手はそれを未来では感謝して生きているかもしれない。

そういう未来は、きっとある。

そう信じて、祈りながら生きていくしかない。

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今年出会った著者の中でもう一人、深く心に残っているのは、

フランクルだ。

フランクルは、すごい。とにかくすごい。

「それでも人生にイエスと言う」

っていう題名からも、もうさすが、としか言いようがない。

それでも、という枕詞に、どれだけの思いを込めたんだろう。

それを想像して読んでみると、受け取れるものも多いんじゃないだろうか。

アウシュビッツを生き抜いてもなお、人生にイエスと言い続けたフランクルの言葉には、固有の説得力と、固有の重みがある。

魂がのっかった言葉、それしか人間は求めていない。

魂がのっかった文章、それを体感するためにも読んでみると良いと思う。

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落ち込んでも復活する、それって本当に大事。

僕は落ち込むけど、毎回復活できる。なんやかんや。

根が楽観主義者だからかもしれない。

生まれてきただけで丸儲け、生きているだけでも丸儲け。

そう思ってこれからも、落ち込んでも復活していこう。

この記事は、僕にとってかなり大事なことが書いてある。

根本的な原因までたどりつくこと、それってマジで大事。

 

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そういえば、夏ごろは、学会発表があった

学会の当日になって、急に用意していた原稿を読めないことが判明して、

めちゃくちゃ緊張し、何をしゃべっていたのか、まったく覚えていないw

そういえば、前乗りした前日は体調が悪く、最悪だったんだよねw

学会終わった後もそんなに調子が良くなくて、マジで楽しくなかったのを覚えているw

本当に自分はリキむと失敗する。

なんか楽しみにしすぎると、体調を崩したりして、絶対に失敗するのだ。

それを深く再認識させられたw

zakioza.hatenablog.jp

今年は生成AIが流行語になるほど、進歩した。

本当にすごいことになっている。

今適当に生成するだけでも、こんなものが出来上がる。

まあ、マジですごい。

単にすごい。以上w

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これは、インスタに書いた文章をそのままブログに載せたやつ。

先人たちの知恵をいくら学んでも、結局は、問題の渦中にあるときには、気休めにしかならない。

本当に大変なときっていうのは、そういう感じで、

だからこそ、普段から気休めにしかならないとしても学び続けて、

気休めになるような言葉を自分の中にストックしておくことが大事なのかもしれない。

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たぶん、僕は、自分の感動体験を、みんなにも体験してほしい、と思っているのだ。

もっというと、自分の感動体験、

つまり、幸福感を、みんなにも味わってほしいと思っているのだ。

 

って書いてる。

それは今も変わっていないし、これからもたぶん変わらないことなんじゃないかなと思っている。

 

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火山が氷山があるべき場所にあったら変ですよね。火山は火山として必要な場所におるもんです。

人間かて、自然の一部なわけで、人間かて、山のようなやつもいれば、谷のようなやつだっている。そうやって諦めて、そういうやつもいるやんな、しゃあないな、というくらいの心持で生きていくしかない。

最近はそう思うんです。

って書いてる。

勝つとか負けるとか、そういうことではなくて、お互いの個性を認め合いながら、生きていくことって、大事なことやなと、思います。

 

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上の二つの記事に関しては、まとめて書こうと思う。

だいたい同じようなことを書いているので、まとめて書いてしまったほうが良いだろうと思う。

 

僕は、親とぶつかることが今まで多かった気がする。

いろいろなネガティブな記憶っていうのが、鬱屈した形で存在しているっていう話だ。

そのネガティブな記憶のせいで、目の前の人のことを悪者にしてしまったり、歪んだ見方をしてしまうことがあったりする。

誰しも、親子関係において、歪みを持っているし、親の歪みは、親の歪みだけではなく、親の親の歪みも存在していたりする。

実際に、僕の親の歪みはその親自身だけではなく、親の親、つまり祖父祖母の歪みも多分に関係している。(話を聞く限りでは)

だから、親だけが悪いわけではないけれど、その歪みがゆえに、苦しんでしまうこともあるっていうことだ。

苦しむたびに、それを思い出して、歪んだ見方をしているんじゃないか?という意識を持つだけで、悩みは減ってくるかもしれない。

僕自身は、最近はそれのおかげで、悩むことが減ってきた。

年末っていうのは、良くも悪くも親や親戚を意識することもあると思う。

そういうときこそ、自分のルーツを知るにはうってつけのタイミングなのかもしれない。

zakioza.hatenablog.jp

 

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この二つの記事もセットで書いておく。

もともと、この二つの記事は一つにする予定だったからだ。

一つは本当の幸せは、相対的ではないっていうこと。

もう一つは、本当の幸せは、一体感が根源的にあるのではないかっていうこと。

要点だけ言うと、相対的な幸せっていうのは、本当の幸せを見ないための手段に過ぎないのだということだということ。

人と比べて得られる幸せっていうのは、頭で考えることだけれど、一体感を通して感じる幸せっていうのは、頭ではなく腹からハートから幸せを感じている。

そう言う話。

 

最後に

すごく長くなってしまった笑

僕がどれか一つ読んで欲しいとしたら幸せについての記事。

あれは本当にいい記事だと思ってるので、おすすめです。

 

今年もあっという間でしたねー。

もう本当に一瞬で。

卒論発表とか今年やったんかーっていうくらい、それ以降の日々が濃密で、すごく充実していたし、周りの人たちに支えられて、楽しい日々を送れました。

最近の僕は、数年前に比べてもかなりイキイキしているらしくて、そう言ってもらえるくらいに、楽しい1年でした!

皆さんにとっても良い1年であったなら、それは最高なことです!

また来年も、濃密な濃厚な一年にして、10年分生き切るくらいの勢いで生きていこうと思います笑

来年も皆さんの一年が実り多きものになりますように!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

来年もよろしくお願いします🙇🙇🥳

独断と偏見に基づく「就活生のための最近のビジネス書のトレンド」

日本のリアル美女、最高精密グラフィック、ビジネス女子、笑顔、読書中

今回は、独断と偏見に基づく「就活生のための最近のビジネス書のトレンド」というテーマで書いていこうと思う。

昨今言われている、若者の読書離れ。

それは僕も憂う限りなんだけれど、

そうはいっても、動画のほうが見やすいし、

動画のほうに需要があるのは仕方ない。

人間の可処分時間には限りがあるし、それは仕方のないことだ。

 

どう考えても、ブログなんか読むより、ショート動画見たほうが楽だし、

ましてや本なんか読むより、

動画で解説されているものでエッセンスだけを得られるほうがお得だ。

しかも、お金がかからないときている。

そうなると、もう本を読む必要性に迫られることもないから、

そりゃ、若者は読書から離れる。

それは、個人の意思でどうにかなるものでもないし、

社会的な、外的なものによるものだ。

 

でも僕はブログのほうが書きやすいし、

動画を撮って編集するよりは、こうやって書いてしまうほうが楽なので、

読者にとっては動画にしてほしいと思うかもしれないが、我慢してもらうしかない。

 

一瞬、ラジオにでもしようかと思い浮かんだりもするけれど、

ラジオ受けするような声でもないし。

 

とにかく、現代を生きる強靭な就活生諸君に向けて、

老害や昭和的な人間たちに太刀打ちしていくための武器を提供したい!

というのがこの記事の趣旨だ。

 

老害や昭和的な人間たちに太刀打ちするためにはビジネス書を読むか、

こういうキュレーション的な記事を読んで知識を蓄えておくことが必須条件だ。

ということで、僕がこれまで読んできたようなビジネス書について解説していく。

マジで独断と偏見に基づくものなので、

なんの普遍性もないが、ある程度はベストセラー的な本を選んでいるつもりだ。

だから、少しは普遍性が担保されている。ということで一応読む価値がある。

 

前置きですでに700字程度書いてしまっており、

すでに読者は離れているんだろうが、

それもお構いなしに話を進めよう。

離れてしまった読者にかまっている暇はないはずだ。

 

できれば時系列でいきたい。

とりあえず、2010年代で考えよう。

とりあえず、2000年代はもう老害であっても忘れているだろうから。

 

ある意味、2010年代は自己啓発の時代ともいえる。

面白いくらい自己啓発の本が売れた時代なのだ。

だから、自己啓発系が廃れはじめたのが2020年代、つまり今。

 

不易流行っていう言葉、たしか松尾芭蕉が言った言葉だったと思う。

 

不易っていうのが、易によらない、つまり時代によらないことで

流行っていうのが、流れにのる、つまり時代によって移り変わること。

 

自己啓発系の中でも不易と流行があって、

不易というと、「嫌われる勇気」みたいな思想本

流行は、いろんなテクニック本、メモの魔力、ゼロ秒思考etc。

 

ざっくりいうと、

「嫌われる勇気」みたいな、本質的な本も売れたし、

「メモの魔力」みたいな実践的な本も売れていた。

 

今、ベストセラー本ランキングを眺めていたんだけれど、

マジでそんな感じ。

「嫌われる勇気」が売れ始めたのが2014年とか。

「言ってはいけない」が売れ始めたのが2016年とか。

 

2020年くらいになると、「ファクトフルネス」とか、「話し方が9割」とか、「繊細さん」系の本とか、「スマホ脳」とかが売れ出している感じ。

 

全部読んだことあるんで、いろいろ言えることはある。

「話し方が9割」っていう本は、読まなくてもいいと僕は思います。

なんでかっていうと、話し方よりも関係性のほうが重要だから。

 

話し方以前に、どう人間関係を作っていたか、で伝わり方は変わるもんです。

例えば、上司に怒鳴られたとして、

それでも許せるような人間関係が作れていたらそれで問題ないわけですし、

逆に怒鳴られないとしても、深い人間関係を作れていないのなら、

そっちのほうが問題です。

 

まあ、話し方や伝え方で変わるっていうのもわかるんですが、

正直なところ枝葉末節ですね。

一回本を買って、わざわざ読みましたが、

内容についてはあんまり覚えていないし、

もう古本屋に売ってしまったので、

それくらい大したことのない本だったということ。

まあ、どうしても話し方で嫌われてしまって悩んでいる!

っていう人には良いと思いますが。(そんな人ってそんなにたくさんいるか?w)

 

逆に、「嫌われる勇気」とか、「ファクトフルネス」とか、

そういう本は今でも本棚に残してあるので、一読の価値あり。

 

では、ここからは、一読の価値あり、と僕が思う本について、ざっくり概要を書いておく。

マジで読んでみたい!とピンときたものは読んでみると良いと思う。

本を読んでいるってだけでも少数派だし、

こういうブログを読んでから読むと、

内容の入りやすさが違ったりもするから、

本を読むことに苦手意識がある人には特におすすめしたい。

日本のリアル美女、最高精密グラフィック、ビジネス女子、笑顔、読書中

 

1.嫌われる勇気

嫌われる勇気

これは、本当に鉄板中の鉄板。

マジで売れているし、マジで読んだビジネスマンは多いはず。

読まれすぎて、逆に「嫌われる勇気」が座右の書です!っていうと軽薄だと思われるかもw

ただ、書いてある内容は、マジで人生を通じて役に立つし、

人間関係に悩んだときに今でも僕はこの本に立ち返る。

知っておくといい要点みたいなことについて書くと、

アドラーっていうユング、フロイトに並ぶ心理学者がいて、

その心理学者が説いた心理学っていうのが勇気の心理学。

人間の悩みの9割は対人関係によるものだと考えていて、

対人関係をいかにしてより良いものにしていくか、ということを説いている。

特徴的な概念として、トラウマは存在しない、とか課題の分離とか、共同体感覚などがある。

トラウマは存在しないっていうのは、どういう意味かっていうと、

トラウマがあったとして、傷ついた過去があったとして、それでも今とは何の関係もないよね?っていうこと。

過去にいじめられた過去があった。だから今目の前にいる人を怖いと思ってしまう。

だけど、過去にいじめてきた人物と、今目の前にいる人は全く違う人で、出会った文脈も違うし、その人のバックグラウンドもその人の性格も愛も何もかもが違う。

だから、トラウマっていうのはその人が今、この瞬間を生きる勇気がないんだっていう意味。その意味で、トラウマは存在しないし、トラウマは言い訳に過ぎない。っていうこと。

課題の分離っていうのは、自分でコントロールできる領域とコントロールできない領域を切り分けて考えるっていうこと。

自分にコントロールできるような領域については最大限努力をすべきだけれど、そうでない領域で悩んでも仕方がないし、それについてはあきらめるしかないっていうこと。

例えば、ある夫婦があったとして、

夫のほうがいつも靴下を脱ぎ棄ててしまって、妻のほうは臭くていやだとする。

そのときに妻は夫の靴下を脱ぎ捨てる行為そのものをやめさせることは原理的にできない。

けれども、夫に注意して行動を変えることを促すことはできるし、逆に夫が脱ぎ捨てることはあきらめて自分が拾ってあげるようにしたり、

拾うのがいやだったら、部屋中に洗濯籠を設置して、物理的に脱ぎ捨てるということができない状況を作り出すこともできる。

自分の努力でどうにかできることと、そうではないことを切り分けるっていうのは人間関係を円滑に進めていくうえでは大切なことっていう感じ。

共同体感覚っていうのは、ちょいと説明がめんどくさいし、かなりアドラー心理学の根幹の部分なので、ここでは書ききれない。ということで略!次に進もう!

2.言ってはいけない

この本は、科学的な事実として、こういう現実があるから、絶望的な社会になったとしても仕方ないよね。っていう本。

例えば、美貌格差っていうもの。遺伝的に、たまたまイケメンに生まれたり、たまたま美女に生まれたりすることの資本っていうのがある。

美女だったら、エロス資本っていうのがあって、自分の美貌という資本をお金に換算していくことができる。イケメンはあんまり資本にならんけど、美女だったら、娼婦になれば、お金を稼ぐこともできる。美女であればあるほど、稼ぐことのできる額が増えていく。そういう意味でのエロス資本。(資本っていうのは、お金のもとになるものの総称)

こういう直視するのがいやになってしまうような残酷な真実を余すことなく読者に提供してくれる本。

まあ現実を知らないと、現実を変えることもできないし、

現実を知るからこそ、どうやってその現実と折り合いをつけて生きていくかっていうことも考えることができるっていう意味で、読んでおく価値はある。

3.ファクトフルネス

ファクトフルネスは、正直、あんまり覚えていない。

たしか、世の中って経済格差とか、

悪くなっているように喧伝されているけれど、

データをちゃんと見てみると、めっちゃ良くなってるんやで!

っていう感じの本だったと思う。

今、ちょっと読み返してみて、思い出した。

冒頭の部分にクイズがあって、そのクイズから、

どれだけ自分の価値観にバイアスがかかっているか

っていうことを突き付けてくれる本。

うん。いい本。

俺の価値観ってバイアスかかってたんやな。って気づかされる。

4.ゼロ秒思考

ゼロ秒思考

ゼロ秒思考

Amazon

この本は、メモのススメって感じの本。

メモって社会人になると、絶対に欠かせない必須スキルらしい。

知らんけど。

でも、最近、研究をしていても、

ちゃんとメモとらんとあかんな、

って思ってきているので、

メモの取り方のモデルケースとして学びの多い本ですね。

メモのテクニック本としておすすめしたい本です!

5.チーズはどこへ消えた?

これは、マジのベストセラー本!

何ページやと思いますか?

なんと、あとがきまで含めて94ページ。

うっっっすい!小学生でも読める、いわんや大学院生をや。やで。

読みやすい童話みたいな感じの物語。

良い本なので読んでみてください。

不易流行っていう話とも通じるんだけれど、

社会は必ず変わるっていう前提に立って生きていくべきだ!

その変化を楽しんで生きていこうぜ!

っていうことを説いている本です。

6.スマホ脳

言わずとも知れた、ベストセラー本。

この本のせいで、本屋のビジネス書コーナーに〇〇脳っていう本があふれるようになってしまった。

まあ、現代の若者であれば、若干、スマホが脳に与える悪影響についてうすうす気づいていると思う。

あれ、なんか時間が溶けていたわ。みたいな経験は僕に限らずあると思う。

あれ、なんか集中力が落ちた気がする。みたいな経験も僕に限らずあると思う。

そういうことを科学的に解き明かした感じの本!

「デジタル時代のアドバイス」っていう節があって、

その部分には、スマホを遠ざける時間をつくるための行動プランが書いてあるので、

そこだけでも読んで日常に取り入れるといいかもしれない。

 

7.22世紀の民主主義

あのー。ちょっと疲れてきた。なんせノンストップでもう4934字も書いてきたので。

まあ、成田先生の本は、成田先生の動画見ればだいたい言っていることはわかるだろう。ショート動画でも見ながら読んだらいい。

論文形式で書かれていて、最初にアブストが書いているのが斬新で面白かった。

闘争か、逃走か、構想か、っていう感じらしい。

僕は数年前に闘争しようとして、逃走して、諦観している人間です。

8.論語と算盤

論語と算盤は、古典なんですが、

現代語訳は読みやすいので、面白いです!

論語と算盤ってどんな組み合わせやねん。

ハンターハンターの「制約と誓約」みたいやなって思った人もいるかもしれないが、

論語と算盤っていうのは、

論語は、精神的な軸としての象徴

算盤は、現実的な実利としての象徴っていう感じ。

論語っていうのは、かの有名な孔子大先生が説いた儒教の教えですが、

人間の精神は論語によって成し遂げられる!っていう感じ。

だけど、実は算盤っていう実利的な部分も論語を基にして成し遂げられるんや!

っていうのが論語と算盤で言いたいこと。

わかりやすく言うと、仕事道っていう感じ。仕事術じゃないんよ。道なんや。

道っていうのは、美しさを追い求めるっていうこと。

仕事っていう実利の中、実業の中にも、美しさっていうのを追い求めていこうや!

っていう提言だと思えばいい。

自分の利益だけを追い求めて、全然社会にとっていいことじゃないことをやっているとかって、美しくないやんか。

そういうことじゃなくて、社会的に成功してもいいし、それを追い求めるんは悪いことやない。でもな、ちゃんと良いことやっていこうや。

っていう渋沢栄一からの提案って感じで読むと面白いと思います。

僕は「論語と算盤」は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とめっちゃ似てるなって思っているんだけど、それは、個人的に聞いてくれw

9.よみがえる戦略的思考

別にベストセラーっていうわけではないんですが、あえて入れました。

なんでかっていうと、ウクライナ戦争が長引いてますが、ちゃんと俯瞰して眺めている人って少ないから。

ちゃんと歴史的に見てとか、戦争をしてしまう国家の体系っていうのを知った上で見ると、違った見方ができると思う。

ロシアの情勢を書ける著者の中では、佐藤優さんが一番冷静で、かつ、インテリジェンスだから、おすすめ。

若干むずいけど笑

10.新時代に生きる「道徳哲学」

最近の哲学のトレンドも抑えておこう!

一つトレンドを作り出しているのが、「マルクス・ガブリエル」

この人の思想を一言でいうと、倫理資本主義っていう感じ。

新実存主義っていう立場をとっているらしい。

実存主義っていうと、僕はハイデガーしか知らんのだけど、新実存主義はもっと知らん。

とりあえず、要点をいうと、

倫理的な資本主義っていうくらいだから、

今の欲望を掻き立てて、消費行動を促し、ガンガン消費者にお金を使わせるようなシステムはやめようぜ!

っていう感じの主義主張っていうのはなんとなく予想がつくと思う。

具体的に言うと、GAFAみたいな巨大テック企業は、どうやって稼いでいるかっていうと、広告をいかにして効率的に打ち出すかっていう感じで稼いでいる。

アップルは若干ブランド力とかで稼いでいるけれど、

アップルもブランド力を使いながらアイフォンを使っている自分ってかっこいいなって思わせるような広告を打ち出しているし、

ユーチューブなんかは特に広告で稼いでいるし、フェイスブックもインスタも、アマゾンも結局は広告で多くの人の注目をいかに集めて無駄な買い物をさせるかっていうところに終始していると思います。

それが倫理的じゃないよね!だからブレーキをかけるべきだ!っていうのがマルクス・ガブリエルの主張だと思います。

一理あるなー。って感じではあるけど、どうしたらええねん。

お金持っている人が力を持ってしまう資本主義で、お金持ちにブレーキをかけさせるのってむずくね?w

11.人新世の「資本論」

やっとラストやな。

人新世の資本論

もかなり売れましたよねーーーー。

 

資本論と言えばマルクス!

マルクスと言えば、資本論!

 

資本論って、どういう内容かというと、

どんな内容だったっけ。若干わすれた。

 

うーっむ。たしか、労働と価値について書いてあったような気が。。。

お金に換算されるときに命がけの飛躍があるんだ!みたいな。。。

搾取の構造がどうのこうのみたいな。。。

 

マジで覚えてない。

その辺はしらべてもらって。

 

この本は、脱成長っていうことを主題にして書かれている本ですね。

脱成長っていう単語自体、この本が売れ始めてから言われ始めた感じで、

それくらいインパクトのある本だったというわけです。

 

このまま資本主義のスキームのまま、成長を追い求めて、

利益の追求を永遠に続けていって未来はあるのか?

っていう問いが、根源的な問いとしてあるわけです。

 

倫理資本主義でも同じような問いを抱いているわけですが、

今のままの資本主義で良いわけないだろ、

っていう観点に立っているわけです。

 

SDGsっていうことも最近になって言われるようになりましたが、

SDGsも、基本的には、現在の資本主義のあり方を否定するものでもあります。

どうにかして地球環境を守るために、あり方を変えていくことはできないだろうか?

っていう観点から、国連で作られたものです。

 

SDGsに関しては僕はあんまり信用していないというか、

企業がアピールするために使いすぎていて、陳腐化してしまっている節もあるので、

あんまり好きじゃないんですが、地球をいかにして守っていくか、大切に扱っていくかっていう観点は大事だと思っていますし、

現代に資本論の思想を生かしていくっていうのは面白いのでオススメです!

 

最後に

あああああ、やっと書き終わった。もう7000字かいた。

最後まで読んでくれている読者の方には感謝しかない。

という感じでビジネス書の最近のトレンドについて書きました。

良い本ばっかりなので、ぜひ読んでもらえたらと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

では!

 

頑張ってここまで読んだプレゼント。画像生成したので。



すべてのことは自分が行動を起こせばうまくいく。

すべてのことは自分が行動を起こせばうまくいくのではないかと。

最近思う。

 

例えば、この前、

はじめて会った人たちと食事する機会があった。

 

そういうときに、日本人はシャイで空気を読もうとしてしまう。

空気を読もうとするあまり、

何を話し始めればいいのかわからない。

頭でグルグルと思考しながらも、

何を話せばいいかわからない。

そして、時間がたてばたつほど、

天気の話題はもう遅いなとか、

自己紹介するような雰囲気じゃないなとか、

いろいろと条件が悪くなっていく。

 

誰か、なんか話してくれ。

そういう停滞した空気が流れるようになる。

 

その時に意を決して、僕は周りの人に不自然ながら話しかけ始めた。

最初に話しかけたつもりだった人には、

話しかけていることを気づかれず、

若干空振りした感があったけれど、

ほかの人達はちゃんと見てくれていて、

なんとか話がつながった。

 

めっちゃ冷や汗をかいたけれど、何とかなったんだよね。

 

そのときの食事会にいたのは、

僕よりも一回りも二回りも年上の方だったから、

どう考えても、その人たちが話しかけるべきだ。

と僕は思ってしまっている節があった。

 

でも、そういうときでも自分から話しかけた。

 

だいたいにおいて、自分から話しかけるっていうのは難しい。

どんな話題で話しかけていいのか正解がないし、

どうしても楽をしようとして、「待ち」に回ってしまうことも多い。

 

けれど、何でもいいから自分から何か話題を振り始めると、

一気に場が和んだり、雰囲気が良くなったりするもんだ。

 

別にどうってことないことなのに、

始めるっていうことにはエネルギーがかかる。

先陣を切るっていうのは、思っているより簡単じゃない。

僕は流れに乗るのはいつも得意なんだけれど、

流れを作るのは苦手としている。

 

でも失敗してもいいから、なんか行動を起こし始めると、

その失敗を見てくれている人がいたりもするし、

その失敗している姿を見て、逆に好感を持ってくれたりもする。

不思議なもんで。

 

なんか停滞してるな、とか

なんかもっと盛り上げれないかな、とか

そう思ったときは、自分が何かを始めるべきときなんだ。

 

誰かを頼るんじゃない。

自分で始めるんだ。

 

そうすれば、全部うまくいく。

一見すると失敗しているようで、

全体を俯瞰したら確実にプラスになる。

 

特に、僕はコミュニケーションが下手なタイプなので、

たぶん、最初は失敗する。

だけど、それでいいんだと最近思う。

 

誰かが失敗して場を和ませるのも、悪くない。

その役目を自分から買って出ることは悪くないなと最近思うのだ。

そろそろ年末に近づいてきたので、今年の総括をする記事をなんとか年内に書きあげたいと思っています!

今回は、そろそろ年末に近づいてきましたね。

という記事です。

 

毎年、恒例行事化している、今年の総括的な総集編的な記事なんですが、

マジで何も手をつけられていないんですよね。

 

今年は忙しさが、段違いで、

あれ、あの本読んだのって今年だったっけ?

みたいなことが多いんですよね。

 

昨日あたり、本棚を整理して、どんな感じの本を今年は読んだんだっけ?

みたいなことを洗い出していました。

 

そういえば、今年はトルストイから始まった年でした。

トルストイの「光あるうち光の中を歩め」

という小説です。

20代のトルストイらしい。めちゃくちゃイケメンやん…(Wikipediaより)

トルストイの背景知識的なところは、AIにまとめてもらったので、

興味があれば読んでみてください。



まあ、めちゃくちゃざっくりいうと、キリスト教の本当の教えの部分を重要視した人がトルストイです。

キリスト教って、ヨーロッパでは、権力と結びついてしまって腐敗してしまった歴史があるわけですが、その権威主義的な体制ではなくて、本来のキリスト教、権力と結びつく前のキリスト教に立ち返るべきだ、と主張したのがトルストイだったわけです。

 

そういうトルストイの主張のエッセンスを凝縮したような小説が、

「光あるうち光の中を歩め」なんですよね。

本当にいい本なので、ぜひ読んでみてほしいわけなんですが、

 

トルストイっていうのは今年の一貫したテーマではあったなと思っています。

トルストイが描いていたのは、現実の社会でいかにして信仰心を持って生きていくのか、ということです。

現実の社会では、どうしても欲に縛られてしまったり、他人の価値観に迎合してしまったりして、本来の自分らしさとか、本来持っていたはずの良心とかを忘れてしまいがちです。

だからこそ、信仰の道を、人生の大道を行くべきだ!というトルストイの主張が身に染みた一年でした。

 

今年の1年は、非常に忙しく、現実的にやるべきことや、頼まれていることが山積しているような感じで、タスクをこなすことに必死な感じでした。

そんな中でも信仰心を保ちながらどう生きるか、っていうのが僕の今年の大きなテーマだったと思います。

去年までは、ある意味内的な世界をどう広げていくか、っていうのがテーマだったんですが、今年は、外的な世界といかに折り合いをつけていくか、っていう感じでしたね。

 

その点、いろんな学びや教訓が得られた年でもありました。

自分の人生の中でもかなり濃厚な1年になってくれたように感じています。

 

また、総集編的な記事も頑張って書いてみようと思いますので、お楽しみに!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

では!